これが運命なら
「うるさい、どっか行けよ」
「そうそう、よそ者は村に不吉なことを呼び込むんだ」
「仲良くするなってお母さんに言われたもん、話しかけないで」
聞こえて来た高い声に、ネスは思わず振り返った。村の小さな子どもたちが、輪をつくって何やら騒ぎ立てている。
目をこらしてみると、その輪の中心にいて一方的に責められているのが、村長の家に住んでいる少女だということがわかった。
ネスは少し迷ったが、何も見なかったことにして通り過ぎてしまおうとした。だが、別の方向から聞こえた野太い声が再び足を止めさせた。
「おい!何やってるんだお前たち!」
走ってやってくるのはボブだった。村の子どもたちの中で一番大きな身体をゆすって向かってくる様は、まだ年端もいかない子どもたちには恐怖だ。
「げっ、ボブだ!」
「逃げろ!」
蜘蛛の子を散らすように少年少女たちが逃げ出した。あっという間にネスの横を通り抜け走って行ってしまう。
ため息をついたボブと、ネスの目が合った。ネスはどうしたらいいのかわからないまま立ちつくす。
ここ最近、ボブとネスは一緒に行動することがなくなった。というより、ほとんど口をきいていない。
きっかけは考えるまでもなかった。
ボブはネスのことなど意に介さず、ひとり残された少女に近づいた。助けてもらったとはいえ、ボブが怖いのか、少女は泣きそうな顔をしている。
「おい、大丈夫か?何かされてないか?」
「う、うん……ありがとう、ございます」
少女が頭を下げた。使い慣れていないたどたどしい敬語で礼を言う。
ボブは少女の頭をぽんぽんと叩くと、村長の家まで送って行ってやるよ、と歩きだそうとした。
だが、少女は動かない。じっと下を見てうつむいている。
「どうした?」
ボブの問いに少女は答えない。
いらいらしたのか、ボブは「黙っててもわからねえだろうが」と吐き捨てた。少女がびくっと身体を震わせる。
ちょっと前までよく見た光景だな。悪気はないんだよねえ、口が悪いだけで。
ネスはやれやれと肩をすくめながら、二人の傍に歩いていった。ボブの驚いた視線を無視し、少女と目線を合わせるようにしゃがんだ。
「ポピー、だっけ。村長の家に住んでる」
「……そう」
少女がうなずきながら、か細い声で応えた。くせ毛の茶色の髪が揺れる。
「いつもあんな風に他の子から言われてるの?」
ネスの言葉にも、ポピーは顔をあげない。辛抱強くネスが黙って待つと、ポピーは「ううん」と言った。
「前は、そんなことなかった。いっしょにあそんだり、はなしたり……だけど、急に」
ポピーはそこまで言うと、顔をあげた。涙が目に溜まっている。
「あたし、なにもしてない。なんで、急にみんなにきらわれちゃったのかなあ」
ポピーは耐えられなくなったのかわんわんと泣きだしてしまった。
ボブとネスは複雑な顔をしながら、ポピーが泣きやむまで傍にいるしかなかった。
幼い少女の問いに、二人は何も返せなかった。
ポピーを村長の家に送り届けた後、ボブとネスは黙って家路を歩いていた。
辺りはすっかり暗くなってしまった。田舎の道には満足な明かりなどあるはずなく、村長が貸してくれたランプだけが二人の光源だ。
「……なんで」
ボブがぽつりと言った。話しかけられているとはわかったが、ネスはランプが照らす自分の足元だけを見ていた。
「なんであの子がいじめられるんだ?あの子はランディとは違って、完全によそ者ってわけでもないだろ?俺のいとこにあたるんだぜ」
ボブがいらいらとしながら呟いた。
ボブは今の村長の孫である。それだけではなく、彼の父――つまり村長の息子だ――が次期村長と目されている。だからこそボブは、村の子どもたちの中でも絶対の力を持っているのだ。
だが、村長にはもうひとり息子がいた。ボブの父の弟にあたるらしいその彼は、旅芸人の女性と駆け落ちをしてこの村を出ていってしまったのだ。しかも、不幸にも数年で駆け落ち先で妻と共に命を落としてしまったらしい。
そして一人残された彼の娘のポピーがポトス村に引き取られた。身寄りのない彼女は村長の家で預かることになった。
ボブの父とポピーの父は兄弟とはいえ折り合いが悪かったらしく、ボブの父はポピーとは関わろうとしなかった。ボブもポピーの存在は知っていたが、あまり話したことはなかった。先程が初めてかもしれない。
