ふるさとのあと、二十年ほど経ったバレンタインのお話。
甘くて苦い
「プリム!」
驚いたボブの声と、子どもたちの歓声を浴びてプリムは微笑んだ。金色の髪が揺れ、ぶつかるように抱き着いてくる幼子を受け止めた。
「どうしたんだ、休暇か?」
ボブが両腕に腕白な男の子たちをぶらさげたまま、プリムに近づく。
プリムは「相変わらずねえ」と眉を下げた。
「私、耳障りのいい政策だけ打ち出して現地視察しない政治家が大嫌いなのよ。自分の始めた事業ですもの、これも仕事よ、仕事」
「あんたこそ相変わらずだな。きちんと休んでいるのか」
「オンオフの切り替えができてこそ一人前だもの。そういうあなたはこれ、仕事なの、プライベートなの?」
ボブはまとわりつく子どもたちに苦笑いすると、「俺は都市の政治家様と違ってオンオフなんて必要ない、小さな村のしがない村長でしかないからな」と卑屈な言葉とは裏腹に胸を張った。
プリムはくすりと笑い、子どもたちの頭を撫でると、荷物を差し出した。
「お土産のおやつよ!」
うわあい、と子どもたちが手を叩く。
「今回はなあに?」
「やっぱりこの季節だからあれ!?」
子どもたちが口々に言うのに、プリムは「開けてからのお楽しみよ」と笑みを返すに留めた。
我慢しきれなくなった子どもたちが荷物を受け取り駆けていく。
「手洗ってからだぞ!」と怒鳴るボブの言葉にはあい!とお座なりな返事が返された。
「ごめんなさい、実はあまり量を持って来られなかったのよ。一人ひとつあたるだけかもしれないわ。ボブの家族にも、とも思ったんだけど」
「いや、十分だよ。嫁さんダイエットしたいのにあると食っちまうって言ってたしな」
「うーん、その気持ちわかるわ……運んでもらおうと思ったのだけど、フラミーがつかまらなくって」
プリムが太鼓を鳴らす仕草をする。ボブがああ、と空を差した。
「そいつはたぶん――」
彼が言いかけたときに、二人の頭上に影が差した。はっと見上げたふたりに、「ボブ、プリム!」という声がかかる。
低空飛行をしたフラミーの翼からひらりと降り立ったのは、髪が逆立った青年だった。
「ランディ!」
プリムが上げた声に、家の中に戻りかけていた子どもたちが振り向く。
「ランディだ!」
「ランディおかえり!」
プリムのときよりも勢いよく子どもたちがランディへ向かっていく様は、ぶつかるようにというより突撃すると言うに近い。
ランディの情けない声が響き、そこここから笑い声が上がった。
「なんで村長のオレよりもランディのほうが子どもたちからのチョコが多いんだよ!」
「ご、ごめん」
「人徳じゃないかな?」
「おい、ネスなんだと!」
「あいたっ!村長が殴るなんて事件だよ!そういうところ!」
「まあまあ、いつもいる人よりもたまに来る人のほうがいいのよ、子どもらしいじゃない」
プリムがいきり立つボブを宥めて場をおさめる。
冬の季節のポトス村の夜は早く、暗い。わずかな灯りがリビングを照らしている。ボブの家で夕食をとった後、ウイスキーの入ったコップを傾けながら、ランディとプリム、ボブとネスはチョコレートをつまんでいた。プリムのお土産も時節柄チョコレートだったが、それらは子どもたちに駆逐された。今口にしているのは子どもたちからのプレゼントだ。
プリムがコップを口に運びながら「事業費用はどう?」と尋ねた。唯一の女性だが、彼女は一番酒に強い。逆に一番弱いのはランディで、ちびちびと舐めるようにされているコップからは少しも量が減っていなかった。
「なんとか。プリムのおかげで寄付金もコンスタントに集まるようになったしな。……誰かさんが食い扶持を増やすから困ってるけど」
ボブの視線がランディへと向き、またも彼は肩をすくめた。
いじめっ子といじめられっ子という関係だった頃から二十年近くたっても、どうにもボブの視線は未だに苦手のようだった。
