荒野の向こう

 

 目を開くと白い天井があった。
 ため息をついて体を動かしてみる。途端に腹部に激痛が走ってうめき声があがった。
「ランディ? 目が覚めたのね!」
 悲鳴に使い声があがった途端、視界いっぱいに涙ぐんだクリスの顔が広がった。
「クリス……僕、どうし、たんだっけ」
「私をかばって刺されたのよ!血がいっぱい出て……もうだめかと思ったわ!」
 クリスがとうとう我慢できずに涙を流し出す。気丈な彼女のそんな姿は見たことがなく、ランディは困ったように微笑んだ。
「ああ、そうだ……会合は無事、終わったの?」
「大丈夫。ノースタウンは、無事タスマニカの保護下に置かれることになったわ」
「そうか……これで、世界の平和に近づいたね」
 だんだんとよみがえってきた記憶とクリスの言葉がつながって、ランディは胸を撫で下ろした。
「ごめん、最後の最後でドジった……」
「私こそ。危険なことに巻き込んでごめんね」
「僕はかまわないよ」
 ランディの言葉にクリスが首を振った。
「だめよ。これ以上、ランディを頼れない」
「クリス……?」
「ほかの人に護衛を頼むわ」
 ランディは苦笑する。
「それって、僕はクビってこと?」
 ランディのおどけた様子に合わせるようにクリスは涙をふいて笑った。だが、声は震えていた。
「そうよ。あなたの傷つく姿をこれ以上見ていられないの」

 

「こんばんは、マリクト」
「おや、まだ生きてたのかい」
 マクリトの容赦ない言い草にランディは目を細めた。「まあ上がりなよ」というマリクトの言葉に、お邪魔します、と頭を下げる。
 腹の傷をかばってひょこひょこと歩くランディの様子を見たマリクトが顔をしかめる。
「毎度毎度突然来てもたいしたものは出せないよ。まあ、その傷じゃあ粥くらいしか食べられないだろうが」
 マリクトは作っていた途中だったらしい夕飯の準備を一旦やめ、新たに鍋を出してランディの分を作り始めたようだった。ランディはめっそうもない、ごちそうになります、と再び頭を下げた。
 やがて準備ができて、二人で食卓についていただきます、と唱える。
「で? またクビかい」
「うん。これで四回目」
 ランディは柔らかく煮詰められた米に息を吹きかけて冷ましながらうなずいた。
「最初がパンドーラだったっけね」
「違う、最初がタスマニカの騎士。暗殺者から王様かばって目の近くに矢がささってジェマに青い顔されて。次がパンドーラの騎士団でモンスター討伐の手伝いしているときに無茶に懐に入りすぎて大けがして。それが王妃様の耳に入ってやめさせられた。で、次がカッカラ王国で」
「アリ地獄にはまった子どもを助けようとしたんだったっけね」
「そう」
「で、レジスタンスのリーダーにも愛想つかされたのかい。もう行くところないんじゃないかい」
「本当だよ」
 ランディの乾いた笑いが響いた後、しばらく食器とスプーンが触れ合う音だけが続く。
 ランディはここしばらく、クリスの護衛についていた。
 ノースタウンでは皇帝は死体が発見され、四天王も倒されたため、国の統治自体が空中分解していた。そこで指揮をとったのがクリスをはじめとするレジスタンスだった。
 戦いの間から、レジスタンスはタスマニカの援助を受けていた。そのため、正式にノースタウンがタスマニカの保護下に入ってから、今後のノースタウンの方針を固めていこうという話になっていた。
 事実上、ノースタウンがタスマニカの支配下に置かれることになる。だが、他国から襲撃を受ける可能性もある今の不安定の状態のままではおけないというのが、レジスタンスの考えだった。
 クリスは町の人々の安全を第一に考えてこういった結論に達したのだが、もちろん反対もある。
 タスマニカの侵攻だと声高に唱える者、今後のノースタウンが共和制をとっていこうとする方針に反対する特権階級の者。さまざまなものが、レジスタンスのリーダーであるクリスを襲う危険性があった。
 何人か正面から襲ってきた者を倒し、内通者を見つけ出し、とランディは順調に護衛を務めていた。だが、タスマニカとの会合に向かうとき、馬車に乗ろうとしたクリスを突然ナイフをかざした男が襲った。
 どうにかして情報を得て、待ち伏せしていたらしい。
 とても深く考えている時間はなかった。ランディの記憶はクリスと襲撃者の間に自分の体をすべりこませたところで途切れている。
 ほとんどの食事を胃に収めたところでランディがふいにため息をついた。
「これでも一応さ、仕事はまっとうしているんだけどね」
「優秀な護衛っていうのは、自分も怪我ひとつせずに守るものだよ。クビになって当然だね」
「うっ……相変わらず厳しいなマリクトは」
 ランディが顔を引きつらせると、マリクトはふん、と言って空になった食器を下げ始めた。ランディが手伝おうと腰を浮かしたのを、マリクトが手で制する。ランディは小さく会釈した。
「慰めてほしいなら私のところに来ることが間違いだって言っているじゃないか」
「慰めてほしくないからマリクトのところに来るんだってば」
「ふん。いい迷惑だよ」
「まあそういわずにさ」
 マリクトはキッチンから戻ると、ため息をついてずいとランディに顔を近づけた。
「さっきは言い間違えたよ、こうだった。まだ生きていたのかい――この死にぞこないが」
 ランディはその言葉に、実に愉快そうに笑った。

