リピート

 

 

 「あ」

 「……ああ」

 パンドーラ城内の廊下の曲がり角。

 質素な服を着た少年と、資料を抱えた壮年の男性が、お互い自分が曲がった先にいた相手を認識する。

 彼らの他に行き交う人はおらず、不思議な沈黙が辺りを包む。

 「……お久しぶりです、エルマンさん」

 少年がぺこりと礼をした。

 少し細身の体躯に地味な色の服を着た、優しげな印象を受ける少年。どこから見ても、何ら特別なものを見いだせないこの少年が、世界を救った聖剣の勇者であった。

 エルマンが彼に会ったのは一度だけである。全てが終わったあと、彼が娘のプリムを家まで送り届けてきたときだ。

 そのときも、彼は離れたところからエルマンに向かって一礼したのみで、言葉を交わしたことはなかった。

 「プリムから話はよく聞いている。……ランディくん、だったね」

 ランディは顔を上げ、はい、と答えた。

 「一度も挨拶に伺わなかった非礼をお許しください。娘さんを連れ出したことへのお詫びもせずに、すいません」

 そう言ってもう一度頭を下げる。

 エルマンはやや硬い表情のまま、こほん、と咳払いをした。

 「……少し、君とは話をしたいと思っていた。こんなところではなんだから、私の執務室に来てくれないか」

 

 

 大臣の執務室は、城の中でも上の階にあった。

 いつ来ても人でにぎやかなパンドーラ城とは思えないほど、しんと静まりかえり、人の気配もない。

 エルマンが人払いをさせたのか、警備の騎士もいなくなっていた。

 それだけ、人に聞かせたくない話だということだろう。

 ランディはエルマンに促され、執務室へと足を踏み入れ、ソファに腰かけた。

 「今日はどうしたんだい。ポトス村のことかね?」

 エルマンは自分も向かいに腰を下ろしながら尋ねた。

 「あ、はい。村長が腰を悪くして出かけられないので、僕が代わりに……」

 「村長の手伝いか。君は、ポトス村にずっと住むつもりなのかね?」

 「……いえ……わかりません」

 ランディが困ったように俯いて言った。エルマンは表情を厳しくする。

 「……まあ、いい。話というのは他でもない。プリムのことだ」

 「……大切な娘さんを、危険な戦いに巻き込んで、本当に申し訳ありませんでした」

 また頭を下げたランディに、エルマンは首を振る。

 「顔を上げてくれ。そのことはもういい。どうせ、あの馬鹿娘が無理矢理連れていけと言ったんだろう?」

 ランディは困惑しながら顔を上げた。てっきり叱責を受けると思っていたのだ。

 「では、何のお話でしょうか」

 「君は、今城下で流れている噂を知っているか?」

 「……?」

 「うちのプリムが、恋人を亡くしてからいくらも経っていないのに、聖剣の勇者と恋仲らしい、といった噂だ」

 「え」

 ランディはぽかんとして、羞恥に頬を染める。

 「す、すいません……」

 「君とプリムが戦いの上での仲間であったのはわかっている。積もる話もあろう。それはわかるが、世間は君たちが思っている以上に君たちの動向に注目しているんだ。君もプリムも、世界を救った英雄なんだからな。そのことをもう少し考えて行動しなさい。それとも、君とプリムは本当にそう言う関係なのか?」

 「まさか!」

 ランディは顔を真っ赤にして首を振る。

 「それなら尚更だ。会うならもう少し頻度や場所を考えてくれ。君たちが何度も会っている、というのが噂の根拠らしいのでな」

 「……はい」

 ランディは再び俯いた。 

 「というか、だ。私は、もう君とプリムとは、会ってほしくないと思っている」

 エルマンは声を低くして言った。ランディが目を見開いて顔を上げる。

 「君と会っていると、プリムはいつまでもあの戦いを忘れられない。……ディラックのことも」

 パンドーラの騎士であった金髪の青年を思い出し、ランディはぎゅっと膝の上に置いた手を握る。

 「過保護だと思うかね?だがな、いつまでたっても、親にとっては子どもは子どものままなんだ。私は、プリムに幸せになってもらいたい。そのためには、あの戦いのことやディラックのことを早く忘れてほしいんだ。……だから、君のようにあの戦いを思い出させる人には、極力会ってもらいたくない。そのためには何だってする」

