ふたりのレゾンデートル


「ドリアード?」
「うん。最後の精霊はどんな子なのかなあと思って」
 剣の手入れをしながらのんびりと言ったランディに対し、シェイドは反応せず、サラマンダーは思い切り顔をしかめた。
 旅の途中、森の中の澄んだ泉のほとり。ここのようなマナが豊富な場所では精霊たちが飛び出てきて姿を現し、三人とじゃれあっていくことがあった。この日もそんな風にして、プリムは水に足をつけルナやウンディーネ、ウィル・オ・ウィスプと共に雑談しているし、ポポイはお弁当を開けておかずについてノームやジンに自慢をしている。
 ほんの雑談のつもりだったランディは、快活なサラマンダーの珍しい渋い反応に首を傾げた。サラマンダーは苦虫を潰した顔をしている。
「……アイツは……あんま、オレとはソリが合わねえ」
 いつもの勢いはどこへやら、そう言うとサラマンダーはふいとポポイたちの方へと言ってしまった。
 ランディが困惑していると、ふいにシェイドが口を開いた。
「炎は樹を燃やしてしまう。ドリアードは大人しく、ネガティブな性質だ。いつも騒がしく前向きなサラマンダーを怖がっている節がある」
 怖がっているというのもどうにも正確ではないんだが、とシェイドは言い澱んだ。
「私なんかが、と言いがちで、それがサラマンダーにするとイライラするらしい。他者をイライラさせてしまった、という事実にドリアードはますます萎縮する。そしてサラマンダーはまた苛立つ」
 ランディはなるほど、と頷いた。
「わかったよ。シェイドはサラマンダーを誤解してほしくないんだってことも」
 普段寡黙なシェイドがこれだけしゃべったということは、不躾な態度を取ったサラマンダーの立場を理解してほしいということだ。そして同時に、ドリアードのことも悪く思われたくなかったのだろう。
「シェイドは優しいね」
「そんなことはない」
 シェイドはランディから隠れるように身体の向きを変えた。そんなシェイドが微笑ましく、ランディは剣を拭く手を止めないながらにくすりと笑った。
 そのまま泉が反射する陽光を見つめていると、ぽつりとシェイドが呟いた。
「……似ているかもしれない」
「え?」
「汝とドリアードだ。優しい、というなら汝らの方が相応わしい。優し過ぎて……少し気にかかる。だからこそサラマンダーはドリアードが苦手なのかもしれない」
 そんなことはない、とランディは否定したがシェイドは黙ったままだった。
 他の精霊たちがはしゃいでいる声を聴きながら、ランディはまだ見ぬドリアードについて考えていた。
 
 
 
「ポポイ! 魔法を!」
「魔法っていっても! 命中させられるかどうか」
「僕が隙をつくるから! プリムは防御を頼む」
「くっ……まさか、空の上で攻撃されるなんて想定していなかったわ」
 三人はフラミーの背の上にいた。
 ただ、いつもと違うのは周りをずらりとモンスターに囲まれていることだ。
 今までフラミーで移動しているときに襲われたことはなかった。空にはモンスターは生息していないからだ。
 ーーおそらくは、タナトスの差し金だ。
 ランディは焦りながらも冷静に分析する。
 目の前の雲のかたちのモンスターたちは目の焦点が定まっていない。タナトスの魔力に支配されていたときのパメラやディラックと様子が似ている。おそらくは操られて、ランディたちを攻撃するように仕向けられているのだろう。
「倒せなくてもいい、なんとか振り切ってマナの神殿にたどり着ければ……!」
 ランディはそう言って、鞘から剣を引き抜いて構えた。
 三人は、マナの神殿に向かっているところだった。