 

「なあランディ。本当に大丈夫なのかよ」
「うん、怪我は完治したよ。心配しなくてもきちんと仕事はするよ」
 ボブが不安そうな顔でこちらを見るのに、ランディは笑顔を返した。
 ランディはポトス村の聖剣の森に最近モンスターが頻出しているという村長からの依頼を受け、以前モンスターを目撃したボブを道案内に進んでいた。
 この森の中を再びボブと歩くことになるとはと、少々感慨深くなる。
 ボブはそんなランディの様子を見て目を細めた。
「そういうことを言ってるんじゃなくてよ。一応心配してるんだ。モンスターが出るっていってもたまにだし、完治したっていってももう少し休んでからでもよかったんじゃないか」
 ボブの口から出た心配、という言葉に、ランディは目を丸くして思わず彼を見つめてしまう。
「……ボブ、キャラ変えたの?」
「お前……なんて言い草だ! このいじめらっれ子が!」
 ボブがランディの首に腕を回して本気でしめてくる。ランディは彼の腕を叩いて必死に「冗談です! いじめっ子様!」と叫んだ。
 ボブはふん、と言って腕を放すと溜息をついた。
「俺だってお前が追い出されてからいろいろ考えたんだよ。……礼をずっと言おうと思っていた」
 ボブの言葉の意図するところがわからず、ランディは首を傾げる。その様子に、ボブは言葉を続けた。
「モンスターから助けてもらっただろ」
「あ、ああ……」
「あと、詫びをいれたかった。ポトス村はお前にとっては居心地いい村じゃなかったよな。よそ者だっていって迫害されて……それがおかしなことなんだって、お前がいなくなっていろいろ考えて、ようやく気が付いたんだよ」
 ランディは思わず黙ってしまう。どんな感情を抱けばよいのかわからなかったのだ。
「村のみんなも俺と同じで、反省してるんだ。今更遅いかもしれないけどよ、お前の故郷はポトス村だろ。聖剣返した後はだいぶ村長の家に滞在していたけど、そのあとまた飛び出していっただろ。もう少し居ついてくれよ。村長も言わないだろうけど寂しがってるぞ」
「……僕、そんなつもりじゃなかったよ」
 ランディは聖剣を返すためにポトス村に滞在したが、その後には騎士団や護衛の仕事を転々としていた。仕事に当てがなくなったので少し村に寄ってみたのだが、村の人々は今でもランディが村に帰ってきにくいと思っていると考えていたようだ。
「ならいいんだけどよ」
 ボブは再び歩き出した。ランディもそれについていく。
「ま、キャラ変えたっていうならお前のほうだと思うけどな、ランディ」
「え?」
「なんかふてぶてしくなった。開き直ったっていう感じがする」
 褒められてる気がしない、とランディが口をとがらせると、ボブは大きく口を開けて笑った。
「いいことじゃねえか。こんな風にお前と話せるようになるとは思ってなかったよ」
「……僕も」
 ランディは、ボブを見つめる。もともと体格のよかったボブだが、しばらく見ないうちにすっかり大人の男の体つきになっていた。先ほどの会話からうかがえるように度量も広くなった。
 ポトス村を出ても、幼少から刷り込まれた卑屈さはなかなか消えず、村の人々には相変わらずうまく話せなかったランディだが、ボブは溌剌と話しかけてきた。
