眠り姫

 

 童話を読んだ記憶も、それを与えてくれたであろう両親の記憶も、もはや遙か彼方のこと。

 それでも、茨の奥で眠り続ける姫の話だけは、なんとなく覚えている。

 王子はなんて余計なことをしたのだろう、と思ったからだ。

 物語の序盤、生まれたばかりの姫に呪いをかけられ、王も王妃も悲嘆にくれる。

 けれど、それは本当に呪いだったのだろうか。呪いをかけた本人には、そんな気はなかったのかもしれない。とびっきりの祝福のつもりだったのではないか。

 だって、この世には悲しいことも苦しいことも多すぎる。

 だったら、ずっと眠って起きなければ、ずっと幸せでいられるではないか。

 姫が幸せであるように。だったら、姫と、姫の世界はずっと眠ったまま、幸せな夢の中に。

 それこそが、呪いの正体だとしたら。

 姫は、王子の口づけで目覚めたあと、幸せになれたのだろうか。

 

 

 「あれ、ルカ様、背伸びた?」

 最初は、ランディのそんな一言がきっかけだった。

 水の神殿で、三人で語らっていたときのことだ。テーブルから立ち上がったわしのことを見て、そう言ったのだ。

 わしとプリムはきょとんとした後、同時にふきだした。

 「なーに言ってるのよ、ランディってば!」

 「そうだぞ。わしは年をとらん。だから二百年も生きているのだ。今さら背が伸びてたまるか」

 けらけらと笑うわしたちの反応に恥ずかしそうにするかと思ったランディは、しかし、納得いかないように首を傾げる。

 「ええ、気のせいじゃないと思うんだけどな」

 ランディは己も立ち上がって傍らに来て、しげしげとわしを頭からつま先まで見つめる。

 「おぬしの背が伸びたから、わしを見ても違和感があるのではないか?」

 ランディは戦いが終わった後、背が伸びて身体つきも男性のものになった。それのせいかと思ったが、わしの言葉にランディはうーん、と唸るばかりだ。

 「僕の背が伸びただけなら、ルカ様を小さく感じるのが普通じゃない?」

 しばらくランディは渋い顔を崩さなかったが、話題はいつのまにか移り変わり、わしもこんな会話を交わしたことはすぐ忘れた。

 

 

 わしが水の神官になったのは十四歳のときだったと思う。

 何せ、二百年も生きていると記憶も思い出も曖昧になってくる。詳しい経緯はあまり覚えていないし、思い出す必要もあまり感じなかった。

 水の神殿の神官は、水の流れから世界を見守るのが役目だ。そのため、清い水の力で年をとることなく、永遠に近い永い時を生きることになる。

 ただし、不老不死というわけではない。人は誰しも死ぬ。

 いつか水の神官は力を失い、水の流れをつかめなくなる。そのとき神託により次代の神官が選ばれる。引退した先代の神官は、人間としての時の流れを取り戻すのだそうだ。

 神官としては、わしの年齢はまだ若いほうだ。

 今まで数多くの人々を見送ったように、これからも世界を見つめ続ける。

 ランディやプリム、ジェマが死んでも、それが私の役目だ。

 帝国とタナトスの起こした戦いは、わしが二百年この世界を見つめてきた中でも、最も切迫した破滅の危機だった。

 取り返しのつかない犠牲を生み、取り返しのつかない傷を幾人にも負わせた。  

 もう二度とあんなことが起こらぬよう、もっと慎重に世界を見守る必要があるだろう。

 それが、ランディやプリムに辛い運命を押しつけた私の罪滅ぼしであり、罰だ。

 そう、思っていた。

 

 

 
 一週間もたった頃だろうか。ランディがジェマを連れてやってきた。

 わしが二人してどうしたんだ、と聞く前に、ジェマが私に近寄ってきた。なんだか驚いた顔でわしを見ている。

 「ね、やっぱりそうでしょ」

 ランディが必死な顔でジェマに訴えかける。

 ジェマはそれには応えず、厳かな様子でわしに向かって口を開いた。

 「……ルカ様」

 「なんだ。いったいなんだというのだ?」

 「あなた、成長していますよ」

 「はあ?」

 思わずあきれた声が漏れたあと、この間のランディとの会話を思い出した。

 「以前は、ルカ様の身長は私の鎧の上のところまでしかありませんでしたが、今は」

 そう言ってジェマは、かざした手のひらをわしの頭の上に置いて、その高さのまま自分のほうへ引き寄せる。

 手がたどり着いたのは、ジェマの喉仏のあたりだった。

 ランディが興奮したようにほら!と声をあげた。

 「ルカ様が年をとらないのは清い水の力のためだって言ってたけど、それって水の中にあるマナの力ってことでしょ?神獣が倒された今、マナは増えない。ってことは」

 「……ルカ様、マナの力で止まっていたあなたの時間が、動き出したということです」

 ランディの後を引き受けたジェマの言葉に、わしの頭の中は真っ白になった。

 

 

 混乱したわしは、とにかく今日のところは帰れと言ってジェマとランディを追い返した。

 わしが成長している?時間が動き出した?

