父を継ぐ
3
空がだんだんと白んでいく。
ジェマは神殿の裏手で石畳の上に座って、それを見つめていた。
あの後、ジェマも寝床にしている部屋に行ったのだが、さまざまな事実に眠れなくなってしまい、外に出て来たのだ。ぼんやりしているうちに夜が明けてしまった。
私もスリープフラワーをかけてもらうべきだったかな、と一人苦笑する。
そのとき、草を踏む音がした。
ジェマが顔を向けると、そこにはランディが立っていた。
「あ……ジェマ」
「おお。ランディ、おはよう。よく眠れたか?」
「うん。ぐっすりと。あまりにも深く眠りすぎてこんなに朝早く目が覚めちゃった」
しかし、よく眠れたなぁ。薬でも飲んだみたいだった、と首を傾げるランディに、ジェマは密かに笑いをこらえる。
「ジェマこそ、どうしたの?」
「いや、少々眠れなくてな。散歩だ」
そう、とランディは言葉を返す。二人はそのまま何も言わず、朝焼けに染まる空を見つめていた。
ジェマが腰を上げて、ランディに笑いかける。
「ランディ。久しぶりに稽古をつけてやろう」
「え?」
ランディが驚いて声を上げた。旅の序盤、ジェマに剣の基礎を教えてもらってからというもの、しばらくはよく稽古をつけてもらっていた。最近では、あまりジェマと行動が重なることがなかったため、ご無沙汰になっているが。
今までに、ランディがジェマに勝ったことは一度もない。
「中途半端な実力の者を要塞に送るわけにいかないからな。どれほど成長したのか、見せてもらおう」
まだ戸惑っているランディに、ジェマは落ちていた木の枝を渡しながら言った。
「お前の父親は、事あるごとに手合せしろとうるさかったものだがな」
ランディがはっとした。
「ジェマ……父さんのこと知ってるの?」
「タスマニカ共和国の部下だった。いつでも自分の強さを磨くのに余念のないやつだったよ。今思えばマナの種族という役目のために、強くなりたいという気持ちが強かったのだろう。よく勝負を挑んでこられてな。勝ったことも負けたことも、引き分けだったことも、何度もある」
「そっか……」
ランディが木の枝を握り締める。やがて顔を上げてそれを構えた。
ジェマも構えを取る。
二人の間を、一陣の風が通り抜けた。
地面を蹴ったのは同時だった。
お互いに剣を繰り出し、それを防ぎ、攻撃を仕掛ける。枝がぶつかり合う音がする。
相変わらずすごい戦い方だな、とジェマは心の中で苦笑いをする。
戦い方をとってもセリンとはやはり違う。セリンは鍛錬に基づいた安定した戦い方をした。対して、ほとんど実地で戦い方を覚えていったランディの動きは、ジェマからしてみると危なっかしいことこの上ない。
敵の攻撃をぎりぎりまで引きつけたり、敵の懐深くまで入り込んだりなど、あまり自分の防御ということを考えていないのだ。それで仕留められればいいが、ひとつ間違えば大怪我をする。実際、そういうことも何度かあったようで、プリムが私の魔力だって無尽蔵じゃないのよ、とランディを叱って、不器用に心配していたことがあった。
自分を大切にしてないのよ、あいつは。
プリムが怒ったように、悲しそうに、言っていたことがあった。
それはやはり、育った環境のせいだろう。誰からも愛されず、誰からも顧みられず育った孤独な少年。
そしておそらくは、私のせいでもあるのだろう、とジェマは思う。
「はあ!」
ランディの枝が左に横薙ぎに払われる。ジェマはそれをよけながら、ランディの右半身に向けて枝を振り下ろそうとする。
そのとき、ランディの瞳がジェマを捉えた。
青空の色をしたその瞳が、一瞬光った。
――……何!?
ランディが払った枝を、無理矢理もう一度逆に横薙ぎにする。
枝を振り上げていたジェマの右脇はがら空きだ。
音がして、ジェマの脇腹に、衝撃が走る。
二人は息を弾ませて、動きを止めた。
「……見事だ。完璧に私の負けだよ、ランディ」
ジェマは脇腹を押えながら、笑って枝を放した。ランディは上がった息を整えるのに精一杯のようだ。
――……ああ、そうだ。
ジェマは先程見た、ランディの目の中の輝きを思い出していた。
セリンもそうだった。勝負の際、絶好の好機を見つけると、瞳の中がきらりと光るのだ。それを見たときには、必ず敗北を喫していたことに気付く。
確かに親子なのだな、二人は。ジェマがそう思うと、自然に口元が笑みを形作っていた。そして、ランディに語りかける。
「もう、私に申し訳ないと思う必要はないぞ、ランディ」
ランディははっと顔を向けた。
「ずっと、そう思っていたんだろう。自分が聖剣を抜いたから、私の邪魔をしたと。私が勇者になったほうがよかったのにと」
そう、ランディはいつも思っていたのだろう。どうして自分は聖剣を抜いてしまったのか、ジェマが抜いていたら何の問題もなかったのに、と。
そして、ずっと自分自身のことを疎ましく思っていたのだろう。
「だが、聖剣はマナの種族のものであったことがわかった今、お前が剣を抜いたことは正しかったということになる。……いや、その事実がなくてもだ。お前はもう私より強い。私よりも、お前のほうが聖剣の勇者にふさわしい」
ランディは押し黙ったままだ。枝を握る、その手が震えている。
ジェマはくしゃりとランディの髪を撫でると、少しかがんで目線を合わせる。
ランディが顔を上げた。その瞳が潤んでいた。
「必ず帰って来てくれ。そのときには、酒でも飲みながら、セリンの話をしよう。そうだ、タスマニカに来ればセリンのことをよく知っている者も多い。セリンが住んでいた家もある。案内しよう。……楽しみにしている」
過去は変えられない。仮定をあげればきりがない。
だが、今を、これからを、この子にとって優しいものにはできるはずだ。
「……はい」
ランディは目に溜まった涙を拭って笑った。
昇りきった朝日が、二人を照らしていた。
タイトルは、単純だけどランディが父から聖剣の勇者を継ぐ、という意味と、ジェマがセリンから父親の役割を継ぐ、という意味を込めてみました。
2009.3.4