 ネスも、父親の後をついで医者になると言って勉強を始めたと言っていた。そのときの精悍さの増した顔と理知的な瞳が忘れられない。
 あの戦いが与えた理不尽な仕打ちは大きかった。だが、糧にして前に進んでいこうとしている人もいる。
 ランディは苦い顔をした。彼の様子には気が付かず、ボブが頭をがしがしとかいてあたりを見回していた。
「おっかしーな。このあたりでマイコニドが二、三十匹うろうろしているのを見たんだけどな」
「え、そんなにいたの?」
「ああ、驚いて腰抜かすかと思ったぜ。でも襲ってくるのでもなしにうろついているだけで……それにしても妙だなあ。ラビも一匹もいないなんて」
 ボブの言葉に、ランディの胸に嫌な予感が広がった。
「……一旦、村に帰ったほうがいいかもしれない」
「え?」
 ボブが聞き返したそのとき、獣の咆哮が大地を揺るがした。
「な……っ!?」
「ボブ、村に向かって走って!」
 ランディはボブの背中を突き飛ばすと、モンスターの殺気が膨れ上がったほうへ走り出していた。
 腰にさした鞘から剣を引き抜く。
 モンスターが大量にうろついていたのに、後になって一匹も見当たらなくなった。
 そこから導き出せる結論はひとつ。聖剣の森に極端に強いモンスターが現れて、駆逐されることを恐れた弱いモンスターが移動したのだ。
 ボブに危害を加えられないよう、村に危険が迫らないよう、ここで食い止めなければいけない。
 ランディは茂みを走りぬけると、気配が濃厚な場所に踊りだした。
 その瞬間、襲ってきた斧を慌てて剣で受け止める。
 力任せに押し返し、敵の姿をさっと確認する。普通の数倍はある大きさのゴブリンだった。赤い目を光らせ、涎を垂らしながらにたりと笑っている。
 ゴブリンはふつう、群れをなしてある程度の社会性を持って生活している。見たところ一匹だけのこのゴブリンはそれらとは違う。おそらく突然変異体で群れから追い出され、体躯を生かして周りのモンスターたちを食べて生きながらえてきたのだろう。
 ランディは地面を蹴り、剣を振りかぶった。斧によって防がれたところを再び剣をかまえ、今度は斬撃を繰り出す。
 大きな身体ゆえに力は強いが動きは鈍い。浅くだが手ごたえがあった。
 ランディは素早く相手と距離をとると、再び剣を構えなおした。
 続けて畳みかけるように斬撃を繰り出す。何回か防がれるが、回数を重ねると相手はランディの素早さについてこられず浅い傷を負わせることに成功する。
 何度となくそれを繰り返し、離れて相手の様子をうかがうが、ゴブリンのほうは悠々と立っている。対してランディは少し息が上がってきていた。
 あちらは巨大な体ゆえ、たいしたダメージにならないような傷では意味がないようだ。一気に勝負をかけるしかない。
 その考えを読んだように、今度はゴブリンから仕掛けてきた。
 重たい斧の攻撃を、先ほどと同じく剣で受け止める。そのとき、ずきりと腹部に痛みが走った。
「……っ!」
 傷は治ったものの、回復してから日が浅い。思わず手から力が抜けた。
 剣が鋭い音を立てて遠くへ飛ばされる。ランディはなんとか斧をよけるが、足がもつれて地面に倒れこむ。
 ゴブリンの赤い瞳がぎらりと光った。
 ランディは振り下ろされる斧を茫然と見つめていた。
 ――ああ。これで。
 やっと死ねる。

 