だが、ボブがずっとポピーのことを気にしていたのをネスは知っていた。一人っ子のボブは、ポピーが妹のように思えて、しかし父親の手前話しかけることはできなかったのだろう。
「確かに父親はこの村の住人かもしれないけどさ。母親は違うだろ?」
ネスの言葉に、ボブはかみつくように言った。
「そんなこと言ったら、キッポ村から嫁に来た人だっているじゃねーか。なんで、ポピーが」
「理由なんてなんでもいいんだよ」
ネスは静かに言った。
「バランスが崩れたんだよ。ランディがいなくなって」
ボブがはっとした。
ランディ。その名前が、村の中で囁かれることが禁忌になってから、まだ幾許も時間が経っていない。
「今まで、これだからよそ者は、って言って何かあるとランディのことを責めてただろ。ランディがいなくなって、誰に不満や不安をぶつければいいかわからなくなった。じゃあ他によそ者はっていったら、ポピーが目に付いた。子どもたちなら、なおさらだ」
「そんなバカなことっ」
ボブがネスにつかみかかった。ランプが地面に落ちた。ネスはきつくボブをにらむ。
「バカなことって言えるのかよ。僕たちだっていつも、ランディのこと責めてたじゃないか」
ネスは今までずっと考えていたことを大声で叫ぶ。
「なんかむかつくことあったらランディのこと殴ってたし、連れまわしてやばくなったらランディに押しつけて逃げてた。当たり前にやってただろ。あいつはよそ者だから、何してもいいって、思ってたじゃないか!」
「だって、あいつは、本当によそ者だから……」
「そんなの、理由になるかよ。僕たちは、この村のやつらは、とにかく誰かを見下したかっただけだよ。ずっとそれがランディだったのが、ポピーに回ってきただけだろ」
ネスは乱暴に言った。
ランディがいなくなってから、ネスはずっと考えていたのだ。
どうしてランディが追い出されたのか。
剣を抜いたのは確かにランディだ。だが、それはランディの本意ではなかったことは少なくとも村長はわかっているだろう。いつもランディを振り回すボブやネスのことは有名で、今回のこともボブやネスがそそのかしたのだろうと薄々みんな気づいてるはずだ。
実際、ランディがいなくなったからと言って、モンスターの出現は止まらなかった。パンドーラの国民の様子がおかしいとか、妖魔の森の魔女を討伐する隊が作られたとか、不穏な噂も多く届いている。
異変は様々なところで起こっている。モンスターの出現も、今となってはランディのせいだったのか曖昧だ。
追い出す必要が本当にあったのかと言うと、微妙と言わざるを得ない。
それをわかっているからこそ、村の人々の間でも、ランディの名前が絶対出ないのだ。みんなが、なかったことにしようとしている気配を感じる。だからこそ、誰もボブやネスを責めない。
それを、ラッキーだと思っている自分がいた。
「モンスターが怖くて、これからのことが恐ろしくて、それをぶつけるためにランディを追い出しただけなんだよ。こんな村、最低だ!」
ネスはいつの間にか自分が泣いていることに気付く。
別に、それほどランディのことを好きだったわけでもない。むしろ、いつも自分たちの後を付いてくるのをうざったく思っていたし、卑屈な性格にいらいらさせられた。追い出された当初は、当然だ、せいせいするとさえ思っていたのだ。
けれど、時間が経つにつれて、違和感は胸の中で膨らみ、ネスは気づいてしまったのだ。
この村の、自分の、卑怯さと傲慢さに。
こんな村、最低だ。そして、僕も最低じゃないか。
追い出されたランディを憐れんでいるわけではない。気がついてしまった本当の自分に押しつぶされてしまいそうなのだ。
「ちくしょう……僕は、気づきたくなんてなかった。出ていけるわけでもない、この村の中で生きていくしかないのに」
泣きながら訴えるネスを、ボブは茫然と見降ろしていた。
風が吹いて、落ちていたランプの炎を消してしまう。
お互いの顔も見えなくなった闇の中、二人はただ立ちつくすしかなかった。
その後、どうやって帰ってきたのか覚えていない。
