箱庭

 

 

 

 

 

 タスマニカ共和国は島国である。ひとつの大きな島に、ひとつの大きな城を建て、そこで国民が皆生活している。だが、その島ひとつが領地というわけではなく、周辺には小さな離島がいくつか散らばって存在している。

 

 神獣との戦いを終えたランディとプリムは、その離島のひとつにいた。

 

 戦いのあと、要塞から投げ出された二人は、雪山の中腹で発見された。二人はそれぞれ戦いで傷を負っており、特にランディは重体だった。マナがなくなってしまったため、プリムの魔法で治すこともできない。そこでジェマはタスマニカ共和国で治療を受けられるように手配しようとした。

 

 だが、世界は聖剣の勇者が世界を救ったという知らせに沸き立っていた。タスマニカ共和国もその例外ではなかった。

 

 世界は確かに救われた。しかし、聖剣の勇者とその仲間である貴族の令嬢は、そのためにあまりにも大きな代償を支払った。彼らを捕らえる喪失感は深い。

 

 そのことをよくわかっていたジェマは、世間のお祭り騒ぎに二人を巻き込みたくはなかった。そこで、改めて、国の支配地である離島に二人の療養のための邸宅と、医者を手配してくれたのだ。これで世間の目から二人を隠すことができる。

 

 最初の二週間、ランディの意識は戻らなかった。回復の早かったプリムはつきっきりで看病にあたった。

 

 その間、窓の外では神獣のかけらが降りしきっていた。

 

 神獣のかけらが降り止む頃、ランディの意識は回復した。その後の経過は順調で、三週間経った今では邸宅の中を歩き回れるほどになっていた。

 

 

 

 

 

 「ランディ?ランディー?」

 

 プリムは邸宅の廊下を歩いていた。

 

 彼女の呼びかけに応える者はいない。

 

 プリムは首をひねった。朝食を持ってランディの部屋に行くと、ベッドがもぬけの殻だったのだ。

 

 ランディの身体はだいぶ回復したとはいえ、完全とは言えない。あまり動いてほしくないんだけど、とプリムは顔をしかめた。先程から邸宅の中を探しまわっているのだが、どこにも姿が見えない。

 

 ――外に行ったのかしら。まだ出歩くなって言ったのに。

 

 プリムは溜息をつくと、外に探しに行くことにした。この島にはランディとプリム、そして医者が滞在するための邸宅と森があるきりだ。探すところは多くはない。すぐ見つけられるはずだ。

 

 プリムは玄関に赴き、玄関の扉を開いた。

 

 途端、冷たい空気が彼女を襲う。そして、次に目に入ったものにプリムは息をのんだ。

 

 「……え?」

 

 空からきらめきながら降ってくるいくつもの輝きがあった。止んだはずの神獣のかけらがまた降り出したのか、とプリムは思った。

 

 だが辺りの気温の低さに、すぐ考え直す。

 

 「あ、なんだ……本物の雪か……」

 

 プリムの肌に落ちたかけらは、すぐに融けていく。神獣のかけらかと思われたそれが雪であることがはっきりすると、なんとなくプリムはほっとした。

 

 ――もう、そんな季節なのね。

 

 戦いの最後のほうは、常に時間に追われていた。季節の移り変わりに気付く暇もなかった。

 

 プリムは一度邸宅の中に戻り、コートを羽織ると、改めてランディを探しに外に出た。

 

 地面に積もりつつある雪をさくさくと踏みしめて歩く。

 

 空から次々と振ってくるかけらは、嫌でも神獣を思い出させた。その記憶と数珠つなぎになって、戦いの記憶が蘇る。

 

 もしかして、ランディも……。

 

 プリムがそんなことを思いながら邸宅の裏側に回りこむと、地面に座り込んでいる背中が目に入った。

 

 膝を抱えて、座っている彼の頭や肩には、雪が薄く積もっていた。

 

 「……ランディ」

 

 プリムはそっと声をかける。

 