 帝国よりも早くマナの神殿に着いて、マナの種子を封印しなければならない。
 帝国側が何らかの邪魔をしてくるとは考えていたが、まさか空中で襲われるとは考えていなかった。迂闊だった、とランディは唇を噛みしめる。
 だが、帝国側が既にマナの神殿に着いているのであればランディたちを足止めする必要もないはずだ。つまり、敵もまだ神殿にはたどり着いていないということだ。
 ランディははやる気持ちを抑えると、近づいてきた雲たちに聖剣をふるった。しかけてくる魔法にはプリムが魔法で防壁を作って防ぐ。
 ポポイが魔法を唱えて敵に向かって放つが、地面とは違う不安定な足場のせいか、なかなか命中せず敵の数は減らない。
 フラミーも必死に先に進もうとしているのだが、モンスターの数が減らないのでなかなか動けない。
 空中での戦いにくさにランディが内心の焦りを必死に押し殺していると、正面にいたモンスターの目がきらりと光った。
 え、とランディはその瞳を見つめてしまった。
 ーーあれ……どこかで、同じものを。
 次の瞬間、ぶあっと黒い霧のようなものが広がった。
「え!?」
「何!?」
 プリムとポポイも、とっさには反応できなかった。
 そして、その霧は一番先頭にいたランディに向かっていく。
 身体をひねれば避けられる。
 時間にすれば一瞬のことだったが、ランディは頭の中でゆっくり時間が進むかのように考えをまとめていた。
 でも、避けたら、プリムかポポイに当たるか……フラミーに被害が行く。大丈夫、見た目からして死ぬまでのダメージは受けないはずだ。
 ランディは覚悟を決め、目をつぶった。
 プリムとポポイの悲鳴が響き、ランディの身体を衝撃が襲った。
 フラミーの背中で倒れ伏すランディの耳に、嘲笑が聞こえてきた。
 それは、忘れることのできない呪術師のものだった。
 ーー本当に馬鹿だねえ、聖剣の勇者は。避けられるのに避けないだろうと思ったんだ。読み通りだったよ。
 うるさい、と言おうとしたが、口が動かない。プリムとポポイが自分を呼ぶ声がする。
 二人には、タナトスの声が聞こえないのだろうか。
 テレパシーのようなもので話しかけられているのだろう、と不愉快な状況にランディは眉をひそめた。
 ーーこの襲撃は、君を痛めつけることが目的だったんだ。一時でも君を行動不能にすれば、私の目的は達成されるからね。
 うるさい、うるさい!
 ランディは沈みそうな意識の中で、必死に抵いの声をあげる。
 こんな怪我くらい、すぐにプリムに治してもらう。そしてすぐにお前たち帝国を倒しにいってやる。
 ランディの声にならない思考はタナトスに伝わったらしい。タナトスが鼻で笑う気配がした。
 ーーあのお嬢さんの魔法では治らないと思うよ。ちょっと特殊な術なのでね。
 なんだと、と思うのと同時に、タナトスがさも愉快だというようにあげる笑い声が聞こえた。
 ーーしかし、君も健気だね。そして、実に愚かだ。仲間をかばうなんて。
 そんなの、当たり前だ。二人とも、僕にとってとても大切な仲間なんだから。
 ランディの噛みつくような返答に、タナトスの嘲りのこもった声が響く。
 ーー君にとってはそうかもしれないけれど。二人はどうなんだろうね。
 何が言いたい。
 ーー君が二人に大切にされるのは、君が聖剣の勇者だからだろう。お嬢さんは恋人を救う力を持った君を宛にしているだけだし、妖精の子どもだって、復讐に力が必要だから君の近くにいるだけだ。
 そんなーーそんなことはない。
 ーー今だけだ。君が仲間の二人に、水の神官や共和国の騎士や、各国の王たちに必要とされるのは。戦いが終わったら、君など用済みだ。
 ちがう!
