人魚姫
5
「最初に、ひとつ尋ねてもいい?」
私の言葉に勇者はこくりとうなずく。
「あのときなぜレジスタンスのメンバーとして牢に入っていたの?」
勇者はああ、と言った後、口を開いた。
「帝国からの和平の申し出があったとき、レジスタンスとしては願ってもいないことだ、応じようという意見が大半だったんだ。でも、リーダーのクリスは罠じゃないかと疑っていて、城に出向くかどうか最後まで迷っていた。だから、僕がレジスタンスのメンバーの一員として護衛につくよって言ったんだ」
あのときはまだ、ゲシュタールぐらいにしか顔がばれていなかったしね、と勇者は言う。
なるほど、仲間の他の二人ならばとにかく、平凡な出で立ちの彼ならば正体もばれないだろうと踏んだのか。
「それで本当に和平の申し出だったならよし。もしも罠だったら、僕がクリスたちを守る手はずだった。万が一守り切れなかったときのために、一日経っても僕たちが戻らなかったら城まで来てくれるようにプリムとポポイには言ってあったんだ」
「結局、申し出は罠であんたは彼らを守り切れずに投獄されて……その後仲間に助けられたのか」
「プリムたちはどうせ罠だからって行くこと自体に反対したんだけどね。迷っているクリスを見ていられなくて無理矢理納得してもらったんだ。まあ、その後、やっぱり罠だったじゃないかとか、守りきれなくて一緒に捕まるなんて本当に聖剣の勇者か、とか散々言われたけど」
勇者が軽く苦笑する。
私はちらりと彼の仲間を見た。離れたところで殺気を隠しもせずにこちらを窺っている二人には、会話の内容までは聞こえていないだろう。
「それで、話がしたいっていうのは、何?」
「……あなたと、戦わなくてはいけないのかな」
私は思わず、はあ?と声をあげてしまう。だが、勇者は真剣な様子だった。
「あのとき。牢で、あなたと目があったとき、どうしてだか、あなたと僕は似ている気がしたんだ」
私は表情には出さないようにしながらもぎくりとする。
私も同じように感じていたからだ。
「どうして、僕たち戦わなくてはいけないんだろう。そう思って」
「そんなのは、目的が違うからだわ。お前は世界を救いたくて、私は世界を壊したい。むしろ、問いかけたいのはこちらだわ」
私は嘲笑を滲ませて言う。
「なぜ、お前はそちら側にいるの?」
問いかけに、勇者の瞳が揺れた。あのときの、青く暗い瞳の色が垣間見える。
「あのとき、お前の記憶を見たわ。育った村で理不尽に迫害された記憶を」
「……やめてくれ」
勇者が苦しそうに言う。
「ねえ、思ったことがあるでしょう。どうして自分だけが、って。自分だけがこんなに辛いなら、いっそのこと」
「やめてくれ!」
「いっそのこと、こんな世界なんて滅びてしまえばいいって。自分より幸せな人間、全部一緒に死んでしまえばいいって。思ったでしょ?」
だから、私とあんたは似ているのよ。
勇者はうつむきながらも、反論しなかった。
「なのにどうしてお前はそっちにいるの?お前は、世界を壊したいと思わないの?」
私は思った。何度も何度も、想像の中でそのときを作り出した。
地震が起きて何もかも崩れ去ればいい。嵐がやってきて何もかも流されてしまえばいい。業火が襲いかかり何もかも焼き尽くしてしまえばいい。
だが、願っているだけでは何も起こらない。
だからタナトス様の手を取った。あの方と一緒にこの世界を粉々にする。
「お前を孤独にし、排除し、疎外した、この世界を憎んではいないのか?その癖、危機に陥れば聖剣の勇者となってこの世界を救えと要求した人々など、救う必要はないと思わないのか?」
「……思ったことも、ある」
勇者が、消えてしまいそうな声で呟いた。
「前は世界を壊す力なんて持っていなかったけど、理不尽な扱いを受けるたびに、たぶん、そう思ってた。力を手にしてからも……思ったことは、ある」
ほらみろ、と私はどこか溜飲の下がる思いがした。
「では、なぜ、そちら側にいる?」
勢いこんで尋ねた私に、勇者は変わらず静かな口調で言った。
「プリムやポポイやルカ様やジェマ……僕を必要としてくれた人たちがいるからだ」
私は目を細め、鼻で笑う。
「建前、でしょう?それは。こちら側でも、聖剣の勇者であるお前の力を必要としている。それでは、だめなのか。今からでも遅くはない」
そう言って、私は手を差し出した。自分でも驚きだった。この私が。タナトス様に忠誠を誓った私が、聖剣の勇者に仲間にならないかと問いかけるなど。
勇者はゆるゆると首を振る。
「……初めて、必要とされたから」
ランディは自嘲気味に口元をゆがめた。
「必要とされたのは……初めてだったから。手を差し伸べたのはルカ様だったから、僕はルカ様が言った通り、世界を守るんだ。でも、手を差し伸べたのがあなたが先だったら……」
勇者がこちらの瞳を捕らえる。私とよく似た瞳。
「もしかしたら、僕は今、あなたの側にいたのかもしれない」
あなたと、世界を壊そうとしていたのかもしれない。
でも、先に手を差し伸べた人は、この世界を救ってくれと言ったから。
だから、この世界を守る。
勇者はきっぱりとそう言った。
私は差し出していた手を下ろす。
手を差し伸べたものの、最初から、私たちの道が交わらないであろうことはわかっていたような気がした。
もしも――もしも。
私に最初に手を差し伸べたのが、タナトス様でなかったとしたら。他の誰か、例えばこの、聖剣の勇者だったとしたら。
私は今、世界を救おうとしていたのだろうか。
「あなたは本当にいいの?」
「え?」
勇者が遠慮がちに尋ねてくる。
「タナトスはあなたを必要としているのではないよ。あなたの力だけを必要としている……それでもいいの?」
その言葉の意味を理解すると、私は大笑いしたくなった。
「お前、何を言ってるの?そんなの私もお前も同じじゃない」
「……」
「世界を救ったら、お前の力など必要なくなる。お前など必要とされなくなる。そんなこと、わかっているでしょう?」
勇者は口を噤んだ。
そう、わかっている。
タナトス様は、私を利用しているだけだ。
私が何を犠牲にしても、タナトス様が本当の意味で私を必要としてくれることなどないだろう。
そんなことはわかっている。私は後悔していない。
私に利用価値がなくなって、タナトス様に見捨てられても、もう人間に戻れなくても、後悔などしない。
刹那でいい。誰かに、タナトス様に、必要とされた。それが私の力だけが目当てだったとしても、それでいい。
私は――失うことなど怖くない。
「……あなたとは、別のかたちで会いたかった」
勇者が言った。なんとなく、その顔を見れなかった。
「……私も同じ意見だ」
目を逸らしたまま言う。
「だが、結果は変わらなかったかもしれないな」
私の言葉に、勇者が苦笑する気配がした。
そのとき、ふいに背筋がぞくりとした。
「そろそろ、おしゃべりはしまいにしないか?」
そう低い声が響く。
聖剣の勇者がはっとして顔をあげ、勇者の仲間が駆け寄ってくる。
私の背後の空間が歪んだ。景色が渦のようになり、そのあとに現れたのは、私の絶対的な君主。
「……タナトス様」
私の呟きを無視して、タナトス様は「久しぶりだな、諸君」と勇者たちに向かって笑って見せた。
2010.2.6