眠れない夜

 

 

 ジェマはふと目を覚ました。

 視界には見慣れない古びた天井がある。ここはどこだったか、と考え、ああ今はポトス村にいるのだと思い当たる。

 戦いが終わり、平和が訪れたが、世界全体がすぐに混乱から抜け出たかというとそうではない。ジェマはタスマニカの騎士として世界の国々の様子を見て回ったり、あるい

はマナの研究者としてマナがどうなったのか調べたりと、各地を飛び回っていた。

 今回はルカに用があり水の神殿を訪れたついでにと、ランディに会うためにポトス村まで足を延ばしたのだ。

 ランディと、彼が住む家の家主でポトス村の村長でもある老人は快くジェマを迎えた。

 ランディとポトス村の村長の間にはお互いを気遣うような雰囲気があったものの、概ね問題なく穏やかに暮らしているようだ。

 ランディと二人、積もる話に夢中になっているうちに、強い雨が降り出し、今日はここに泊まればいいと言われてその申し出に甘えたのであった。

 ジェマはむくりと起き出した。

 雨の音が、耳にうるさく響く。

 少し喉が乾いた。何か飲み物を調達して、落ち着いたらまた眠ろう。そう思い、借りた寝間着のまま廊下に出る。

 すると、リビングから明かりが漏れているのがわかった。

 村長が、遅くまで仕事でもしているのだろうか。

 訝しく思いながらも足を運び、顔をのぞかせてみて驚く。

 リビングのテーブルにはランディがいた。

 肘をつきながら、グラスを揺らしている。

 「ランディ?」

 ジェマは声をかける。彼も喉が渇いてキッチンにやってきたのだろうか。

 「ーージェマ?」

 顔を上げたランディは、とろんとした目でこちらを見た。

 ジェマはランディの傍らにある瓶に目をやってさらに驚く。ラベルからして、かなり度の強いウイスキーだ。しかも、半分以上が既になくなっている。

 「お前……」

 ――ランディったらすごくお酒に弱いのよ。一口飲んだらすぐに寝ちゃうの。

 以前、何かの折りにそう言っていたプリムの言葉を思い出す。

 旅の最中、三人で酒を飲む機会があったらしい。平気な顔をしていたプリムとポポイとは対称的に、ランディは翌日ひどい頭痛と吐き気に襲われて、以来酒を口にしないのだと聞いていた。

 その話が嘘だったのではないかと思うほど、ランディは慣れた様子でグラスを傾けた。空になったグラスに、更にボトルから琥珀色の中身を注ぐ。

 「どうしたの、ジェマ」

 声色ははっきりしているが、多少呂律が回っていない。

 「いや……眠れなくて飲み物をもらおうと思ってな」

 「そっか。じゃあジェマも飲む?」

 そう言って、グラスを掲げてみせる。

 ジェマは動揺しながらも、静かに首を振った。

 「いや……いい。しかし、ランディが酒を飲むとは知らなくて、驚いた」

 「以外だった?」

 ランディはそう言って笑みを作ってみせる。だが、その瞳がどこか暗く澱んでいる。

 「前は一口飲んだだけでだめだったんだけどねー」

 そう言ってまた一口口に含む。

 ジェマは今更になって、彼がストレートで飲んでいることに気づく。しかも、この分ではジェマが来る前からかなり飲んでいたことが伺えた。

 「……そのくらいにしておいたらどうだ」

 「眠れないんだ」

 ランディの声が響いた。ジェマは思わず押し黙る。

 「……夢を見るんだ」

 ランディはグラスを置いた。

 「帝国の城が燃える炎……要塞の攻撃の光……モンスターを斬ったときの感触、血……ボロボロになったマナの樹、母さんの最期の言葉……ディラックさんの笑顔……プリムの泣き声……ポポイの、決意に満ちた瞳……そういうのが、全部、浮かんでは消えて、眠れない」

 ランディはくしゃり、と自分の前髪をつかむ。

 「それに……聞こえるんだ……ポトス村の人が僕を責める声が。『お前のせいだ』って。だんだん、その声が増えていくんだ。いつのまにか、村の人だけじゃなくて、プリムやポポイ、ディラックさんの声も聞こえる。『お前のせいだ』『お前のせいだ』って……」

 「違う、ランディ!」

 ジェマは思わず、大声を出した。

 「それは夢だ。プリムやポポイが……お前を責めるわけがない」

 「うん、わかってる。でも、聞こえるんだ」

 ランディは苦しげに激しく首を振る。

 「怖い。夢を見るのが怖くて、眠れない。お酒飲んだら……夢も見ないで、ぐっすり眠れるんだ。次の日、頭痛とか吐き気とか、死ぬほど辛いのわかってるんだけど、やめられなくて……」