 ーーいいや、違わない。戦いが終わったら、君は、必要ないんだよ。
 ちがう……。
 そう反論しようとしたのも束の間、ランディの意識は闇に沈んでいく。
 モンスターの目の中に見えた光が、タナトスの仮面の穴から見えるものにそっくりだったことに気づいたときには、完全に意識を失っていた。
 
 


 倒れたランディを乗せ、フラミーは一旦タスマニカ王国に戻った。帝国に対抗してマナの神殿に向けて騎士団を派遣しようと準備に追われていた城は騒然となった。
 ジェマは驚いた顔をしながらも、部屋と医者を用意してくれた。
 ずらりと医薬品が並んだ城の医務室で、ベッドに寝かされたランディに向かって、プリムが手をかざす。
「ヒールウォーター!」
 手から淡い光が発し、ランディの身体を包む。
 だが、ランディの顔から苦悶の表情は消えない。
「なんで!? さっきから何度も魔法かけてるのに……!」
 プリムが泣きそうな顔をしながら叫ぶ。ポポイが気遣うようにその手を押さえた。
「ネエちゃん、もうやめなよ。魔力が尽きてネエちゃんまで倒れちゃうよ」
 ベッドから一歩ひいた二人に代わり、ジェマがランディに近づく。
 ジェマがランディの身体に触るが、どこにも目立った外傷はない。だが、身体を丸めるようにして苦しみ続けている。
「これは……一体」
「わからないの。どこにも怪我ないのに、ずっと痛がったままで、魔法をかけても変わらなくて」
 ジェマは虚空を見上げると、声を張り上げた。
「ルカ様! 見ておられるでしょう。ランディの症状に心当たりはありませんか」
 すると少し間を置いて、空気が震えてルカからのテレパシーが届いた。
 ーー呪い……と呼ばれるものかもしれん。魔界の力の一種じゃ。
「魔界!」
「ちくしょう、ってことはタナトスのせいかよ!」
 プリムが悲鳴をあげるように叫び、ポポイが悔しそうに壁を拳で叩いた。
 ーー恐らくは、呪いが脳に直接働きかけて痛みがあるように錯覚させているのだろう。だから外傷もないのに苦しみ続けているのだ。
 ルカの言葉に、プリムがすがる。
「どうしたらいいの!? ヒールウォーターは効かないの!?」
 ーーヒールウォーターは聖なる水の力によって、その人の持つ生命力を高めて治療や回復を行う。だが、呪いを解くには人間の生命力ではいくら高めても限界があるので効果がないのだ。
「どうすればいいんだ!」
 ポポイが勢い込んで尋ねる。
 ーー呪いを解くには、魔法の力が呪いの力を上回らなければならない。ひとつだけ、それが可能な高度な魔法がある。
 プリムとポポイは、固唾をのんでルカの言葉を待つ。
 ルカが厳かにその名前を告げた。
 ーーリバイブ。木の生命力をもたらす魔法。木の精霊、ドリアードの魔法じゃ。
 部屋の中に沈黙が落ちた。
「……うっ、ぐう……ああ!」
 ランディの呻き声が響き、プリムとポポイははっとする。
「……ドリアードの魔法、ってことはオイラたちはまだ手に入れていないじゃないか!」
 ポポイが焦ったように言って、ランディを見る。
「はあ……う……ぐっ……」
 ランディは呼吸すら苦しそうに、きつくベッドのシーツをつかみ、痛みに耐えている。
 ランディは仲間に心配をかけまいと、怪我したことや具合が悪いことを隠そうとするのが常だ。そのため、こんな風に目に見えて辛そうなランディを見るのは初めてだった。
 逆に言えば、虚勢を繕う余裕もないほど苦しいということだろう。
「ランディを治すには、マナの神殿に行って、ドリアードを仲間にするしかないってことね」
「絶対に帝国のやつらはいるだろうけど……仕方ないな」
 プリムとポポイはお互いに視線を合わせてうなずきあった。
「おい。まさか、お前たち……!」
「行くわ。私とポポイの、二人で」
 ジェマが慌てたように二人に近寄った。
「マナの神殿にはおそらく帝国の皇帝も四天王も向かっているんだぞ! ランディなしで危険すぎる!」