 ずっと死にたかった。
 戦いが終わった後、聖剣を返してから、どうしたらいいのかわからなくなった。
 ポトス村の村長の家で、村の手伝いをしながら過ごす時間は穏やかだった。村の人々は先ほどのボブのように言ってくれた。私たちが浅はかだった、君は何も悪くない、これからはずっとここで過ごせばいい。
 それは待ち望んでいた言葉のはずだったのに、僕はどうしても、受け入れられなかった。
 村の人々が悪いのではない。
 にこにこと会話を交わしながらも頭の中ではいつもぐるぐると同じ言葉が回っていた。
 なんで僕、まだ生きているんだろう。
 僕は聖剣の勇者だ。聖剣を振るい、世界に平和をもたらすのが役目だ。
 それはもう終わった。世界に平和が戻りました。めでたしめでたし。
 さて、ハッピーエンドの後、勇者はどうするのだろう。いつまでもいつまでも幸せに暮らしました?
 お姫様じゃあるまいし、そんなわけはなかった。
 もう終わったのに、僕はまだ生きている。それがわからなかった。
 もう終わりでいいのに。なんですべてが終わったあのときに、僕も終わりになってしまわなかったんだろう!
 だって生きていたって何にも意味はない。もう、手に入れたかったものは零れ落ちてしまった。二度とつかむチャンスはない。
 けれど、自分で死ぬわけにはいかなかった。ポポイのことや、ディラックさんのことを考えると、とてもそんな選択はできなかった。
 だからわざと危険な仕事についたのだ。いつかはずみで死んでしまえるように。
 最初はタスマニカの騎士団だった。
 だが、命に危険が及んだことから、ジェマにもうやめろ、と言われてしまった。
 お前を見ているのが辛い、もっと自分を大切にしろと言われた。
 パンドーラの国でもカッカラ王国の王様にも同じことを言われた。
 そしてクリスもだ。ボブも。
 みんな何を言っているんだろう?
 僕は辛い。苦しい。自分を大切にするのが辛くて、苦しい。
 大切になんてできるはずがない。僕がこの世で一番疎ましく思っているのは、世界でも、皇帝でも、タナトスでもない。
 自分自身だ。
 もう終わりにしたいんだ。もう、死んでしまいたいんだ。
 だって生きてるのが辛いんだ。
 なのにみんなが、生きろと言う。
 なんで? なんで生きなくちゃいけないんだ。
 生きろと言わなかったのは、マリクトだけだった。だから、息苦しくなったらたまに彼女のところに顔を出した。
 まだ生きてたのかい、この死にぞこないが。
 その言葉は実に的を得ていた。
 僕は死にぞこないだ。ただの、死にぞこないなんだ。
 ボブやネスのように、あの戦いを糧に成長なんてできない。
 未来を作っていくことなんてできない。
 だって、辛くて苦しいだけなんだ。この先もきっと。
 ああ、これで、やっと死ねる。 


「ねえ、なんでマリクトは生きてるの」
 あれは死にかけたときの何回目だったか、マリクトに尋ねたことがあった。
 彼女は思い切り顔をしかめた。不快感を隠そうともしない。
 答える気はないらしいと判断したランディは不満そうにさらに言いつのる。
「だってさ、旦那さんは暗殺されちゃったんでしょ。帝国への復讐も僕が果たしたでしょ。もういいんじゃない?」
「……」
「大事なひともいない。目的もない。もう死んでもよくない? ねえ、なんで生きてるのさ」
 本来の気弱なランディであれば、こんなことを不躾にきくような真似などできるはずもなかった。
 だが、マリクトにはきくことができた。驚くほど軽々しくひどいことが言えた。マリクトに言った言葉は、倍になってランディに返される。それを望んでいたのだ。
 果たして、マリクトはいやそうに眉をひそめると口を開いた。
「死にぞこないが。本当にききたいことはそうじゃないんだろ」
 私をあんたの自虐行為に巻きこまないでくれるかい。そうため息をつきながらもマリクトは言った。
「どうして僕は生きなくちゃいけないのかって……そうききたいんだろ」
 ランディが満足げにうなずく。
「僕が死ぬと泣くひとがいるからとか、ポポイやディラックさんが守った世界だからとか、父さんと母さんにもらった命だからとか、もうどうでもいいんだよね。一通りの綺麗事は自分に言い聞かせたからさ、マリクトの意見をききたいなと思って」
 マリクトがランディに近づく。ランディがきょとんとしていると、足が振り上げられて、みぞおちにかかとを落とされた。
「いいい、いったあ!」
 確かそのときも、怪我が治りきっていないときだった。プリムよりはもちろん威力は劣るが、まったく容赦のない攻撃に、ランディは身悶えた。
 マリクトが冷たい視線を寄越す。
「ふん。あんた、あたしに言ってほしいんだろ」
「な、なに?」
「だったら死ねばいいって。誰もあんたが死ぬことを許してくれないから、誰かに言ってほしいんだろ?」
 ランディが目を見開く。マリクトは彼に背を向けた。
「言っておくけど、絶対に言ってやらないからね。あたしの目覚めが悪い」
「ええー、そんな自分勝手な理由……」
「勝手はどっちだい」
 ランディは確かに、と言って笑った。ねえじゃあさ、と言葉の軽さを変えずに言う。
「僕と心中してくれる?」
 マリクトが一瞬黙った。その後、火がついたように笑いだす。
「絶対ごめんだね。あんたが旦那よりもいい男になったら考えてやってもいい」
 ランディのあげた不満そうな声と、マリクトの爆笑が混ざり合った。

