サンダーソニアの微笑み

 

 

 スコーピオンたちから水の種子を取り返した三人が、水の神殿に戻って来て見たものは、眼光鋭い男と、数人の兵士たちに羽交締めにされたルサ・ルカの姿だった。

 「ルカ様!」

 焦って駆け寄ろうとしたランディを、「近付くな」というリーダー格らしい男の余裕綽綽の声が遮った。

 「状況が見てわからないのか?君たちが少しでも不穏な動きをすれば、水の神官がどうなるか考えてみるんだな」

 その一言に、ランディの頭は一気に冷えた。背中に嫌な汗が流れる。

 後ろで、プリムとポポイも焦燥感に囚われている気配が伝わってくる。

 「三人とも、早く逃げるんじゃ!」

 ルカが必死の形相で叫ぶ。

 ルカを捕らえている帝国の兵士が、チッと舌打ちをし、ルカへの拘束を強めた。彼女が苦しそうに呻く。

 「――っ!」

 その様子に、ランディは頭が沸騰するのではないかというほどの怒りを覚えた。

 ランディの表情が変わったことに気付いたのだろう、男はにやりと口元を歪めた。

 「私はヴァンドール帝国のゲシュタールだ」

 そう名乗り、長く垂らした前髪から、釣り目気味の目を光らせる。

 男は腰にかけた剣を鞘から抜き、ルカに向けて突きつける。場の空気が一気に緊張した。

 「聖剣の勇者よ。水の神官を無事に解放して欲しくば、水の種子をこちらに渡せ」

 「やめるんじゃ!逃げろ!」

 ルカが焦った様子で叫ぶ。

 「ラ、ランディ」

 「アンちゃん、どうする!?」

 プリムとポポイが慌ててランディに声をかける。だが、ランディの頭の中は目まぐるしく動いていて、二人に応える余裕はなかった。

 数秒の逡巡の後、ランディは懐に手を入れた。

 「ランディ!いかん!」

 ルカの叫びを無視して、ランディは水の種子を取り出した。

 「……ルカ様を放せ」

 「種子の確認が先だ」

 ランディはぎり、と奥歯を噛むと、種子を差し出した。

 ゲシュタールは満足そうに笑むと、種子を無造作に掴む。

 「ふむ……本物のようだな」

 「早くルカ様を放せ!」

 「まあ、そう急くな」

 焦るランディの様子などお構いなしに、ゲシュタールの手の中で、種子が淡い光を放ち始める。

 「我々としても、種子はここにあってもらわなくては困るのだよ。ただし、封印を解いた状態で、ね」

 緊張したまま見守る三人の前で、封印を解かれた種子が祭壇に乗せられる。

 「さて。もういいだろう。私は紳士なのでね、約束は守ろう。水の神官を放してやれ」

 剣を鞘に戻したゲシュタールがそう兵士に声をかける。兵士は乱暴にルカへの拘束を緩めると、ランディに向かって突き飛ばした。

 「ルカ様!」

 倒れ込んできたルカの身体をランディが受け止める。

 「大丈夫ですか!?」

 ランディの声に、ルカが顔を上げた。

 「ランディ、お主……!」
 
 その瞳には常に感情を揺らさないルカには珍しく、憤りがこもっていた。

 「さて、私たちは退散するとしよう。君たちにはせっかくなので、私のペットと遊んでもらうとしようか」

 楽しげにゲシュタールが言うのと同時に、モンスターの咆哮が聞こえた。

 