「だからってこのままランディを放っておくっていうの?」
 プリムは目標が定まって覚悟が決まったのか、凛とした態度でジェマに言い返す。
「大丈夫だぜ! アンちゃんがいなくても、オイラの魔法で敵を蹴散らしてやる!」
「そうよ。ドリアードを仲間にして、ついでに皇帝もタナトスもまとめてやっつけてきて、ランディにあんたの出番なんてないわよって言ってやるわ!」
 ジェマは二人が強がっていることに気付いたが、結局それしか方法がないだろうと引いた。
「わかった……ランディのことはわしに任せて行ってこい」
 そのとき、ランディのか細い声が聞こえた。
 三人は一斉にベッドを振り向いた。
「ランディ? ランディ、大丈夫!?」
「ふた…りとも、だめだ」
 ランディが途切れ途切れに言葉を発する。
「だめだ……いっちゃ」
 そこまで言って再び痛みに突っ伏してしまう。
 プリムはふっと慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、そっとランディの額の髪をかきあげると言った。
「ばか。あんたは今回、一回休み。自分の心配だけしてなさい」
 ポポイはいたずらっぽく、ひひひと笑う。
「そうそう、アンちゃんは留守番。いってくるな、アンちゃん」
「ジェマ、ランディのこと、お願いね」
 ジェマが「ああ」と返事をすると、二人はくるりと背を向けた。ランディに見せたものとは打って変わって、真剣な表情になる。
 呪いは今すぐ死ぬことはないようだが、痛みを耐え続けるランディの精神がいつ限界になってもおかしくない。なるべく急いだほうがよい。
 プリムとポポイはタスマニカの城の中庭に待たせたままだったフラミーの背に乗ると、「マナの神殿へ」と告げた。
 
 
 飛び立っていったふたりを見送り、空を見つめたジェマはやがて周りの騎士や兵士たちに指示を飛ばし始めた。マナの神殿に向かう船に自身も乗船しなければならず、応援に来てくれていたクリスにランディの世話を頼む。クリスは了承したが、その頃にはもうランディは部屋を抜け出していた。
 
 
 二人はフラミーでマナの神殿に向かったが、今度は空中で何も起こらなかった。
 オイラたちのことは眼中にないってか、とポポイは悪態をついた。
 降り立ったマナの神殿には既に皇帝と四天王のうちふたりの姿があった。皇帝はまるでプリムとポポイが来るのを待っていたかのように、今まで封印してきたマナの種子は全て封印を解いたこと、あとはマナの神殿の種子の封印を解けば古代の大陸が浮上し、マナの要塞が復活することを高らかに語った。
「陛下、私にお任せください。陛下は先にファウナッハと祭壇へ!」
 四天王のひとり、シークがふたりの前に立ち塞がった。もうひとりのファウナッハと皇帝は神殿の奥へと進んでいく。恐らくは最奥にドリアードもいるだろう。すぐにでも追いかけたいが、それを目の前の男が許してくれるとは思えなかった。
 メガゾーンへと姿を変えたシークは皇帝や自分も魔界の力を手に入れたことを嬉々として語った。
 プリムとポポイはぞっとした。魔界の力とそれを手にした彼らの強大さに恐れを抱いたのもあるが、ランディのあの苦しみようを思い出したのだ。あんな悍ましい力を手に入れることに喜びを覚えている、四天王も皇帝ももうまともな神経をしていない。
 メガゾーンの様相も毒々しい緑色と球体の身体に二本の足という禍々しいもので、とても直視に耐えなかった。
「お前らみたいに、人の身に余る力を手に入れることに躊躇しないやつらに負けられるかよ!」
 ポポイはそう叫んで攻撃魔法をいくつも放つ。しかしそれらは全て着弾する前に弾かれた。反射してきた魔法を慌てて避けながら、プリムは青ざめた。
「カウンタマジック!」
 精霊たちから話に聞いていた、攻撃魔法を跳ね返す木の魔法だ。ポポイもすぐに察してブーメランに持ち替える。
「ええい、魔法が効かないなら武器だ武器!」