朝目覚めると家にはいたものの、頭が割れるように痛かった。どうやら、夜風に吹かれて風邪をひいてしまったらしい。
ネスの父は村で唯一の医者だ。父から安静にしているようにといわれ、ネスはベッドの中で数日を過ごした。
ようやっと起き上がれるようになり、畑仕事の応援にでかけて行くと、ボブが村の子どもたちとなにやら話している。傍にはポピーもいた。
「……だから、ポピーは俺のいとこだ。ポピーを仲間外れにするということは、俺を敵に回すってことになるぞ」
村の子どもたちの顔から血の気がひく。ポピーは困ったようにおろおろと双方の顔を見比べている。
「わかったら、みんなで協力して作業するんだ」
ボブの言葉に、村の子どもたちが戸惑いながらもおずおずと動き出した。ポピーが小麦の小さな束を持ってついてこうとする。その横から、仏頂面をしながら少年が手を貸して束の端を持ってやった。
ポピーは嬉しそうな顔をしながら子どもたちと共に走って行く。
ネスはボブに近寄ると、「勝手にあんなことしてもいいの」と言った。
「ボブのお父さんはポピーのこと嫌ってるんだろ。ポピーのお父さんと仲悪かったから。ボブがポピーのことかばってるって知ったら怒るんじゃない?」
「ネス。オレも気づいた」
ネスの言葉は全く無視して、ボブが言う。
「オレさ。あいつらやお前が脅すと言うこときくのを、オレの力だと思ってたんだよ。でも、お前の話きいて、考えてさ。単にじじいや親父の力を怖がってるだけなんだってやっとわかったよ」
「……」
ネスは沈黙を肯定とすると、さらに言った。
「だったらわかるだろ。あんなことしても、無駄なんだ。例えば村長が村長でなくなったら、ボブのお父さんが村長にならなかったら、ボブの力なんてなくなっちゃうんだよ。そうしたら、ポピーはまたいじめられる。だいたい、ポピーがいじめられなくなっても別の誰かがいじめられるだけだよ」
諦めたように言うネスにボブは顔を向けると、不敵に笑んだ。ネスは意味がわからずきょとんとする。
「おお。だから、オレ、村長になることにした」
「……は?」
ネスは目を瞬かせた。冗談かと思ったが、ボブは至って真剣な表情をしている。
「この村を、みんなが住みやすい村にする。みんなってのは、ポピーも……ランディもだ」
ボブの口から、ランディの名前を聞くのは、ランディが出て行った日以来だ。
「ポトス村を、ランディが帰ってこられる村にする。じゃねえと、困るんだ」
「なんで……?」
ネスは茫然とつぶやいた。ボブは、ランディのことをただの都合のいい子分としか思っていなかったはずだ。
ボブはその問いに空を見上げると、「オレは、あいつに助けてもらった礼を言ってない」と呟いた。
ネスは頭ひとつ分大きいボブの顔を見上げた。
「俺は、やっぱりあいつのこと気に食わねえ。昔からおどおどうじうじしててうざったいのも変わらねえ。でも、穴に落ちたとき、助けてもらったのは事実だ」
だから、礼は言わなくちゃならないだろ。
ボブの静かな声が、麦が風に揺れる音にまぎれて聞こえた。
「だから、俺は村長になる。今すぐには無理だが、少しずつ勉強して力をつけて……じじいの後を親父が継いで、その後かもしれないけどな」
そう言うボブの横顔は、粋がっている村のガキ大将のものではない、一人の青年のものだった。
「だから、手伝えよ。ネス」
ボブがこちらを見ないまま言った。
ネスは気がついた。これは、ボブの頼みだ。
今まで、祖父や父の威光をかさにきて、脅しや命令をしていたのとは違う。ボブという一人の人間の頼み。
必ずしも従う必要はないはずだ。村でのネスの親やネス自身の立場を気にすることもない。だって、ボブ自身はただの村の一人の子どもに過ぎないのだから。
だが、ネスは呟いていた。
「……いいよ」
ボブの瞳が安堵の色を示した。強気に「おう」と返事をするが、彼も初めての自分自身の頼みをきいてもらえるのか不安だったのだろう。
明るい笑い声が聞こえて、二人はそちらに顔を向けた。
村の子どもたちが、何か面白いものでも見つけたのか、声をあげて走って行く。その中にはポピーもいて、自然に周りと笑っている。
ボブとネスは眩しそうに顔を向け、子どもたちの影が見えなくなるまでずっと見守っていた。
2011.1.1