「ううう……だって……」
「お前三十路過ぎた男がだってはねえよ」
ボブがあきれ返ったように言って、ネスがにやにやと笑った。
ポトス村は現在、村を上げて孤児を受け入れる事業を行っていた。
先の戦争で親を亡くした子どもも多い。また、帝国がトップを根こそぎ失ったせいで情勢が不安定になったことからも、孤児が多くなった。そこに都市部へ働き手が流出してしまう村の事情が合致した。今はパンドーラ王国で大臣として働き、その統治下であるポトス村にも多少は口を出せるプリムの提案で事業が行われることになったのだ。
ある程度の年齢までは、ポトス村で畑仕事を手伝いながら、学校にも通う。その後、村を出てもそのまま所帯を持ってもよい、というのがルールだ。まだ子どもたちが幼い子ばかりなので、大きくなったときに進学先や就職先にどこまで面倒をみれるのか、まだまだ考えなければいけないことは多いが、概ね順調だ。
世界を飛び回るランディは、各地で孤児となった子どもを見つけるたびに連れ帰ってきていて、ボブにため息をつかれていた。
「もう俺は、中にはお前の子どもいるんじゃねえのかって疑い始めてるけどな」
「う、ええ!な、ないよ!」
「あらー、聞き捨てならないわね。元恋人の前で」
「プリムさん、僕らがどういう反応したらいいのか困ることでランディのことからかうのやめてよ」
「ふふ、私はランディだけじゃなくってボブやネスのこともからかってるのだけど?」
性格悪いな、とボブが顔をしかめて杯をあおった。ランディは困った顔をして俯いてコップに口をつけるしかない。プリムの口紅が綺麗にひかれた唇が微笑みを作る。
「じゃあ、からかったお詫びに。はい」
プリムが細長い指をつと背中にやり、荷物の底から包装に包まれた薄い箱を差し出す。ネスが瞳を輝かせた。
「あっ、もしかしてチョコレート?」
「オレの分ないって言ってなかったか?」
「ボブのご家族の分までは持ってこられなかったって言ったのよ。お子さんたくさんいるもの。ご馳走になったし、どちらかと言うと奥様宛ね」
「この包装、もしかしてパンドーラに新しくできた店の?」
チョコレートはノースタウンで修行をつんだ有名なショコラティエのものらしい。そういった流行りに目がないネスは喜色満面だ。
ネスの結婚したばかりの奥方も食べてみたいと言っていた店のものらしい。ランディは他ふたりと同じ包装の箱を手に取り、「ありがとう」とぽつりと呟いた。
「嫁が太るって嘆きながら食べるんだろうなー。一口くらいはもらえるか。どうせ食うならひと思いに開き直って食えばいいのに、どうしてだめだだめだって言いながら食うのかね」
「でも、その気持ちもすごーくわかるわ……ランディ、あんたさてはもう眠いわね?」
指摘されたランディがうーん、と唸る。首を横に振ろうとしているが、身体がゆらゆらと揺れている。
「フラミー独占して、どこで何してたのかしらね」
「……プリムさんにも言わないの?」
「ムカつくことにね。昔っから変わらないわよ。大丈夫って、そればっかり。そこが別れた原因」
プリムがランディの額を人差し指で弾いた。綺麗に整えられた爪が当たって痛かったのだろう、くぐもった呻き声がする。そのまま机に突っ伏してしまう。どうやら本格的に酔っぱらってしまったようだ。
「だから、そういう返しに困ること言うのはやめてってば」
「こいつは危なっかしくてな。ジェマ様のように独り身で立派な人もいるけどなあ……いい加減所帯持って一所に落ち着け、とは言ってるんだが。いつも適当に濁されて終わりだ」
「そうねえ。ランディには叱り飛ばしたり、ときには殴ってでも止めるような人が必要よねえ」
それがプリムだったんじゃねえのか、とボブは思ったが聞けなかった。余計なひと言は言うのに肝心な今のふたりについては言及しないんだよなあ、とネスは思ったが口に出すのは憚られた。