「聖剣の勇者がいないお前たちの攻撃など恐るるに足らず! 聖剣がなければ私の魔界の身体にダメージは与えられないだろう!」
「それはどうかしら!」
 プリムがルナを呼び出して魔法をかける。
 シークの言葉はその通りだったが、プリムとポポイの武器はワッツによって聖剣を鍛えたハンマーと同じもので作られ鍛えられた武器たちだ。聖剣と同じように魔界の者にも効果はある。
 メガゾーンはジャンプを繰り返し、ふたりを呑み込もうと襲いかかってくるが、プリムとポポイは身体を翻し攻撃を加えていく。やはりランディが抜けた穴は大きいが、エナジーボールやムーンセイバーで攻撃の威力を上げたため着実に相手の体力を削ってはいる。クイックで素早さも上げたふたりの動きに巨大故にメガゾーンは付いて来られない。
 だが、魔界の異形に対してふたりの武器は決定打にならないでいた。確かにダメージは与えているのだが、やはり聖剣ほどではない。
 プリムとポポイは目を見合わせた。
「ハハハハ、やはり聖剣の勇者なしでは厳しいのではないか!?」
 シークの嘲笑をものともせず、ポポイはブーメランを放った。それを防いでいる隙をついて、呪文を唱える。
「馬鹿め、魔法は効かないとわからんのか!」
 シークの声にポポイは口元を歪めた。
「馬鹿はどっちだよ」
 ポポイが放ったエクスプローラが爆発し、その炎と煙がシークを巻き込む。今日初めて熱気を感じてシークはなぜだ、と驚きで目を見開く。
 カウンタマジックにも効果持続時間がある。ポポイはシークがカウンタマジックをかけ直す時間を観察して割り出し、その隙を狙って攻撃魔法を放ったのだ。
 だが、たかが一発の魔法が入ったところでなんだというのだ。
 シークが体制を立て直そうとしたところで、彼の視界で何かが飛び上がった。
 それは金色の髪を靡かせたプリムだった。その両腕が振り上げているものは聖剣だ。
「なっ……!?」
 シークーーメガゾーンの身体は断末魔も上げる暇なく真っ二つに切り裂かれた。
 プリムは嫌な手応えのする両手で剣の束を握りながら着地した。
「さっすがネエちゃんタイミングばっちり!」
「うまく行ってよかったわ」
 ポポイの賛辞に頷きつつプリムはメガゾーンを一瞥しようとしたが、滅びにより魔界の契約が終わりを告げたその身体は砂になりあっという間に風に巻き上げられた。
 聖剣を扱えるのはそれを抜いた聖剣の勇者だけーーだから、ランディがいないとなれば敵は油断するだろう、と予想された。
 しかし実はランディだけでなくプリムもポポイも聖剣を扱うことはできる。どうやら長い旅路を共にする中で、聖剣にふたりも仲間だと認められているらしい。だがそれは、帝国側には知り得ない情報だった。モンスターを倒すときにはランディも他の武器を使っていたり、プリムかポポイが聖剣を使っていたりすることもあったが、大事な局面では必ずランディが聖剣を持っていたからだ。
 ふたりはそこに勝機を見出し、剣をランディから借りてきたのだ。
 ふたりは勝利の余韻に浸る間も無く祭壇に急いだ。しかし時すでに遅く、マナの種子と聖剣は共鳴しない。
「ちっくしょう、遅かったか!?」
「早く逃げてください!」
 ポポイの舌打ちに被さるように、涼やかなな声が響いた。祭壇から背後を振り返ったふたりの前にいたのは幹のような身体と、葉のように青々とした髪を持った精霊だった。
「私は木の精霊ドリアードです。とうとう世界中の種子の封印が解かれてしまいました。まもなくこの神殿の地下に眠る大陸が浮上します! すぐにこの島を離れてください!」
 ふたりは歯噛みして種子を見つめたが、もうどうしようもない。ドリアードを連れ帰る、という目的だけはなんとか果たせると思ったが、彼女は俯いてしまう。
「私はここに残ります」
「ばか! 何言ってんだ! 来いよ、一緒にマナを守ろうよ!」
 ポポイの言葉にもドリアードは頑なに首を振る。
「タナトスという男に、『マナ』の魔法を封印されてしまいました。きっとお役に立てません」
