人魚姫

 

 4


 結局、ゲシュタールは聖剣の勇者に破れた。

 四天王の一人が倒されたのだ、本来は驚くべきなのであろうが、私はどこかでそれを当たり前のこととして受け止めた。

 以前の私であれば、勇者を名乗るならばそれくらいの実力は持っていなければ面白くないと、皮肉のひとつでも思っただろう。ゲシュタールの弱さを一笑に伏しただろう。

 だが、どうしてだか今は、そう考えられない。感じるのは、焦燥感。

 その原因が、あのとき、地下牢で見た、聖剣の勇者の暗い瞳にあることはわかっていた。

 聖剣の勇者とは、この世界を救うという大義名分のもと、正義を振りかざした人物なのだろうと思っていた。少なくとも、あのように暗い瞳を持った人物だとは想像していなかった。

 あの瞳を思い出すたび、私は落ち着かない気分になった。

 世界を掌握するための準備を進めるタナトス様のもとで、その手伝いをしているときは平気だ。だが、一人になったとき、ふと、あの瞳がよぎった。

 どうしてあんな瞳をしているのか。

 そんな疑問が頭を過ぎる。

 こんな些細なことを気にしている場合ではないと思いつつも、気になって仕方ない。

 忙しい時間を過ごしながらも、時折、あの瞳に心を揺さぶられる――そんな日々を過ごしていった。

 

 

 「世界を手にするのももうすぐだな!」

 そう言って馬鹿な高笑いをあげているのは皇帝だ。

 今、私と、皇帝とシークはマナの神殿に来ていた。

 このマナの神殿の種子の封印を解けば、古代大陸が浮上する。それからマナの要塞を復活させれば、もう我々を阻む者はいないだろう。

 「だが、聖剣の勇者もこちらに向かっているでしょう。急いだほうがいい」

 私の言葉にも、皇帝が余裕な態度を崩さない。

 「何、そのときは、シーク、お主が聖剣の勇者を亡き者にしてくれるのだろう?役立たずなゲシュタールとは違ってな」

 皇帝の言葉に、シークは笑みを絶やさずに「必ずや、ご期待に沿ってみせましょう」と言う。

 だが、私には見えていた。シークが拳を堅く握りしめているのが。

 彼は、ゲシュタールを倒した聖剣の勇者を、そして、ゲシュタールを侮辱した皇帝が我慢ならないのだろう。

 ゲシュタールとよくぶつかることが多かったシークだが、それは彼がゲシュタールを認めていたからこそ、だ。シークは、どうでもいい輩――今の皇帝がいい例だ――には本音など見せないことが常だった。

 私は誰にも気づかれないように、薄く自嘲的に微笑む。

 いくら帝国四天王を名乗っていようが、世界を手に入れると謳っていようが、魔界の力を手に入れようが……所詮、私たちは人間なのだろう。人間らしい、愛しさや憎しみを捨てることなどできないのだろう。

 ――どうした、ファウナッハ。

 ふと、思念に語りかけてくるタナトス様の声が聞こえた。タナトス様はあとに合流する手はずになっていた。今はまだ、帝国にいらっしゃるはずだ。

 私の心が揺れていることを察したのだろうか?そんなことはないだろうと思いつつも、タイミングの良さに、少しぎくりとする。

 ――なんでもありませんわ、タナトス様。

 ――ならよいが。お前には大事な役割を任せているのだからな、頼むぞ。

 ――もちろんですわ、タナトス様。

 そう思念を送ってから、私は一人気を引き締めた。

 そう、今が正念場。わけのわからない感傷に浸っている暇はない。

 だが、切り替えようとしても、相変わらずあの青い暗い瞳が、頭のどこかでちらついていた。

 「待て、皇帝!」

 そのとき、神殿に凛とした声が響いた。

 私はああ、と思いつつ振り向いた。そこにあるのは、輝くような青い瞳。

 聖剣の勇者と、その仲間の少女と妖精が神殿の入り口に立っていた。

 「来たな、聖剣の勇者!」

 そう言って皇帝は偉そうに自らの目的を楽しそうに勇者に述べ始めた。

 こうやって、自分が今からすることをべらべらしゃべらないと気が済まないところが、小悪党よね。

 私は呆れた目で皇帝を見て、その肩越しに見える勇者に目をやる。

 彼の目は真っ直ぐに皇帝を睨んでいた。以前見た、暗い瞳が嘘のように。

 「皇帝、ファウナッハ、ここは私に任せて祭壇へ」

 シークがそう言って私たちを促す。

 私は頷いて、皇帝を促してその場を離れた。

 勇者と目が合うと、心が揺れてしまう気がしたので、なるべく彼の顔を見ないようにして。

 

 