 ゲシュタールが放ったモンスターを倒したあと、ようやっとランディたち三人は一息つくことができた。

 封印の解かれた種子を、ランディが聖剣の力でもう一度封印し直す。

 ふう、と安堵の溜息をついたランディに、祭壇の下から声がかかった。

 「……封印できたようだな。もう良いぞ、降りて来い」

 声の主はルカだった。

 激情を押し隠したような震える声だ。ランディは静かに祭壇を降りて、ルカの前に立つ。

 プリムやポポイ、そしてパンドーラで魔物を倒してから駆け付けたというジェマが、はらはらしながらこちらを見守っている気配がする。

 ぱん、という乾いた音が神殿に響き渡った。

 ランディの頬が見る見るうちに赤くなる。

 「お主は、自分が聖剣の勇者だという自覚があるのか!」

 ルカが顔を歪めて叫ぶ。

 「結局、封印し直せたからよかったものの……ゲシュタールが種子を持ち去ったらどうする気でいた!?取り返しのつかないことになっていたかもしれないのだぞ!」

 ランディは押し黙ったまま微動だにしない。

 「ル、ルカ様。ランディは、ルカ様を助けようと……」

 助け船を出したプリムのことも、ルカはきっと睨みつけた。

 「それがいかんと言っておるのだ!世界を救う勇者が、わしが人質に取られた程度のことでやすやすと敵の言いなりなってどうする!大きな使命に多少の犠牲はつきものだ」

 「ルカ様」

 ジェマがたしなめるようにルカの言葉を止めようとする。 だがルカはそれを無視して言葉を続ける。

 「よいか、ランディ。お主は聖剣の勇者なのだ。そのことをもっと自覚して、優先するべきものはなんなのか考えろ!」

 ルカの言葉は荒々しく叫ぶようだった。

 ランディは目線を下げ、ぽつりと呟く。

 「……すいません、でした」

 その言葉にどう答えていいのかわからず、ルカは口を噤んだ。

 周りの者も何も言えない。

 水の神殿の中を流れる水の音だけが、静かに響いていた。

 

 

 「ルカ様が感情を露わにするところを初めて見た気がします」

 ジェマがどこか楽しそうに言う。

 ルカはむっとしたように押し黙った。

 あの後、戦闘で疲れたであろうからもう休め、と三人を追い出したため、祭壇の前にいるのはルカとジェマの二人だけである。

 「あれでは、ただの八つ当たりではないですか」

 「…………」

 「自分が人質になって、足を引っ張ってしまったことが恥ずかしかっただけでしょう?」

 ジェマの言葉に、口を尖らせたルカだったが、やがて大きく溜息をついた。

 「……二百年も生きておるのにな。どうしてもっとうまく感情をコントロールできないものかな……」

 ルカは自嘲して言った。それを聞いてジェマが笑う。

 「二百年生きたくらいで何でもうまいことやっていけるようになるのなら、人の世から戦いなんてとっくになくなっているでしょう」

 「……年下のくせに、生意気じゃ、ジェマ」

 ルカはもう一度大きく溜息をつくと、どうするかと頭を抱えた。ジェマは苦笑しながら言う。

 「まあ、ルカ様の言うことも一理あります。今回はゲシュタールが直接手を下さずに引き下がってくれたからよかったようなものの……あの場でゲシュタールとの戦闘になっていれば、今のランディたちに勝ち目はなかったでしょうからな」

 ゲシュタールは帝国四天王の一人。帝国の中でも有数の実力者である。

 ランディたちの今の実力では、勝つことは難しかったであろう相手だ。

 「ルカ様が逃げろ、と言ったのは、ゲシュタールとランディたちの実力差を正しく見抜いていたからでもあるのでしょう?そのことを彼らに言えばいいだけです。ただ心配だったのだ、と」

 諭すように話すジェマだったが、ルカは困ったような顔をする。

 「そう、すればよかったのだがな。ランディに謝られてしまった手前……どうしたものかな」

 ランディが謝ったことで、今回のことはランディが悪かった、という結論になってしまった。

 今さら終わった話を蒸し返すのもどうか、とルカはぶつぶつと呟く。

 「ですがこのままだと、気まずいままではないですか」

 ジェマの言葉にも、ルカはむくれた顔をしたままだ。

 「……ルカ様」

 ジェマが聞き分けの悪い生徒を諭す教師のような口調で呼びかける。
 
 ルカは常にないいらいらとした仕草で爪を噛むと言った。

 「……ええい、わかっておる!わしが謝ればよいのであろう!」

 自分の四分の一ほどの年齢であるジェマに諭されたのが恥ずかしいのだろう、ルカはわめき散らすと、足音を立てて祭壇を後にした。

 

 

 「アンちゃん、なんで謝ったんだよ」

 水の神殿の客室に、ランディ、プリム、ポポイの三人は集まっていた。

 プリムの回復魔法で負った傷を治し、戦闘でついた汚れを落とし、一息ついたところである。

 ポポイが仁王立ちをして、部屋のベッドに腰掛け、ルカに叩かれた頬を氷で冷やしているランディに詰め寄っていた。

 ランディがきょとんとポポイを見る。

 「なんで……って?」

 「だから、アンちゃんが種子を渡したのは、結局ルカ様のためだったわけじゃん。なのに感謝されこそすれ、なんで怒られないといけないんだよ。腹立たないの?」

 ポポイの言葉に、ランディは少し考えたあと、首を傾げた。

 「うーん。ルカ様の意思に逆らったのは事実だから」

 「でも、謝ることなかったんじゃない?だいたい、ルカ様が人質にとられたことが原因なのに」

 「それはルカ様のせいじゃないよ」

 プリムの言葉にも、ランディはルカをかばう。

 プリムは腰に大きく溜息をついた。

 「……ランディ。そうだとしてもよ。さっきのは、あんたが謝ったらだめだったと思うわ」

 ポポイもうんうんと頷く。ランディは何を言わんとしているのかがわからず、困惑した顔を二人に向ける。

 「ランディは、種子を渡したこと、後悔してる?」

 「してない」

 プリムの問いに、ランディははっきりと答えた。

 「もし、また、同じ状況に陥っても、同じことをすると思う」

 「……そう」

 プリムの言葉に、ポポイがあとを続ける。

 「ならやっぱり、アンちゃんは謝るべきじゃなかったよ」

 頬が持った熱に、ランディの手の中の氷が融けていく。

 「自分で正しいと思うことをしたんだろ?聖剣の勇者の自覚とか、そういうもの全部すっ飛ばして、もっと大事なものを選んだんだろ?