「そんなことはいいの! 早く一緒に……!」
「私のことはいいから、早く逃げてください!」
 プリムとポポイが焦るほど、ドリアードの態度は頑なになっていく。押し問答をしているうちに轟音と共に神殿が揺れた。
 ああ、とドリアードが絶望の声を上げる。ふたりは立っていられずに神殿の床を転がった。柱が倒れ、床にヒビが入る。パラパラと天井からも細かい石が落ちてくる。
 このままでは本当に危険だが、フラミーを呼び出すための風の太鼓が入った荷物は浮上の衝撃でどこかに行ってしまった。
 プリムとポポイがなすすべなくただ自分たちの頭を守って体勢を立て直そうとしていると聞き慣れた声が聞こえた。
「プリム! ポポイ!」
 崩れた天井から顔を出したのは、ここにいないはずのランディだった。
「ランディ!? どうして」
 よく見るとランディはフラミーの背に乗っている。城を抜け出し、ランディを心配してタスマニカに戻ってきたフラミーに乗ってここまでやってきたらしい。ランディは神殿に入ってくると、崩れた柱や資材を伝ってプリムとポポイのところまで降りてきてその手を掴んだ。
「さあフラミーに乗って。ここから脱出しよう!」
「で、でもアンちゃん……痛みは大丈夫なの?」
 ランディはそれに答えなかった。
 プリムは彼の額に脂汗が浮かんでいるのを見た。プリムはきっと眉を吊り上げたが、説教は後だと呑み込む。
 ランディがプリムとポポイを引き上げてフラミーに乗せた後、ドリアードにも手を伸ばす。
「さあ、君も一緒に!」
「私は神殿を守ることができませんでした。せめて、最後を見届ける義務があります」
 ドリアードは首を振る。プリムとポポイが口を開きかけたところで、ランディがフラミーから降り、崩れ落ちそうな神殿をドリアードの元へ駆け寄った。
「君に一緒に来てほしいんだ」
 ランディの真摯な瞳を、ドリアードが見つめる。ドリアードが何かを言いかけたときに轟音が響き渡った。
「ランディ!」
「ドリアード!」
 フラミーに乗ったプリムとポポイの叫びが聞こえる。再び起こった浮上による地震で、柱や天井が一気に倒れ落ちてくる。
 ランディとドリアードの意識は悲鳴を上げる間も無く落ちていった。
 

 ドリアードが目を覚ますと、そこは暗闇に満ちていた。
 それは絶望にも似ていた。
 タナトスという男がマナの神殿へと突然やってきて、ドリアードの魔法を封じた。魔界の大きな闇の力には全く抵抗は無意味だった。
「聖剣の勇者は身動きできないようにした。そして、聖剣を完全に復活させる『マナ』の魔法も封じた」
 そう楽しそうに言うと、しかしマナの種子の封印はまだ解かずに魔術師は去っていった。そして後から来た皇帝と四天王の女が封印を解いた。
 何がタナトスの目的なのかはわからないが、はっきりしているのは自分が全くの役立たずになってしまったことだ、とドリアードは思った。
 マナの魔法が使えなければ自分の魔法は地味なものばかり。きっと聖剣の勇者たちの期待には添えない。
「ドリアード、大丈夫?」
 暗闇の中で、そっと身を起こす物音がした。
 先ほど現れた聖剣の勇者のものだ。近くにいるらしい。
「は、はい」
「僕も咄嗟に身を守ったし、隙間に入り込んだから無事。でも、完全に瓦礫に閉じ込められてしまったみたいだね」
 あまり動くと崩れて潰されてしまうかもしれないから、大人しくしていようか、という彼の言葉に頷いてから、ドリアードは慌てて「はい」と返した。暗闇で見えないのだから言葉を発さなければ相手に伝わらない。
 ドリアードは話すのが苦手だった。不快に思われたらどうしようという気持ちが拭えないのだ。しかし沈黙はそれはそれで苦手だった。何か話さなければと思ううちに焦ってよくわからないことを言ってしまう。ましてや久しぶりに人間と関わるのだ。
 だがそうも言っていられない。
「あの……ご迷惑をおかけしてすみません。私なんかを助けるために……」