何か言えるとしたらきっと、ふたりの口からたびたび出る、もう一人の仲間だったという妖精の子どもだけだったのだろう。
本格的に限界が来たランディに肩を貸し、プリムは彼の家へと向かった。あちこちを転々とする彼を見かねて、小さいながらボブが与えた家だ。辺りは宵闇に包まれているが、通い慣れたものだ。
ボブが一応、自分の家にプリムが泊まる準備をしてくれていたようだが、プリムはランディの家に泊まるからよいと固辞した。
これが自分のホームであるパンドーラであれば、些細なことでも噂を立てられ積み上げてきたキャリアの失墜につながるかもしれず過敏にもなるが、プリムの恩恵を受けているポトス村では敵の目もないと言えて、あまり気にしなくてもよかった。
ふたりは微妙な顔をしていたが、プリムとしてはランディを運んだ後また戻るのが面倒だっただけである。
ボブはそのまま家にいたほうが楽だろうし、新婚のネスにランディを運ばせるのは申し訳ないというのもある。
戸を開くとランディの家は思ったよりも小奇麗に片付いていた。留守の間はポピーがたまに掃除をしてくれている、とそういえば前に言っていたわね、と思い出す。
寝室に入り、ベッドに彼の身体を横たわらせる。促せば歩いてくれたので比較的楽ではあったが、やはり少々疲れてプリムは伸びをした。
すると、もうほとんど寝入っているものだと思っていたランディの腕がするりと伸びてきた。プリムの首に腕が周り、状況を把握する前にぐいと引き寄せられる。
次の瞬間には、強引に唇を重ねられていた。
舌が入り、角度を変えて唇が重ねられる。しばらくして顔を離したランディが目を潤ませてプリムを見る。
「……なんで他のふたりと同じチョコなの」
「ええ、ランディあなた拗ねてるの?」
たかがイベント行事じゃないの、と呆れかえった声を出すプリムに、ランディがだって、と唇を尖らせた。
「僕を叱り飛ばしたり、殴ってでも止めてくれるのなんて、プリムしかいないのに」
「聞いてたの?」
プリムは驚いてランディの頬に手をやった。
そうして「仕方のない男ね」と笑う。肩にかけていた荷物から、先程とは一回り大きい箱を取り出した。
「はい、どうぞ。手作りだから味は保障しないわよ」
「えっ」
ランディはがばりとベッドから起き上がり、途端に酔いに目が周りもう一度布団へと逆戻りした。「……ホントに?」と呟くと嘘ついてどうするのよ、とあきれたようなプリムの答えが返ってくる。彼女の手から箱を受け取ると、ランディはそこに答えが書かれているかのように真剣にその包装を見つめた。
「これって本命?」
「あなたが放浪癖を直すのなら本命ね」
ぴしりとしたプリムの声にランディが途端に口をつぐんだ。
正直な反応にプリムは思わず吹き出してしまう。
嘘でも直すって言えないんだから、本命かなんて尋ねなきゃいいのに。
「言っておくけど、私はまだまだ政治家を引退する気はないわよ。やらなくちゃいけないことなんて山ほどあるもの」
「……わかってる」
ランディが両腕を交差させ、目を覆った。プリムは本当に仕方ないひと、と胸の内で呟く。実際に口に出たのは「お返し期待してるわよ」という茶化す言葉だった。
「じゃあ、客室借りるわね。おやすみ」
彼女は手を振って部屋を出て行く。鮮やかな金色の髪の残像だけが、視界の隅に残った。
ランディは「……おやすみ」と返すしかなかった。
起き上がるのは難しいため、行儀が悪いと思いつつ、ランディは包装を丁寧にはがし箱を開け、チョコレートをひとつ取り出した。
一口かじると、眉をしかめる。
「にっが……」
食べた感想を聞かれたら、何と答えるべきか、考えなければならない。ランディは酔いからくるのではない頭の痛さから、再び枕に突っ伏すことになった。
2017.2.21