君が好き
1
まだランディとプリムの気持ちが通じあっていなかった頃。
ランディがプリムになるべく会わないようにしていた頃。
ランディはパンドーラに近づくことを避けていた。プリムに会う可能性があったからだ。
しかし、そうも言っていられないときもある。ランディは、古いマナに関する文献がパンドーラの国立図書館にあると知り、久しぶりにパンドーラに足を踏み入れた。
プリムが通らないであろう道を考えて歩ていたランディだったが、思わぬ人物に出くわしてしまった。
ランディはその人物に無理矢理に近いかたちで連れていかれ、一軒のバーの席に座っていた。
「こういうところ、よく来るの?」
ランディはその人物――パメラに声をかけた。
「以前は足を踏み入れたこともなかったんだけれど。最近は、家の者には内緒でよく来るわ」
そう言ってパメラは笑ってみせる。バーと言っても、ランディが旅していた頃にしなびた町で見かけた場末のものとは違い、高級そうな造りであり、落ち着いた雰囲気だ。客層も上流階級の者が多い。
「ここに来る客は、世間とか自分の立場から少しの間でいいから離れたいという人が多いの。だから客同士、お互いの立場を詮索するようなことがないし、店で見たこと、聞いたことを噂にすることはタブー。だから好都合よ」
パメラはグラスを置くと、ランディに向き直った。
「ねえ、どうしてプリムに会いに来なくなったの?」
やはりその話か、とランディは苦笑する。
「プリムには気づかれないようにうまく行動したみたいだけど、周りから見てるとわかるわ。プリムが不思議に思わないように、徐々に会う回数を減らして、最近では手紙の数も減らしていって。手紙も、行った場所については書いてあっても、これからの行き先は書いていないから、プリムが会いに行こうとしてもできない。――全部、わざとよね?」
「…………」
「ねえ、どうして?」
マナの研究が忙しい。
ポトス村から出たので、なかなかパンドーラにやってくる機会がなくなった。
言い訳はいくらでもできる。だが、それではパメラは納得しないだろう。ランディは正直に答えることにした。
「……もう、プリムとは会うべきじゃないと思ったから」
「どうして、そう思ったの?」
パメラがグラスに口をつけながら言う。
ランディは自分もグラスに口をつけた。グラスの中身のカクテルは、値の張るものなのだろう、甘くて、いくらでも飲めてしまいそうだ。
「……僕は……プリムにあの戦いのことは忘れてほしい。そのためには、僕は近くにいるべきじゃないと思った。プリムには幸せになってほしいんだ。ただ、それだけ」
トン、とグラスをテーブルに置く音が、ランディの言葉を止めた。
パメラが真っ直ぐにランディを見つめた。そしてゆるく首を振る。
「無理よ。ランディ」
パメラは神託を告げる巫女のように、おごそかに宣言した。
「幸せになってほしい。……私もそう思ってたわ」
ディラックに、と呟くパメラをランディは驚いて見つめた。彼女の口から、彼の人の名前を聞くのは初めてだった。パメラと親しくなってからも、その付き合いはやはりプリムを通してのもので、あの戦いでパメラがしたことまで踏み込んで話したことなどなかった。
「ディラックが幸せならそれでかまわないって、ディラックとプリムのことを応援しようって、そう思おうとした。……でもね、恋ってそんな、綺麗なものじゃないわ」
どうして私じゃないの?
どうして私じゃだめなの?
「気付くと、いつでも何度もそう思ってた。どうしてプリムは良くて、私じゃだめだったの。ディラックがプリムに微笑みかけるたび、プリムなんていなくなればいいと思ってた。
プリムがキッポ村にディラックに会いに行くと言ったときには、道中でモンスターに襲われて帰って来なければいいとか、またお父さんにお見合いを強要されたことを聞いたときには、断りきれずに婚約すればいいのにとか――そうすれば、ディラックは私のものになるんじゃないかって馬鹿なこと、本気で考えていた」
青い巻き毛。柔らかな線を描く顔の輪郭。おとなしい雰囲気をまとった彼女は、深窓の令嬢、という言葉がぴったりだ。
その彼女の口から出てくる、似つかわしくない激しい言葉に、ランディは唖然とした。
「ディラックを、ディラックのすべてを手に入れたいって思った。そのためには何でもする、彼が不幸になってもかまわないと思ったわ」
――ディラックはここで私と暮らすの!
帝国の古代遺跡の入口で、プリムに向かって勝ち誇ったとように言ったパメラを思い出す。
今、目の前にいる彼女からは想像できないほど、目をぎらつかせて、嘲笑で口角を釣り上げていた。
「私の心の隙間に入り込んだのはタナトスだったけれど……プリムに投げつけた言葉は、操られていたせいではないわ。全部、私のものよ」
そう言ってパメラはひたり、とランディの瞳を見つめた。
「プリムに幸せになってほしい?会わない方がいい?……ねえ、ランディ。あなたは本当にそれでいいの?」
「…………」
「プリムが他の誰かと結ばれて、それで満足?プリムに他の誰かが触れるのよ?それを許せる?」
ランディはそっとパメラから瞳を逸らした。
何も答える言葉がなかった。
自分ではない、他の誰かが彼女に触れる。そのことを想像しそうになり、怖ろしくなってやめた。想像してしまうと、自分の決意が崩れてしまいそうな予感がした。
結局、会わない時間が続くと、プリムに会いたいという気持ちはランディの中で膨れ上がった。
慰霊祭で再会し、情けないことだが、プリムから気持ちを告げられて、彼女の覚悟を知った。
周囲にどう思われようと、彼女のことを自分の手で幸せにしよう。
そのとき、ランディはそう決意した。
――はずだった。
2009.7.19