 巻き添えにしてしまうくらいだったら、さっさと自分も手を取って助けてもらえばよかったのだ。
 わかってはいるのだが、ドリアードには自信がなかった。魔法は満足に持ち合わせず、神殿も守り切れず。自分に助けられる価値などないと思った。
 プリムもポポイも必死だったが、だからこそあの必死さに報いられる気がしなかったのだ。
 ランディがふいにくすりと笑った。
「え?」
「いや、シェイドが言ってた通りかもな、って」
 君と僕が似ているって。
 ランディのくつくつという笑い声に、ドリアードはどうしたらいいかわからず声の方向を見つめた。
「僕も思ってた。僕なんか、って。でも、プリムとポポイと出会って変わったんだ」
 表情は見えないがわかる。
 きっとランディはとても穏やかな顔でいるのだろうとドリアードは思った。
「プリムもポポイも、僕にここにいていい、って伝えてくれるんだ。言葉じゃないんだけどわかる。僕の好物を残しておいてくれたり、傷に回復魔法をかけてくれたり。そういうことで、ただここにいていいって思えるんだ」
「……はい」
「でもね」
 ランディが言葉を切った。
「ただここにいていい、ここにいるだけでいいって肯定されることが初めてで、本当に嬉しかったんだ。でも、でも……」
 役に立ちたいって思ったんだ。
 ぽつり、とこぼされた言葉にドリアードは声のする方向を見つめた。
「ここにいていいんだ、ってわかったらそれから……ふたりの役に立ちたいって思った。ここにいていいって思えるためじゃなくて、本当にふたりの役に立ちたいんだって。ふたりだけじゃなくて、ルカ様やジェマ、みんなのために。だから世界を救いたいって。そうしないと、僕『なんか』って思うことから、ずっと抜け出せない。どんなに自分を大事にしろって言われても、どうしようもなくて」
 ランディはそのまま黙った。ドリアードは彼の言葉を噛み締めていたが、やがて彼の息遣いがおかしいことに気がついた。
「……ランディさん、でしたか」
「え? ああ、うん」
「もしかして怪我していますか?」
 ランディは少し黙った後、「ううん」と否定した。
「タナトスに呪いをかけられて……」
「え」
「ドリアード、君も僕と同じじゃないかな」
 ランディが身体をずらす音が聞こえた。彼がドリアードへと近づいてくる。
「みんなの自分への気持ちは嬉しいけれど……役に立てない自分をどうしても許せない」
「ランディ、さん……」
「ねえ、ドリアード。僕のこの呪い、君の魔法で解けるらしいんだ」
 ランディがドリアードの手を掴む。
「僕の、役に立ってほしい」
 そのとき、パラパラと瓦礫の粒が落ちてきた。ガタン、という大きな音と共に光が差し込む。
「アンちゃん! ドリアード!」
「ふたりとも無事!?」
 必死の形相で瓦礫の隙間から二人を見遣るプリムとポポイを見て、それからドリアードはランディの方へと視線を降ろした。
 植物の色をした瞳と視線が合う。ランディはやわらかく微笑んだ。
 ドリアードは頷く。堰を切ったように涙があふれ、何度も何度も頷いた。
「はい。私、本当は……わがままなんです。いてくれるだけでいいって言われても、足りない。私なんかが持つのは烏滸がましい望みなのかもしれない。でも、こんな私でも」
 誰かの、役に立ちたいんです。
 ドリアードの涙声に、ランディは晴れやかにやっぱり、と笑って頷いた。
「僕たち、よく似てるんだ。きっとうまくやれる。これからよろしくね、ドリアード」
「はい!」
 
  
 リバイブの魔法で呪いを解除されたランディはプリムと追いついてきたジェマにしこたま怒られ、ドリアードは神殿に残ったところで何もならないだろうと怒り浸透のサラマンダーに怒鳴りつけられて何度も謝り、ポポイが仲裁に入るのだった。text

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