君が好き

 

 7


 朝靄の立ちこめる早朝。

 草を踏みしめる度、朝露が靴に染み込んでくる。

 ランディはひとつ溜息をついた。

 ――結局来てしまった。

 セルゲイに押し切られるかたちで、パンドーラまで連れてこられたのが深夜のこと。

 プリムに会おうと思っても、この時間ではまだ寝ているだろう。そう思って聖剣の森に散歩に来た。

 ――いや、言い訳だな。まだ会う覚悟が決まってないだけだ。

 再び溜息がもれた。

 「どうしたらいいんだろ……」

 プリムに会ってどうすればいいのだろう。

 真実を話すのか?大切な存在をなくすことを恐れる彼女に、自分が死ぬかもしれない、消えるかもしれない、と?

 もういっそのこと、別れを告げるか?

 もう気持ちがなくなったから、離れたい、と言ってその後姿を消す?

 いや、すべてにおいてランディよりひとつ上手な彼女のことだ、そんな嘘はすぐに見抜かれてしまうだろう。

 ただでさえ自分は、感情を隠すことに長けてはいない。

 「もう、わからないや……」

 ランディは頭を押さえた。

 知恵熱なのか、これも体の不調の一部なのか、昨夜から微熱があるようだ。ランディはまた溜息をついた。

 そのとき、ふと遠く柔らかな声が耳に入った。

 

  旅立つ準備もそこそこにあなたのもとへ急ごう

  たまらなくどうしても会いたくなるときがある

 

 ――マナの種族の言葉?

 耳慣れない発音を用いている言葉だが、ランディには意味がすぐに理解できた。

 これは、ヴィヴィアンが歌っていたマナの歌だ。

 だが、力強く包み込むようだったヴィヴィアンとは違い、囁くような、誰かに語りかけるような歌声だ。

 この声は。

 「プリム……?」

 ランディは、声のするほうに向かって歩き始めた。

 マナの種族にしかわからない言葉のはずだが、プリムは淀みなく言葉を用いて歌っている。

 魔法を使っていたプリムには、ランディほどではないにしろマナの言葉がわかるのかもしれない。

 歌はひどく優しく紡がれていく。
 


  風に乗って遠くへ歌声が響く

  思いは波に揺られてあなたのもとへと打ち寄せる

 

 ランディは引き寄せられるように、ふらふらと歩いていく。

 

  生きる力と懐かしい歌

  あなたの笑顔を心に抱いて

  どこまでもどこまでも旅をするわ

 

 声がはっきりしてくるのがわかった。

 靄をかき分けるように進む。

 プリムに会ったらどうすればいいのかと迷っていた思考はとうに消えていた。

 

  私の中の真実をあなたに伝えよう

  あなたに夢を見せてあげる

  幸せな夢を

 

 茂みをつっきり、無理矢理進んでいく。

 見覚えのある景色に、ああ、ここは、慰霊祭のときにプリムと話をした場所に近い、と思い当たる。

 きっと、あの灯籠流しをした川縁に彼女はいる。

 そう確信し、進む。声がだんだんはっきりと捉えられるようになってきた。

 ランディはいつのまにか駆け足になっている自分にも気づかず、ただ進んでいく。

 

  足早に巡る季節は私を変えていく

  過去にとらわれていたわけでもないのに

 

 茂みの向こうに、一人の女性の後ろ姿が見えた。

 ランディは思わず足を止めた。

 そこで初めて、自分の息が上がっていることに気づく。

 

  たくさんの思い出が胸の奥に色とりどりの花を咲かせる

  私はようやくあなたへ手をのばす

 

 歌が終わった瞬間、気配を感じたのか彼女が振り向いた。

 昇ってきた朝日が、朝靄を一掃するように差し込んだ。

 彼女の背後に流れる川が、日の光を反射させてきらきらと光る。

 立っていたのはやはりプリムだった。

 抜けるように白い肌。

 常にぴんと筋の通った背筋。

 細いが、健康的な美しさを持った体躯。

 ゆるやかに下ろされた、豊かな金色の髪。

 宝石のように輝く紫紺の瞳は驚きに見開かれている。

 「――ランディ?」
 
 彼女の唇が動いて、自分の名前を呼んだ。

 そのとき、頭を殴られるような衝撃を、ランディは受けた。


 ねぇ、ランディ。あなた本当にそれでいいの?

 プリムが他の誰かと結ばれて、それで満足?

 プリムに他の誰かが触れるのよ?それを許せる?


 パメラの言葉が甦る。


 お前はプリムから離れて平気なのか?

 プリムが他の男のものになっていいのか?


 セルゲイの問いかけが響く。


 ――ああ、そうか。

 ようやくわかった。

 こんな簡単なことに、ずっと気づかなかった。

 

 ランディはほとんど走るように足早にプリムに近寄ると、乱暴に腕を取って、自分のほうへ引き寄せた。

 「ランディ……!?」

 プリムの戸惑った声にもかまわず、彼女の背中に腕を回し、力加減もせずに抱き締める。

 「ごめん」

 唐突なランディの言葉に、プリムが息を呑む気配がした。

 「たぶん、僕はプリムを不幸にする」

 突然の不穏な告白に、プリムはランディの顔を見ようとする。
 
 だが、ランディが腕の力を緩めないために身動きがとれない。

 「ずっと……考えてたんだ。どうしたらいいのかって。プリムが他の誰かと幸せになってくれればいいって、思った。でも……」

 抱き締めた腕に、力が込められる。

 全部、言い訳だった。

 姿を消そうとしたのは、プリムが他の誰かと結ばれるところを、自分が見たくなかっただけだ。

 想像するまでもなく、他の誰かがプリムに触れるなんて、冗談じゃなかった。

 プリムから離れられないのは、自分のほうだ。

 誰にも渡したくない。

 本当は最初からわかっていた。

 

 

 「プリムが好きだ」

 

 

 ランディの言葉に、プリムの身体がぴくりと動いた。

 「ごめん……自分勝手で。でも、僕にはもうそれしかない。どうすればいいのかなんてわからない。プリムが好きだって、それだけで、何もないんだ」

 「馬鹿」

 顔の横で、プリムが苦笑する気配があった。プリムは拳を作って、ランディの背中を小突く。

 「それだけで、十分じゃない」

 「でも……」

 プリムがランディの胸を押し、腕の拘束を緩めさせる。

 ランディの瞳の中にプリムが映る。二人がしっかり向き合うのは、ずいぶんと久し振りだった。

 「僕はきっと、プリムを幸せにできない」

 「何言ってるのよ。あんたに幸せにしてもらおうなんて考えてないわ」

 プリムは可笑しそうに笑う。

 「二人で幸せになるの」

 そう言って彼女はランディの首に腕を回した。

 「あんたが何を隠してるのか知らないわ。でも、そんなのどうでもいいのよ。あんたが側にいれば、それでいいわ」

 ――ああ、敵わないな。

 ランディは笑みを返す。

 プリムに本当のことを話さないといけない。

 自分の身体のことは、何も解決していない。助かる手段が見つかるかもわからない。

 

 

 それでもいい、しばらくは、このままで。

 

 

 ランディは微笑んで、プリムを抱きしめる腕に力を込めた。

 

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2009.8.18 
 

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