 

 目を開くと白い天井があった。
 ため息をついて体を動かすと、ふいに声が降ってきた。
「今度こそ死んだと思ったのにってところかい」
 驚いて体を浮き上がらせるところだったが、鈍痛があちこちからやってきてうめき声しかあげられなかった。
「マリクト……なんで」
「今度こそはだめかもって聞いてね。死にぞこないが死ぬところを見届けてやろうと思ったのさ」
 けれど無駄足だったようだね、といつもの調子で言う。
 せっかくポトス村まで来たのに、旅費を返してくれよ。
 マリクトの言葉から、本当に危険な状態だったのだろうと察する。サウスタウンからポトス村まで、フラミーという移動手段のない一般人は一週間はかかるはずだ。
 ランディは再びため息をついた。
「マリクトの言った通りだよ。……今度こそと思ったのに」
 なんで死ねないのかなあ。
 ランディのつぶやきはまったく無視して、マリクトが病室のカーテンを開いた。
 淡い光が射す。ランディはその眩しさに腕で手を覆った。
「そろそろあきらめたらどうだい」
「……あきらめて、生きろっていうの。自分だって生きてる理由なんてないくせに」
 マリクトがランディの腕をつかんで、無理矢理持ち上げると瞳を覗き込んだ。
「死にたがってるやつほど死ねないもんさ」
「……やめてよ」
 ランディはマリクトの手を振り払った。
「聞きたくないよ」
「……あんた、あたしにどうして生きてるんだってきいたね。教えてやるよ。どこかの死にぞこないが、あたしのところにたかりにくるからだよ」
 ランディは言葉を失った。マリクトの空色の瞳がこちらをじっと見つめていた。
 ふっと細められた瞳に、同情の色が映る。その変化にランディが眉をひそめる。
「……マリクト?」
「さて、死にぞこないがまた死にぞこないになったところも見られたし、あたしは帰るかね。あんたはたっぷり説教されてくれ」
「説教?何……」
 ランディの言葉を遮って、大きな音を立てて扉が開いた。
 思わず振り返ったそこに、一人の少女が凛として立っていた。
 金色の髪を腰まで垂らした彼女の、しなやかに伸びた体躯からは存在感がみなぎっている。鮮やかな瞳が射抜くようにランディに視線を注ぐ。
 一目で美人とわかるその顔は、しかし、怒りで紅潮していた。
 ランディの顔からは逆に、一気に血が下がっていく。
「プリム……!?マ、マリクトが知らせたの!?」
「言いがかりはしないでおくれ。ゴブリンにやられそうだったあんたを助けたのは誰だと思っているんだい。この御嬢さんが近隣に残っていたマナの残滓をかき集めて魔法を使って仕留めたんだよ」
 マリクトは早口で言うと、部屋からさっさと出て行ってしまった。巻き込まれたくないという態度がにじみ出ている。
 ランディは今すぐ逃げ出したかったが、怪我の痛みから体を起こすこともできそうにない。おろおろしていると、プリムがずいと顔を近づけてきた。
 美人って怒ると迫力出るよな、とどうでもいいことを考える。ただの現実逃避だ。
「……ランディ、ひさしぶり」
「ひ、ひさしぶり……」
「あちこちの国に行って危険な仕事ばかり引き受けては無茶ばかりしてると聞いたけど」
 本当のことなので、ランディは黙るしかない。
 プリムは壮絶な笑顔を浮かべたまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「懐かしいわね。最初に会ったときにも、君はゴブリンにやられそうになっていて、それを助けたのよね」
「そうだったね……」
「最初の時は釜茹でにされそうになってたわね。今回は生でおいしくいただかれるところだったのよ、君」
 プリムは水の神殿に行くところで、助けを呼びにむちゃくちゃに走ったボブと偶然出会い、現場にかけつけたらしい。
 ランディは斧の一撃で大量出血して気を失っており、ゴブリンがその右足にかみついて食べようとしていたところだったという。
 言われてみると、痛みを感じる全身の中で、右足だけがまるで感覚がない。
「私はひさしぶりの魔法で疲労してしまって、ボブが君を担いでなんとか村まで戻ったの。お医者さんが運悪く外出していて、まだ見習いのネスが必死に治療したのよ」
「……そう」
 なんと返せばいいかわからず、曖昧に視線をそらすしかなかった。
 プリムがぽつりとつぶやく。
「……それでも君は、まだ死にたいっていうの」
 ランディは今度こそ何も言えなくなってしまった。
 その本音は自分自身とマクリトしか知らないはずなのに、けれど、プリムにはランディの行動を知るだけでわかってしまうのだろう。それだけのものを自分たちは共有した。
 何も答えないランディに、プリムは彼の腕を力任せにつかんだ。
「わかったわ」
「え?」
「そんなに死にたいなら、死なせてあげる」

