人魚姫
6
「ディラックはどこなの!!返して!!」
勇者の仲間である、金髪の少女が声をあげる。
タナトス様は薄く笑い、「私の新たな身体となるための準備をしているのだよ」と言い放った。
悔しそうに歯噛みする娘を見やりながら、私は口を開いた。
「タナトス様、ここはお任せください。どうぞ要塞へ」
私の言葉にタナトス様は満足そうにうなずく。そこでまた誇らしい気持ちでいっぱいになった。
ああ、やはり、この方に必要とされるなら、私の存在などどうでもいい!
なぜ、勇者などに気持ちを揺さぶられたのだろう。私は後悔などしていない。この方と一緒に世界を壊すのだ。それが私たちの共通の願いなのだ――
「待て!タナトス!」
勇者が声をあげた。
「お前の目的は何なんだ!要塞を復活させて、ディラックさんの身体に乗り移って、一体何がしたいんだ!」
何を言っているんだ、勇者は。
私は侮蔑を口の端に登らせて、声を張り上げる勇者を見ていた。
そんなことは決まっている。世界を壊すためだ――
きっとタナトス様は、そう答えるのだ。
私は笑みを浮かべて、タナトス様を見上げた。
タナトス様は、唇を釣り上げて笑み――無言のままマントを翻した。
「ファウナッハ、後は頼んだぞ」
――え?
「……御意」
私は淀みなく答えながらも、その振る舞いに動揺していた。
どうして。
どうして、言ってくださらない?私に言ったときのように。
私は、世界を壊したいのだよ、と。
空間が再び歪む。周りの景色が渦を巻くようにして、タナトス様の姿を呑み込んでいく。
……ああ。そうか。
私は笑いだしたくなる衝動を抑えるのに必死だった。
私は馬鹿だ。
タナトス様は、私を従わせるために、私が望んでいる言葉を言っただけなのだ。
なんて愚かだったのだろう。
わかっているつもりでいた。利用されているだけだということは。私はタナトス様にとって、都合のいい駒でしかないということは。
けれど、本当は何もわかっていなかったのだ。
タナトス様は、振り返らないまま、姿を消した。
空間の歪みが元に戻り、辺りがしんとした。
「……ふ」
だが、後には引けない。
私は魔力を解放する。ラミアンナーガという名の醜い半漁人の姿が、魔界と契約して得た私のもうひとつの姿だ。
「勇者たちよ。お前たちをここで足止めするのが私の役目だ。付き合ってもらうぞ」
「……ファウナッハ」
勇者が苦々しい顔をする。
馬鹿だな。お前がそんな表情をする必要はないのに。
そう思いながらも、私は魔法を唱えた。
聖剣の勇者たちは強かった。
恐らく、一人一人を相手にしていれば結果は違っただろう。
赤い髪の妖精が魔法を唱える。
呪文を唱える間には隙が生まれる。そこを狙いたいのだが、金髪の少女や勇者がそれをさせない。
どれだけ攻撃を加えても、少女が回復魔法を唱えれば意味がなくなってしまう。
そんなことを繰り返しているうちに、ダメージが溜まってしまった。
気がつけば、息も絶え絶えになった私に向かって、勇者が聖剣を突き付けていた。
「……様ないな。まあ、時間稼ぎをすることはできた。役目を果たせたのだから上出来だろう」
私が自嘲的に言った言葉に勇者は顔をしかめた。
妖精が魔法を唱える。とどめを刺そうというのだろう。
「待って、ポポイ。僕がやる」
勇者が妖精と私の間に身体を割り込ませた。
「なんだ?自らの手で引導を渡そうというわけか」
私は虚勢を張って威勢よく勇者を見上げた。
勇者と目が合う。
青い瞳。嵐の予感がする、暗い空の色だ。
私と同じ瞳をした、ただの少年がそこに立っていた。
「……あなたを殺すのは僕だ。だから……」
「だから?」
「ずっと、覚えています。あなたがいたことを。僕が殺したことを」
私は返す言葉を失った。
ああ……なぜだろう。
失うことなど、怖くないと思っていたのに。
私が死んでも残るものがあることに――安心するなんて。
「……ランディ」
私は唇に、勇者の名前を乗せた。
勇者が泣きそうな顔になる。
聖剣が振り上げられた。
タナトス様の目的とは、一体何だったのだろう。
私には、あのお方の考えていることは少しもわからなかった。
恐らくは誰にも、わからないだろう。
タナトス様の望みは叶うのだろうか。
私は、それが叶ったほうがいいと思っているのだろうか。それとも、勇者が勝利すればいいと思っているのだろうか。
わからない。
私は――後悔しているのだろうか。
わからない。
最後まで、何もわからないまま――私の意識は闇に沈む。
だがどこかその闇は穏やかで、優しいもののような気がした。
2010.2.6