 その気持ちがあるんなら、ルカ様に謝るべきじゃなかった。きちんと言えばよかったんだ、ルカ様が心配だったんだって。謝っちゃったら、アンちゃんが悪かったことになるだろ」

 「……ルカ様の言うことに逆らったから、僕が悪いんじゃないの?」

 「ルカ様の言うことが絶対なの?違うと思ったから、あんたは逆らったわけでしょ?自分が正しいと思うことをしたなら、それは悪いことじゃないじゃない」

 ランディは俯いた。どうすればいいのかわからない、と言った様子だ。

 「アンちゃんさ。謝ればいいと思ってない?」

 ランディがその言葉に驚いたように顔をあげた。

 ポポイがランディと同様に、ベッドに腰を下ろす。

 「とりあえず、自分が謝れば問題は解決すると思ってない?」

 「そうね。あんたって『ごめん』と『大丈夫』が口癖よね」

 そう言われれば、ポトス村にいたときは、謝ってばかりいた、とランディは思う。

 よそ者のくせに。

 これだからよそ者は。

 二言目にはそう言われ、「ごめんなさい」「すいません」とばかり返してきた。それしか言葉が思いつかなかったからだ。

 「でも、謝っちゃいけないときもあると思うよ。だって、アンちゃんは自分が正しいと思うことをしたんだからさ」

 「そうよ。本当はルカ様だって、わかってると思うわよ。なのにあんたが先に謝るから、どうしたらいいのかわからなくなっちゃったのよ、きっと」

 「そうかな……」

 ランディは頬から氷を外した。もう痛みはない。

 ――人間関係って難しいな。

 ランディはそんなことを考える。

 ポトス村に暮らしていたときはある意味楽だったのかもしれない。正しいのは村人たちで、悪いのはよそ者である自分だという考え方に沿って行動すればよかった。

 ――でも、今は、みんなが僕を一人の人間として見てくれる。

 一人の、意見を持った人間として。自由に意見を言っていい、と言ってくれる。

 自由、というのは素晴らしいことのようでいて、とても難しい。

 うーん、と唸っていると、ドアをノックする音が聞こえた。

 「ランディ。少しいいか」

 涼やかなルカの声が響く。

 は、はい、と緊張気味に言うランディの後ろで、プリムとポポイはにやりと笑い合った。

 

 

 水が静かに流れる音がする神殿の廊下で、二人は向き合った。

 「……すまなかった」

 ランディは伏しがちにしていた視線をルカに向ける。

 「少々、言葉が過ぎた。謝る」

 ルカは瞳をあらぬ方向に定めながらも言った。

 気恥ずかしいらしい、ということに気づいて、ランディは苦笑した。

 「……いいえ。大丈夫です」

 その言葉にルカがやっとランディと視線を絡めた。

 ランディは目を細めると、でも、と付け足した。

 「さっきは僕が謝りましたが……本当は、ルカ様の言っていたことには賛成できません」

 「何?」

 「大きな使命には犠牲がつきものだ、という言葉です」

 ランディは背筋を伸ばして言葉を紡ぐ。

 「まだ、この戦いがどういうものになるのかわかっていないだけかもしれないけれど……僕は誰も、何も犠牲にしたくありません。プリムも、ポポイも。……ルカ様も。みんな失いたくない」

 甘い、と出かかった声をルカは止めた。ランディの瞳が、今までに見たことないほど真剣だったからだ。

 「だから、頑張ります。もっと力をつけられるように。もっと、強くなれるように」

 ランディが拳をぎゅっと握りしめる。

 ルカはそれを見ながらぽつりと言った。

 「その中に……」

 「え?」

 「何も犠牲にしたくない、という、そのくくりの中に……己も入っていなければならないぞ、ランディ」

 ランディが目を見開く。

 やはり、自分のことは考えていなかったか、とルカは溜息をつく。

 「そこまで言うなら、やってみろ。だがな。自分のことも、犠牲にするのではないぞ」

 ルカの言葉に、ランディはは戸惑ったように返事をしない。

 「わかったか?」

 ルカの強い言葉に、ランディははい、と反射的に返事をする。

 その答えに、やっとルカは二百歳という年齢にそぐわない、少女のような華やかな微笑みを見せた。


 
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2009.8.27

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