 そう言って、エルマンはテーブルに手をついた。ぎょっとするランディの前で、エルマンは深く首を垂れる。

 「頼む。もうプリムとは会わないでほしい」

 「やめてください!」

 ランディは慌ててエルマンの肩に手を置いて、頭を上げさせた。

 「……わかって、います。エルマンさんの気持ちは……過保護だなんて、思いません」

 ランディはエルマンと目を見合わせた。

 「だって、ディラックさんを魔女討伐隊の隊長にしたのも、プリムのためだったんでしょう?」

 エルマンは目を見開く。

 「……なぜ、そう思う?」

 「何言ってるんですか。誰だって少し考えればわかりますよ」

 「……プリムは……」

 「旅の間、ディラックを取り戻すって息巻いてた頃はわかってなかったと思います。でも、戦いが終った頃にはもうわかってたと思いますよ。口に出して言っていたわけじゃないけど、なんとなくわかります」

 「……そうか」

 エルマンが身体の力の抜いてソファに寄りかかる。ランディももう一度ソファに座り直した。

 プリムの家は貴族。対して、ディラックは優秀な騎士だったが、キッポ村の平民の出だ。彼らがどんなに愛し合っていても、結ばれるのは難しい。

 だが、ディラックが大きな武勲を上げれば話は変わってくる。

 「……貴族というのは、面倒なものだ。特に、私の家のように大臣という国の要を担っている役職についている家だと、世間の目や親族からの圧力も大きい。特にプリムは見目の良い娘だから、周りの貴族からの縁談の話も多くてな……将来的にディラックと結婚させるなら、彼らを納得させるようなものが必要だった」

 だからこそ、エルマンはディラックを魔女討伐隊の隊長に任命したのだ。

 ディラックは実力はあったが、まだ年若く、身分も低かった。この人事は異例と言えた。

 「私がディラックに辞令を直接言い渡したときのことだ。『魔女を倒せば、君は救国の英雄となる。名誉も地位も欲しいものは全て君のものになるだろう。難しい任務だが、やってくれるか』と、そう言った私に、彼は鮮やかに笑ってみせた。そして、何と言ったと思う?」

 ランディはじっとエルマンの言葉の続きを待つ。

 エルマンは大きく溜息をついて言った。

 「……『では、帰って来た暁には、あなたの娘を私のものに』と。そう言ったんだ……」

 そして天を仰ぐ。

 「私は、いいだろう、と言った。だが、ディラックは帰ってこなかった……」

 「その話、プリムには……」

 「言っておらん。約束を破ったのはディラックのほうだ。ディラックがプリムを愛していたという証など、教えてやるものか。せいぜいあの世でプリムが自分のことを忘れて行くのを見ながら後悔すればいい」

 悪態をつくような言葉とは裏腹に、エルマンの瞳は悲しみに満ちていた。

 ランディは何も言えず、エルマンから目を逸らした。

 そして、小さな声で言う。

 「……わかりました。プリムとは、会わないようにします。でも、プリムは勘がいいから、急に会わなくなると不審がられるので……」

 「そうだな。なるべく自然なように装ってくれ」

 「……はい」

 こくりと頷いたランディに、エルマンは視線を向ける。そして、静かに言った。

 「……君は、本当にプリムとは何もないのかね?」

 「ないです」

 ランディは苦笑いして答える。エルマンは、じっとランディを見つめる。

 「では、君は、プリムのことをどう思っている?」

 ランディはその問いに、困ったように少し沈黙した。

 「僕は……」

 そのまま何も言えなくなる。エルマンは苦渋に満ちた表情になった。

 「私は……君に酷なことを頼んだな」

 「……いいえ」

 ランディはゆるく首を振った。

 「僕は……僕も、プリムに幸せになってもらいたいと思っています。そのためには何でもします」

 例え、それが自分と会わないことだったとしても。

 「プリムのこと、よろしくお願いします」

 そう言うランディの瞳は決意に満ちていた。エルマンははっとする。

 帰ってきた暁には、あなたの娘を私のものに。

 そう言って、帰って来なかったかつての娘の恋人。その瞳と、目の前の聖剣の勇者の瞳が重なる。

 ――これで本当にいいのだろうか。私はまた、取り返しのつかない間違いをしようとしているのではないか。ディラックが帰ってこなかったように。

 そんな予感に苛まれながらも、エルマンはランディの言葉に頷いていた。

 

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ま、結局、ランディは「灯」で我慢しきれなくなってプリムに会ってしまうんですけども(笑)

2009.6.10

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