人魚姫

 

 1


 幼い頃、女の子たちが好むような童話が嫌いだった。

 娘たちは、不幸な境遇にあるが、ある日目の前に現れた王子の手を取り、幸せになる。

 そんなことがあるはずがない。何の努力もせず、何の代償も払わず、何の対価も払わず、幸せになる――それは、現実では起こらないことだと、私は確信していた。

 だが、唯一好んで読み返した物語があった。

 それが人魚姫だ。

 人魚姫は溺れた王子を助け、恋に落ちる。

 彼に会うため声を犠牲にして足を手に入れる。だが、結局王子は姫の思いに応えることはなく、人魚姫は自分が泡になるか、王子を殺すかという選択を迫られる。

 願いを叶えるためには、何かを犠牲にしなければならない。

 それがきちんと描かれていることが好ましかった。

 灰かぶりの名を持つ娘も、白い雪のような肌を持つ娘も、眠り続ける娘も、どれも受け身で面白くなかったのに対し、人魚姫がきちんと自分で選択をしていることも、他の姫との違いが見て取れた。

 声の代わりに足を手に入れる。

 王子の命の代わりに自分の命を差し出す。

 一見自己犠牲のように見えて、すべて人魚姫が自ら選択したこと。

 

 そう、私が歩いてきた道は私が決めたことだ。

 私は、少しも後悔していない。

 

 

 「レジスタンスは今弱体化している。叩くべきは今だ」

 「だからと言って、街中を一軒一軒家探しするという貴様の案には反対だ。人手がかかるし、一般市民を刺激しかねない」

 「多少は荒っぽい方法も必要だろう!」

 喧々諤々と議論を交わしているゲシュタールとシークを、私は胡乱な瞳で見つめていた。

 タナトス様は何も言わず、両手を組んでテーブルの上に置いている。

 定例の四天王の会議。いつもの通り、発言しているのはゲシュタールとシークが多い。しかもこの二人の議論はどちらかと言うとじゃれあいに近い。時間の無駄と言っていいだろう。

 「お前の案はいつも現実味のないものばかりだ」

 「じゃあ、お前にはレジスタンスを新しいリーダー諸共潰すのに、他にいい案があると言うのか?」

 「ファウナッハは、どうだ」

 タナトス様の重く低い声が響き、二人がぴたりと口を閉じた。

 私は待っていましたとばかりに嫣然と微笑んで見せる。

 「そうですね。私でしたら……」

 口元に手を当てて、少し考えるふりをする。ゲシュタールとシークのお喋りを聞きながら、意見は固めていたのだ。

 「私たちは和平を求めている、という宣言を出すのです。それを聞いたレジスタンスの者たちは、当然真偽を疑うでしょう。しかし、レジスタンスたちも自分たちの弱体化は悟っているはず。和平は願ってもいないこと、最終的には、和平を受け入れようという意見に落ち着く。そして、和平の話し合いのために城に来てほしいと言えば……」

 「なるほど、新しいリーダーも出てこざるを得ない。……見事だな、ファウナッハ」

 「ありがとうございます」

 ゲシュタールが「なるほどな」と言い、シークがふん、と腕を組む。

 私の胸は誇らしさでいっぱいになった。

 すぐに私の案は実行に移されることになった。

 


 
 私の生家は、昔は名のあった帝国の騎士の家であった。

 だが、私の父はそれに胡坐をかき、放蕩な生活を送った結果、家は一代で没落してしまった。そのことに絶望した父は野垂れ死んだ。同情の余地もない。

 父には子どもが私しかいなかった。そのため、私は死に物狂いで努力した。

 剣の腕を磨き、知識を取り入れた。

 年頃の少女たちが洋服や化粧に熱心になり、恋の話にさざめきあっている頃、私はその全ての時間を犠牲にした。

 女がどんなに努力したところで無駄だと蔑まれることなど頻繁にあった。それでも私はひとつひとつ功績を立てていった。

 だが、没落した家の娘など目障りでしかなかったのだろう、ただ血統だけで上の位に座っている大勢の者が何のかんのと理由をつけて私の出世を許さなかった。

 どうして自分ばかりがこんな目に遭わなければいけないのか。

 私が何をしたという?

 全うに努力し、きちんと功績をあげ――なのにどうして、認められない?

 どうして、自分ばかりが。どうして。

 私は歯を食いしばるしかなかった。

 だが、私の功績を初めて認めてくれる人が現れた。
 
 それが、タナトス様だった。

 「私の元で働かないか」

 タナトス様は、帝国四天王の椅子を私に用意しよう、と言い、私の心は躍った。

 ようやっと、私が数々のものを犠牲にして築きあげてきたものを、認めてくれる人が現れた。そのことが本当に嬉しかった。
 
 表向きは帝国に、そして帝国を統べる皇帝に忠誠を誓っている。だが、それは偽りだ。

 私は元から、帝国の、皇帝のために努力を積み重ねてきたわけではない。

 むしろその逆だ。

 いくら父の自業自得とは言え、私に没落貴族の家という辛酸をなめさせ、私の優秀な能力を認めようともしない。

 私は、そんな帝国を、皇帝を憎んでいた。そして、運命を、ひいては世界を、憎んでいた。

 この帝国に君臨することで、その復讐を果たしたかったのが、本当のところだったのだ。

 一も二もなく頷いた私に、タナトス様は言った。

 ――実は、私はこの世界がとても嫌いなんだ。君も、そうなんだろう?

 驚いた顔をした私に、タナトス様は仮面に唯一隠されていない口元を笑みの形に歪ませて言った。

 ――私は、この世界を壊したいのだよ。

 その日から、私の生きる意味とは、タナトス様のためと同義になったのだ。

 

 

 人魚姫が王子に会うために声を代償にして足を手に入れたように。王子の命の代わりに自分の命を差し出したように。

 私は、少女の時間を代償にして得た自分の力を十分に発揮しよう。

 それだけで足りないなら、人間の身体を代償にして魔界の力を手に入れよう。

 そしてタナトス様の代わりに、私の命を差し出して、あの方の願いを叶えて差し上げよう。

 私はそう、決めたのだ。

 

お題 / next

2009.11.19 

 

inserted by FC2 system