 シークの気配が、この世から消えた。

 聖剣の勇者は、シークを倒してしまったらしい。どこかでそうなるような気もしていたが。

 今の私は仲間をまた失ったことを嘆く余裕はなかった。私にはタナトス様から賜った、重要な任務があるのだ。

 「ま、待て、ファウナッハ。冗談だろう?」

 皇帝が笑みをひきつらせて言った。彼の瞳に映るのは、艶やかに微笑んだ私の顔と、私が握っている剣の切っ先だ。

 古代大陸が浮上したあとの、マナの神殿、祭壇の間。静かなその場に佇むのは、私と皇帝の二人だけだ。

 「冗談だと思う?」

 私はそう言って、切っ先を皇帝の喉元に向ける。皇帝がごくりと唾を飲む音が聞こえた。

 「な、なぜだ、ファウナッハ!お前は私に、我が帝国に、絶対の忠誠を誓っていたのではなかったか!」

 「私が忠誠を誓うのはただ一人、タナトス様おひとりよ」

 「タ、タナトスだと!?」

 本当におめでたいやつ。

 自分が裏切られることを懸念もしなかったなんて。

 皇帝として育てられ、自分に逆らう者などいないと信じて成長してしまったのだろう。

 なんて愚かなのだろう。

 思い通りにならないことなど、この世にはたくさんあるのに。

 何かを犠牲にしなければ、何かを得ることなどできはしないのに。

 「さようなら、皇帝。地獄で、その愚かさを反省するのね」

 私はそう言って、皇帝の瞳をひたりと見据える。彼が驚愕で目を見開く。逃げようと身体を動かそうとしても、既に彼の意思は私のものだ。指一本動かすことすらできないはず。

 抵抗し、最後には術を破ってまでみせた、聖剣の勇者とは違って、実にあっさりと皇帝の動きを封じることができた。

 やめろ、と声にならない皇帝の叫びが聞こえた。だが、そんなものは無駄だ。

 私は手を振り上げた。

 

 

 祭壇の奥の部屋で、私は一人立っていた。

 ここで、聖剣の勇者が来るのを待っている。

 皇帝は死んだ。タナトス様の野望を阻止する可能性があるのは、あとは聖剣の勇者だけ。

 私の役割は、皇帝を殺すこと。そしてここで聖剣の勇者を倒すことだ。

 やがて、複数の足音が慌ただしく迫って来た。

 聖剣の勇者が、息をきらしながら部屋に飛び込んできた。

 「ようこそ、聖剣の勇者」

 「ファウナッハ……」

 「はじめまして、ではなかったわね」

 そう言ってやると、聖剣の勇者はかすかに眉を寄せた。彼の仲間の少女と妖精が、首を傾げて彼を見る。

 勇者は二人の視線に応えることはなく、私に向かって呟くように言った。

 「祭壇に、皇帝の遺体があった。皇帝を殺したのはお前なのか」

 「ええ。正確に言えば、これはタナトス様の意思よ。すべての黒幕はタナトス様。皇帝はただの傀儡、目くらましにすぎないわ」

 「タナトス様、タナトス様って、あんた、タナトスに言われたら何でもするの!?それが世界を壊すことでも!?」

 少女が怒りに顔を真っ赤にさせて叫ぶ。

 さすがにこの言葉には私も頭に一気に血が上った。聖剣の勇者の仲間であるこの少女は、パンドーラの裕福な貴族の娘であることは調べがついていた。お前に何がわかる、明日食べるものにも困ったことにもないのだろう、という思いが胸を抉る。

 「こんな世界など壊れてしまえばいい!」

 私の叫びに臆したのか、少女と妖精が一歩引いた。勇者だけが、その場に悠然としたまま立っていた。

 「世界が善であるなど、誰が決めた?不平等は必ずあり、恵まれるものがいれば恵まれないものもいる。こんな世界など、一度滅びればいいのだ。……なあ、聖剣の勇者、お前もそう考えているのではないの?」

 私は勇者を見やる。

 少女が、妖精が、戸惑ったように再び彼を見た。

 彼は肯定も否定もせず、ただ一言、言った。

 「プリム、ポポイ。少し、彼女と二人で話をさせてくれないか」

 「な、何言ってるんだよ、アンちゃん。時間がないの、わかってるだろ?」

 「そうよ。早くしないと、要塞が復活してしまうわ。ここにいるのがファウナッハだけということは、タナトスはきっと要塞を復活させるために動いているのよ。それを早くとめなくちゃ――」

 「わかってる。でも、お願いだ」

 彼の真摯な態度に、少女と妖精はしぶしぶながら、引き下がった。

 何の音もしない、静かな神殿の中で、私たち二人は久方ぶりに向かい合った。

 

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2009.1.23

 

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