 「……っ!」

 ジェマは何も言えない自分が歯がゆくて仕方がなかった。

 ランディが再びグラスに手を伸ばすが、指があたり、グラスが音を立てて倒れた。木のテーブルにグラスの中身がこぼれる。

 「あ、やば……何か拭くもの……」

 ランディは椅子から立ち上がろうとしたが、足に力が入らず身体がぐらりと傾く。

 「ランディ!」

 ジェマは思わず駆け寄り、崩れ落ちようとしていたランディの身体を受け止めた。

 ランディはゆっくりと顔を上に向ける。

 「ありがと、ジェマ」

 「お前、どれだけ飲んだんだ!」

 「うーん、けっこう。最近、量増えてきてるわかってるんだけど……あー、やっと寝られそうかも」

 「おい、ランディ……」

 「ごめん、ジェマ……村長には、黙っておいて……心配、するから……」

 そこまで言うのが限界だったようで、ランディは目を閉じて寝息を立て始めてしまった。

 ジェマは仕方なく、その身体を背中に担ぐ。細身とはいえ大の男一人を運ぶのは骨が折れたが、なんとか彼の自室まで連れて行き、ベッドに寝かしつけた。

 ランディは起きる気配すらなく、よく寝入っていた。

 ジェマは溜息をつくと、彼の部屋を眺めた。

 がらんとした、必要最低限のものしかない部屋だ。マナに関しての本がいくつか積まれているほかは、机の上には何もない。

 まるで、すぐにでも出て行けるような。

 ジェマは再び溜息をつくと、リビングを片付けようと廊下を戻る。

 そこには、村長がいてテーブルを拭いていた。

 「ランディは寝ましたか?」
 
 村長は振り向かずに問いかけてきた。

 ジェマは何を言うか迷ったあと、結局短く「……ええ」と答えた。

 「ここのところは毎日ああで……」

 村長が苦笑する気配があった。

 「ランディはあなたに酒を飲んでいることを隠しているようでしたが、気づいてらしたのですね」

 「はい。……でも、気づいても……何もできませんでした」

 村長は一気に老けこんだような背中を向けて、溜息をついた。

 「もう十五年以上前になります。ランディの母親が、戦火の中赤ん坊を抱いて、一晩だけでいいから泊めてくれと言って逃げ込んできたのは」

 ジェマは立ちつくしたまま耳を傾ける。

 「もう、彼女の顔も覚えていません。次の日の朝、起きてみるともう彼女の姿はありませんでした。ランディだけを置いて、書き置き一つ残さず。今思えば、マナの種族として狙われていた彼女は、自分がいたという痕跡を、ひとつでも残したくなかったのでしょう。困ったことになったとは思いましたが、捨てるわけにもいかず、ランディを育て始めましたが……よそ者で、捨てられた子だということはすぐに知れる。彼にとってこの村は、居心地のいいものでは決してなかったでしょう」

 村長は振り向いてジェマのほうを向いた。

 「彼を追い出すという判断をしたことを、私は後悔していません。私はポトス村の村長だ。村を守ることを優先にして考えなければならなかった。……ですが、ランディの幸せを願わなかったわけではないんです」

 「ええ……わかっています」

 ジェマは静かに頷いた。自分がランディに対して息子を見るような気持ちでいるように、彼を十五年以上育ててきた村長も感じているのだろう。

 「そうやって父親を気取るなら、酒を飲んでることを咎めるべきなんでしょうね。けれど……」

 村長は首を振る。

 ジェマには村長の気持ちが痛いほどわかった。

 村長は彼を追い出したことを。

 ジェマは彼に聖剣の勇者の役割を背負わせたことを。

 彼に対して、罪悪感を持っている。

 だから、どうしても一歩引いてしまう。止めることができない。

 ――プリム。ポポイ。

 ジェマは心の中で呼びかける。

 あの二人なら、すぐにランディの頭をどついて、いい加減にしろ、と怒鳴って止めるのだろう。

 私には、できそうもない。

 できるのは、ただただ祈ることだ。

 孤独な聖剣の勇者が――いや、一人の少年が――どうか、幸せになりますように、と。

 「どうです、飲みませんか」
 
 村長がランディの酒を仕舞い、新たなボトルを出してきた。

 「……ええ、いただきます」
 
 ジェマは苦い顔をしたまま、椅子を引いて腰かけた。

 

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聖剣世界では年齢関わりなくお酒は自分の判断で、ってことになってることにしてください(笑)
2009.6.27

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