 にわかには信じがたい話だった。

 水の神殿の自室に籠もり、姿見に自分を映してみる。

 どこも変わっていないように見えるが……。

 頭の上から、つま先までをじっと見つめる。

 こんなに熱心に自分の姿を見るのは久しぶりだ。年をとらない、姿が変わらないのだから、身だしなみを整える以上に見つめたことなどなかったのだ。

 そのとき、足首のくるぶしが目に入った。

 背筋がぞくりとする。

 この服は、裾が床についていたはずだ。

 「まさか」

 呟いた声がかすれていた。

 まさか、本当に成長しているのか。

 だとしたら、どうする。

 いつかは年をとる。いつかは死ぬ。それはわかっていたことだ。でも、ずっとずっと先のことだと思っていた。

 世界を見守る役目は?わしの水の神官としての役目は。

 ランディやプリムに対しての、私の罰は。 

 「ど……どうしよう」

 出てくる声が、頼りない少女のもので愕然とした。

 
 
 
 
 童話の終わりは、いつだって「その後、お姫様はいつまでもいつまでも幸せに暮らしました」だ。

 だが、そんなのは建前だ。

 生きていくには悲しいことがあって、苦しいことがある。

 わしは、二百年、それを見つめてきた。

 見つめてきただけだった。

 自分は少しも悲しまず、苦しまず。

 水を通して世界を見ていたつもりだった。

 だが、水を壁にして、世界を隔てて、自分を守っていただけなのだ。

 わしは、茨の奥で眠っていただけだった。

 そして、誰かの手で突然揺さぶり起こされた。

 本当はもっと眠っているはずだったのに。   

 

 

 誰にも会いたくない、と訪問者たちを突っぱねて、一週間がたった。

 侍女がプリムが来た、と告げるのと同時に、自室のドアが音を立てて開き、プリムが入ってきた。

 「ランディもジェマも会いたくないって言われたから帰ってきたとか情けないこと言って話にならないんだから」

 「プリム」

 わしは出てってくれという意味を込めて名前を呼ぶが、プリムは聞こえないふりをして、私の腕をとった。

 「ルカ様。行くわよ」

 「行くって、どこに」

 「当たり前でしょ」

 ショッピングよ!

 高らかにいったプリムの言葉に茫然としているうちに、わしは引っ張られて何年振りかで神殿の外に出ていた。

 

 