 ランディは動かない。

 

 「あんたねー……上着も着ないで、何してるのよ。私、まだ外は出歩くなって言わなかった?」

 

 やはりランディは反応を示さない。

 

 プリムは歩み寄ると、彼に積もった雪を払う。そして、ランディの肩に手をかけた。

 

 「ほら、こんなに冷えてるじゃない。熱出したら世話するのは誰だと思ってるの?」

 

 ランディはただじっと降る雪に顔を向けていた。だが、瞳は焦点を結んでいない。

 

 「……ランディ!」

 

 プリムは堪えきれず、強く名前を呼んだ。腕を乱暴にとって、ぐいとこちらを向かせる。

 

 ランディの瞳に、怒ったような、だがどこか痛みをこらえる表情をしたプリムの姿が映った。

 

 「……プリム」

 

 ランディが消え入りそうな声を出した。顔をプリムから逸らしながら、呟く。

 

 「――ごめん」

 

 突然の謝罪に、プリムが顔を歪めた。

 

 「……なんで謝るの?」

 

 「雪……見てたら……いろいろ思い出して……。ごめん。プリムの方が辛いのに」

 

 その言葉に、プリムは眉を寄せた。

 

 「どっちがより辛いとか……比べられるものじゃないわ」

 

 プリムの言葉に、ランディが顔を上げる。

 

 「私が恋人を失ったから、私のほうが辛いの?……そんなこと決められないわ。辛さや、悲しみや苦しみは……人それぞれのものよ。どっちが重いかなんて比べられないし、より辛いから偉いわけでもないわ」

 

 プリムが静かに語りかける。彼女はランディの頬を手で包んだ。

 

 「もし、比べることができたとしても。私の方が辛いとしても。……だからって、あんたが悲しんじゃいけないなんてことには……ならないわ」

 

 ランディが目を見開いた。

 

 プリムがやわらかく微笑む。

 

 「あんたは、悲しんでいいのよ。ランディ」

 

 ランディの強張っていた顔が、ゆっくりとほころんでいく。

 

するとプリムは、頬に置いていた手をゆっくりと移動させた。

 

 ランディがはっとしたときには、額に手が置かれていた。

 

 「……ちょっと熱いわね」

 

 「……大丈夫だよ」

 

 「あんたの大丈夫は当てにならないわ」

 

 プリムが立ち上がる。ランディは自分も立ち上がろうとするが、少しよろめいた。慌ててプリムが背中を支える。

 

 「ほら、見なさい。今日はずっとベッドの中にいてもらうわよ」

 

 「大袈裟だよ。怪我ももうだいぶ良くなったし、そろそろいつ出発するか考えたほうが……」

 

 ジェマが見舞いに来た。

 

 ルサ・ルカからテレパシーが送られてきた。

 

 パメラやクリス、トリュフォー、ニキータ、ワッツも手紙を送ってきてくれた。

 

 そのどれもが、自分たちの身を案じ、心配してくれた。そして、そのどれもで最後に必ずこう言われる。

 

いつ、帰ってくるのか、と。

 

 「帰るのは、あんたがきちんと治ってからよ」

 

 さ、家の中に入るわよ、とプリムはランディの手を取って、引っ張る。

 

 ランディは苦笑しながらゆっくり付いてくる。

 

 プリムは空を仰いだ。

 

 雪が次々と舞い降りてくる。

 

 ――まるで、世界に私とランディしかいないみたいだわ。

 

 いつかはここから出ていかなければならない。自分たちの帰りを待つ人たちがいることもわかっている。

 

 けれど、まだだめだ、と思う。

 

 ランディは自分自身の気持ちに疎いからわかっていないようだが。

 

 ランディも、自分も。外の世界に出て、現実と向き合うのは……まだだめだと思う。

 

 ――もう少し。もう少しだけ。

 

 この小さな箱庭の中で、私たちが悲しむことを、許してほしい。

 

 プリムは祈るように目を閉じた。

 

 

 

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2009.5.13

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