もう一度

 

 

 もしも。

 そんな問いを、何度繰り返しただろう。

 

 

 「お嬢様!プリムお嬢様!」

 古参のメイドのメアリの声が聞こえる。

 もう少し。そう言いたいが、唇を音にするのも億劫だ。

 カーテンを開ける小気味良い音がする。途端に眩しくなった視界に、思わず眉をしかめる。

 「プリム様!」

 メアリが有無を言わさず布団をはぎとった。

 「もう、寝起きの悪さは相変わらずですね!旅に出ていたときはどうしていたんですか?」

 「ポポイがお腹をくすぐってきて……起きてたわ」

 聞いておいてたいして興味のなかったらしいメアリは、ぼそぼそと話す私の言葉を無視して、私の手をひいた。

 「ほら、もう起きてください!」

 「いいじゃない、旅の頃と違って急ぐ必要なんてないんだし、もう少し寝かせてよ」

 メアリにがくがくと揺さぶられても、私は頑なに目蓋を閉じたまま言った。

 そこまではっきりとしゃべれるならもう起きているじゃないですか、とメアリが呆れたように言う。

 「ともかく、起きてください。お嬢様に会いに来ているんですから」

 「え?」

 会いに来ている?誰だろう。

 パメラ。ランディ。ジェマ。ニキータ。ワッツ。それともディラックの両親?

 様々な人の顔が浮かぶ。だが、心あたりがない。

 「誰が?」

 「何言っているんですか、プリム様」

 メアリが先程にも増して、心底呆れ返った顔で私を見た。

 「ディラック様ですよ」

 

 

 私の名前はプリム。パンドーラ王国の大臣、エルマンの一人娘だ。

 貴族の娘として何不自由無く暮らしてきたが、恋人のディラックが魔女討伐隊の隊長として妖魔の森に向かったことが、私の運命を変えた。

 恋人を救うため家を飛び出した私は、聖剣の勇者のランディと出会い、彼と行動を共にするうちに世界の命運をかけた戦いに巻き込まれた。そしてつい先日、その戦いは終わりを迎えた。

 恋人の死という残酷な結果と共に。

 

 

 たっぷり十秒間は固まっていたと思う。

 次に、メアリが冗談を言っているのだと思った。だが、彼女はそんな性質の悪い冗談をいう人間ではない。

 「……プリム様?もしかして具合が悪いんですか?」

 あまりに私が呆けているからだろう。メアリが今度は心配そうな顔つきになって見つめてくる。

 私は何と答えていいかわからず、開けたままの口が閉じられない。

 「大丈夫なら、ほら、早く起きてください。髪も直して。ディラック様、もう十分は待ちぼうけていますよ」

 もう一度出てきたその名前に、私は聞き間違えではないことを悟った。

 何を言っているの?ディラックは。ディラックは……。

 声にならない叫びが心の中で暴れまわる。

 動けない私にしびれをきらしたのか、メアリが下着や服を取り出して着換えろと迫る。その勢いにつられてとりあえず着替えてしまった。

 そのまま引きずられるように階下に降りる。

 メアリがリビングに続く扉を開くと、朝の光が溢れ出す。

 「お待たせしてすみません」

 先にリビングに入ったメアリが言った言葉に、泣きそうになるほど懐かしい声が応えた。

 「いえ。早朝に押しかけたのは僕ですから」

 嘘だ。

 そう声に出したかったが、もう何もわからない。

 光に目が慣れて、彼の姿が視界に入る。

 「おはよう、プリム」

 金色の髪がさらりと揺れる。

 笑って細められた彼の青い瞳を見た途端、目眩がした。

 

 

 「大丈夫?」

 「ええ……朝だから低血圧気味なだけよ」

 椅子に座った私はなんとかそう答えた。本当に気を失うかと思った。

 いっそ気を失って、目がさめれば夢から覚めたかもしれないのに、どうやら夢はまだ続いているようだ。

 私は顔を上げて恋人の顔を見つめる。ディラックは私がよく知っている顔で、私がよく知っている声で話しかけてくる。

 なんて性質の悪い夢なんだろう。

 「ねえ、ディラック」

 「なに?」

 私は少し自棄になって言った。

 「私、夢を見ているみたい。あなたが目の前にいるなんて。あなたが……」

 その先を言うことをためらったが、ディラックがするりと口を開いた。

 「生きているなんて?」

 私は驚いて彼の顔を真正面から見つめてしまう。

 ディラックは優しい表情で言う。

 「俺が死んだほうが夢で、俺が生きているほうが現実だよ」

 「え……?」

 混乱する頭の中で、最期のディラックの微笑みが浮かぶ。ランディにプリムをよろしくと言った声。力をなくして落ちていく手。

 あの全てが夢?まさか!

 信じていないことが表情でわかったのだろう。ディラックが困った顔をした。

 「今日はひどいね」

 「え?」

 「プリムが言ったんだよ。朝起きるとどちらが夢なのかわからなくなるから、必ず出勤する前に顔を見せに来てくれって。今日はいつもに増して悪い夢を見たんだね、なかなか信じてくれないもの」

 ディラックの指が、私の髪をひと房梳く。

 その仕草に、胸がいっぱいになった。

 もしも、ディラックが生きていたら、と。

 そんな問いを何度繰り返しただろう。

 何度繰り返しても、問いかけに答えはなく、ただただ大きな後悔と徒労が訪れるだけだった。

 ――もう夢だろうが何でもいい。

 「ディラック……ディラック!」

 私はメアリの目もはばからず、泣きながらディラックの胸に顔を埋めた。

 

お題 / 信じられたら

2011.2.16

 

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