 

 まだ動かしていい状態じゃないと言うネスをにらみつけるだけで黙らせたプリムは、ランディを無理矢理引っ張ってフラミーに乗せた。
 どこに行くの、というランディの問いかけも完全に無視だ。
 上空の気温の低さと、二人の間の雰囲気の重さにランディは身震いする。
 雲を抜けてフラミーが飛行していく先に、見覚えのある島を見つけ、ランディは戸惑った声を出した。
「プリム」
 呼びかけにプリムは応えない。
 そのまま静かに目的地にふたりを送り届けたフラミーは、心配そうに一声鳴いたあと、空に帰って行った。
 プリムは相変わらず黙ったまま、ランディに背を向けている。ランディは傷の痛みから立ち上がれず、地面にへたり込んだまま目の前の景色をぼんやりと見つめるしかなかった。
「……母さん」
 そこは、無残な姿となったマナの樹の目の前だった。
 幹が途中から消えてしまっている大きな樹は、かろうじて残ってはいるが、生命力はもうない。いつか枯れて大地の糧となるのだろう。
 ランディが思わず目をそらすと、プリムが何やら両手を動かしているが見えた。
 彼女は手にナックルをはめているところだった。
「プリム……?」
 ランディが名前を呼んだ瞬間、彼女の拳がランディへ向かって突き出された。ランディはかろうじて避ける。
 プリムは仏頂面でランディを見つめた。
「ちょっと。なんで避けるのよ」
「なんでって……!?」
「死にたいんでしょ。だったら、私が殺してあげるって言ってるのよ」
 プリムの言葉に、ランディは頭が真っ白になった。
「お母さんの目の前で、私が、君のことを殺してあげる」
「何を……何を言って」
 ランディがプリムの言っていることを租借する前に、プリムが動いた。彼女の右足が振り上げられる。
 ランディは慌てて後ろによけるが、まだ回復しきっていない身体ではうまく動けない。鋭い蹴りが彼の頬をかすめた。ランディの傍らの地面を抉るその威力にぞっとする。
 おそるおそるプリムを見ると、彼女の眼には何の感情も浮かんでいなかった。
「だからなんで避けるのよ」
「……できるわけないだろ」
 ランディは怒鳴っていた。自分が偉そうなことを言える立場でないことは重々承知していたが、言わずにはいられなかった。
「君に僕を殺させるなんて、そんなことできるわけないだろ!」
 ランディにとって、プリムは大切な仲間だ。
 目の前で恋人を失った彼女に、さらに自分という仲間を殺させるなんて役目を背負わせるわけにはいかない。ましてや、自分を守り逃げ延びて、世界に身をささげた母親の前だ。
 だが、ランディの言葉にさっとプリムは顔色を変えた。怒りで震える声を絞り出す。
「だったら! 勝手に死のうとするんじゃないわよ!」
 プリムの瞳から零れ落ちた涙の粒がはらはらと落ちる。
「君が命に関わる怪我を何度もしたって聞いて、胸のつぶれそうな思いをしたのよ! そのくせ、私に殺される覚悟もないの!?」
 彼女はランディの胸倉をつかむと自分へと引き寄せた。口付けのできそうな距離に顔が近づく。
「ねえ、ランディ。君、わかってたんでしょ」
「……何を?」
「私が君に『死なないで』って言えば、死ねないって」
 だからずっと、私から逃げてたんでしょう。
 プリムの言葉は決定的だった。ランディは肩からがっくりと力が抜けていくのを感じた。
 両手にのしかかった男性一人分の重さに、少しプリムの身体が傾いだ。
 あきらめたようにランディの口からため息が出た。
「……そうだよ。君が、僕が死にたがっていることに気が付いて、僕のところに来たら……とても死ねないって思った。だから、早く死んでしまいたかったのに」
 次々と首になったせいもあるが、あちこちを転々とし職を変えていたのはプリムから逃げるためでもあった。
 ランディの噂を聞いて彼女が駆けつける前にと、怪我が治りきらぬうちに元いた場所を出発することもざらだった。
 すべては彼女に会わないためだった。
「私が今『死なないで』って言えば……生きてくれる、ランディ?」
 プリムの優しく言った言葉に、ランディは頭をふる。
「無理だよ。僕はもう、苦しくてしかたないんだ。ねえ、ここに置いていって帰ってよ、プリム。僕はひとりで野たれ死ぬから」
 母親と同じ場所で眠りにつけるなら悪くない。
 そう思って言った言葉に、プリムがランディの服を掴んでいた手をふいに放した。納得してくれたのかと思って顔をあげたランディに向かって、プリムが晴れやかに微笑んだ。とてもきれいな笑顔だった。
「……わかったわ。じゃあ、鬼ごっこをしましょう、ランディ」
「……え?」
 誰もが恋するような花がほころぶ笑顔をして、プリムが言葉を紡いだ。
「私が鬼よ。君を捕まえたら、私が君を殺すわ」
「プリム! 僕は、君にそんなことをさせるわけにはいかないって、さっき」
 じゃあ、とランディの言葉を遮ってプリムが叫んだ。
「一生懸命、逃げてね、ランディ」