 パンドーラに連れてこられたわしは、プリムにあちこちの店を連れまわされた。

 まずは髪を切られて、化粧を施された。その後服屋に連れていかれていろいろな服を試着させられる。

 プリムは「これがいいわ」「ああ、でもこっちも似合う!」と大騒ぎで、神殿を留守にはできないという私の言葉にもちっとも耳を貸さない。

 最終的に、服と靴やピアスやカバンなど小物まで揃えられてしまった。

 だが長い時間、着せ替え人形のようにされて疲労感が尋常ではない。わしが疲れた、ともらすと今度は喫茶店に連れて行かれた。やっと座ることができてほっとする。

 「ルカ様って顔小さいわねー。しかも肌が白いからパステル系の色が似合ってうらやましいわ!私、派手な色じゃないと似合わなくて」

 向かいに座ったプリムは紅茶を飲みながらため息をついた。本当はそういう色が着たいんだけど、とわしが着ているレモン色のワンピースを指差す。

 少し休んで体力が回復したこともあり、わしはプリムの言葉には応えず、きつく彼女をにらんだ。

 「どういうつもりだ、プリム」

 「どういうつもりも……ルカ様が何に悩んでいるかは知らないけど、女の子のストレス解消と言えばショッピングでしょ」

 「わしは女の子などではない!」

 「女の子でしょ」

 大きな声をあげたわしに少しも臆することなく、プリムは言いきった。

 「ただの女の子よ、ルカ様は。もう」

 「……わしは、水の神官じゃ」

 「水の神官でも、女の子よ。私には、今のルカ様、ただの怖がっている女の子に見えるわ」

 怖がっている。

 プリムの言葉にかっとなり、音を立てて椅子から立ち上がる。店中の視線が集まったが気にしている暇はなかった。

 「何を怖がっているというのだ!」

 プリムはひたと私を見つめてぽつりと言った。

 「生きること」

 プリムのアメジストのように煌めく瞳がわしを射抜く。

 急に全身から力が抜けた。

 倒れこみそうになり、必死にテーブルに手をつきながら、ゆっくり椅子に腰かける。

 「……どうしろと言うのだ、今さら」

 言葉が無意識のうちにこぼれ出た。

 「今さら……普通の人間のように生きるなど……」

 怖い。

 素直にそう思った。

 悲しんで、苦しんで、傷ついて、生きていく。

 当たり前のことが、こんなにも怖いなど、知らなかった。

 ランディやプリムに対しての罪滅ぼし、罰などと、ただの建前だ。

 彼らのように傷ついて生きていくなど怖くて仕方ないから、水の神官の役割を盾にしていただけだ。

 「だから、そういうときはこうやってショッピングして落ち着くのよ」

 プリムがのんびりと言った。

 わしは顔を上げる。

 「生きることは、悲しくて苦しいわ。でも、楽しいことも嬉しいこともたくさんあるのよ」

 そんなの当たり前のことなのに、ルカ様は知らないのね。

 微笑むプリムが、まるで母親のように見えた。

 プリムがぽん、と手を合わせていいことを思いついたわ、と顔を輝かせる。

 「恋をしたらいいのよ!そうしたらきっとわかるわ。ルカ様、絶対もてるわよ。どんな人がタイプ?年上?年下?あ、でも、ルカ様より年上って無理か」

 プリムが好き勝手にしゃべるのを聞きながら、わしはなぜか溢れだした涙を止められなかった。 

 

 

 「というわけで、恋愛でもしてみようかと思っておる」

 話を聞いていたジェマは、飲んでいた紅茶を吹き出した。

 「真にうけたな!冗談に決まっているだろう」

 「そ、そうですか……」

 「だが、悩むのはやめた。水の神官は続けるが、もうわしも普通の人間だ。きちんと生きてみようと思っている」 

 ジェマがそうですか、と心底安心したように頷いた。
 
 「おぬしにも迷惑をかけてすまなかった」 

 今日は、訪ねてきてくれたのに追い返してしまったことを謝罪するためにジェマを水の神殿に呼んだのだ。

 「いいえ、かまいません」

 そう言って柔らかく笑ったジェマを見て、この男とも二十年ほどの付き合いになるかと思う。

 初めて会ったときはには三十歳ほどで、タスマニカの騎士でマナの研究をしていると言って訪ねてきたのが最初だった。

 「おぬしももういい歳だろう。わしもマナから解放された。おぬしもそろそろ、マナのことばかりにかまけていないで、結婚でもしたらどうだ」

 そう言った途端、ジェマが苦虫をつぶしたような顔をした。

 わしがその反応に戸惑っていると、ジェマは安心させるように微笑んだ。

 「実は、私が結婚しないのには理由がありまして」

 「ほう」

 「ずっと片思いしている人がいるんです」

 「おお、初耳だ」

 わしは思わず身を乗り出す。今までそんな話は聞いたことがなかった。

 「ひとめぼれだったんです。二十年間その人のことしか考えてこなかった」

 「すごい。一途ではないか」

 わしからしてみれば、ジェマはいつでもマナの流れや世界の動向にしか興味がないように見えたのだが。

 そう素直に伝えると、ジェマは苦笑いをしながら言った。

 「マナの研究を続けてきたのも、世界の情勢を見守っていたのも、半分以上はこの片思いが理由ですね」

 その言葉の意味はわしにはよくわからなかった。問い返そうかと思ったが、それよりも今は片思いの相手のことが気になる。

 「相手はおぬしのことをどう思っているのだ」

 「わかりません。気持ちを伝えてはいないので」

 「二十年もあったのにか!」

 「ええ。相手にされないことがわかっていましたから。でも、つい最近状況が変わりまして、私にもチャンスがあるのではないかと思っています」

 「おお!」

 つい歓声が出てしまった。これでは本当に恋の話にはしゃぐただの少女だ。だがやはり気になる。

 「誰なのだ、その相手というのは!」

 「あなたです」

 また頭が真っ白になった。

 だがお構いなしに、ジェマは言葉を続ける。

 「初めて会ったときから、あなたが好きだった。マナのことを調べ続けたのも、世界の国々の様子を探っていたのも、すべてあなたに会うための口実だった」

 「は、はあ?」

 「あなたが成長しているらしい、と聞いていてもたってもいられず駆けつけ、背が伸びたあなたを見たときの私の気持ちがわかりますか。あなたは戸惑っていたようだが、私は嬉しくて仕方なかった」

 あのとき、実は心の中でははしゃいでいたんですよ。

 ルカ様の気持ちも考えず、すみませんでした。

 ジェマの言葉が耳を素通りしていく。何も考えられない。

 「でも、あなたが生きていくことを受けいれてくれてよかった。これで私にもチャンスがありますからね」

 「ちょ、ちょっと待ってくれ!急に言われても、何が何だか……」

 頬が熱い。恥ずかしがっているのか、このわしが。

 「ただ、少し悔しいんですよ。いいところをプリムに奪われてしまったな」

 「え?」

 「だって、眠り姫の目を覚ますのは王子の役目でしょう?」

 ジェマがにやりと笑う。

 そんな表情を見るのは初めてだ。

 ――そんな、男のような顔は。

 「で、出ていけ」

 「え」

 「おぬしとはしばらく口をきかん!今すぐ出ていけ!」

 言っていることが子どもじみているのを自覚しつつ、わしは侍女を呼びつけてジェマを追い出すよう命令する。

 「ルカ様!また来ますからね!」

 遠ざかっていくジェマの声から耳を塞ぐ。

 どうやら、わしが茨の奥から出ていくのには、もう少し時間がかかるようだった。

 

 お題

2010.11.3

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