 


「逃げてね、っておかしいよ。それはもう、生きてねってことじゃないか」
 ずるいよプリムは、とランディは盃の中のものを飲み干してをテーブルに叩きつけるように置いた。
「ふうん。それで?」
「大変なんだよ! 本気出したプリムってめちゃくちゃ怖いのなんのって! この間なんてマンダーラ村で槍もって背後から忍び寄られて! 夕飯の途中だったんだよ! 何とか避けたけど、痴話喧嘩の行き過ぎと思われたらしくて村人の視線が痛くて痛くて」
「あっはっは! これは本気で逃げないと本当に殺されるね」
「他人事だと思って」
 ランディが睨んだ視線の先では、マリクトが大笑いをしていた。
 あの後、ランディが行く先々にプリムは本当に追いかけてくるようになった。どうやら彼女は今パンドーラで父の手伝いをしているらしく、しばしば姿を見かけなくなることもあったが、ふとしたときに襲ってくるので気が抜けなかった。
 フラミーが完全にプリムの味方についてしまいランディの呼出には応じないのに、プリムは乗せて一っ跳びでランディがいる場所に駆けつけてくるのもやっかいだった。
 ランディは相変わらずあちこちを転々として死ぬか生きるかの怪我をするときもありつつ、プリムに自分を殺させないように逃げ回っている。
 マリクトがもう一品、おかずを皿に乗せながら言う。
「実際他人事だからねえ。いくら心中相手だといっても」
「……絶対ごめんだって言ったくせに」
「あたしは完全に断っちゃいないよ。あんたが旦那よりもいい男になったら考えてやってもいいって言ったんだ」
 マクリトの言葉に、ランディが目を細くした。
「……何年かかるの、それ」
「そうさねえ。ざっと百年かね」
 マクリトの出した数字にランディは思わず身を乗り出していた。
「とっくに死んじゃうじゃないか!」
 叫んだ声に、マリクトが優しく微笑んだ。
 そんな彼女の表情は初めてで、ランディは面食らう。
「よかったじゃないか、念願かなうだろ」
「なにそれ……」
 ランディは心底どうでもよくなって、椅子に座りなおした。トマトと煮詰められた鶏肉を口に運ぶと、食べ物を噛みながら考える。
 果たして、自分が死ぬのと、プリムが自分を殺すのと、百年たってマリクトが認めるいい男になるのと、どれが先だろうか。
 ランディの考えを読み取ったように、マクリトがつぶやいた。
「あたしはそんな先のことなんて考えないよ」
 誰かさんがたかりにきてもいいように、明日食べるおいしいもののことを考えるさ。
 マリクトの言葉に、ランディは久しぶりに声を上げて笑った。

 

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2013.6.3

 

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