ホットミルク
3
ランディはぽつぽつと呟き始めた。クリスは黙ってその言葉を聞いている。
「僕は、必要とされたことのない子どもだった。母親の手で村長に預けられたらしいけど、そのことも最近まで知らなかった。自分は捨て子だと思っていたんだ。
押しつけられたに近い僕のことを育ててくれた村長には、本当に感謝してる。
でも、村の中ではいつもよそ者として扱われて、育ててもらってる、置いてもらってる、住まわせてもらってるって意識はずっと抜けなかった。
何かあるたび、これだからよそ者は、って言われ続けた。
僕は、いつも怯えてた。誰かの顔色を窺ってた。村のみんなに気に入られようとしてた。結局、うまくいかなかったけど」
全部、今だからわかることだ。あの村の中にいたときには、それが周りにも自分にも当たり前過ぎて、意識しなかった。できなかった。
旅に出て、いろいろな場所を見て、いろいろな人に出会ってから、初めて気づいたことだ。
「そんなとき、偶然にも聖剣を抜いてしまった。聖剣を抜いたら災いが起こるなんて言い伝え、知らなかったと言っても聞いてもらえなかった。
――出て行け、と言われたときにはさすがにショックだったな」
あのまま、閉鎖的な村の中に留まっているほうがよかったか、と聞かれれば、答えはノーだ。
けれど、ポトス村の中しか知らず、漠然とだがこの村で大人になって一生を過ごすのだと思っていた、というよりそれ以外の道を知らなかったランディにとって、「出て行け」という言葉は立っている足元を揺るがすほど衝撃的だった。
「そして、何が何だかわからないまま僕は聖剣の勇者になった。最初は村を追い出されてどうしようもなかったからただただ、ジェマの言いなりになって水の神殿に行った。でも、そこでルカ様に会って言われたんだ。
『世界を救えるのはそなただけだ』……って」
必要とされたことない、愛されたことのない子どもにとって、その言葉は、あまりにも甘美だった。
「初めて必要とされた。そのことに僕は有頂天になった。もちろん、戦うことは怖かった。聖剣に秘められた力も怖かった。伝説に出てくる要塞も神獣も、みんな怖かった。世界なんて、そんな重いもの、背負えないと思った。
でも、一度必要とされることを知ってしまったら、もう、前に戻ることなんてできなかったんだ」
――そうだ!キミ、ちょっと私と一緒に来なさい。この前助けてあげたでしょ。
――シクシク……ああ、優しいお兄さま。僕を助けてくださいませ。
――でかしたぞ、ランディ!国中に明るさが戻ってきおった!
プリム。ポポイ。パンドーラの王様。
みんなが、かたちは違えど、ランディを必要としてくれた。
聖剣の勇者、という自分はとても甘く温かで、居心地がよかった。
もう二度と手放すことなどできないほど。
「だから、僕は聖剣の勇者をやっているんだ。……幻滅した?」
ランディが自嘲と苦笑の入り混じった顔で振り向くと、予想に反してクリスは晴れやかな顔をしていた。
「ううん、安心した」
え、と言うランディにクリスはいたずらっぽく笑った。
「私も同じ。必要とされるためにレジスタンスのリーダーをやってる」
クリスは、遠くを振り仰いだ。
今は夜の闇に包まれて見えないが、視線の先には皇帝宮殿があるはずだった。
「私の父は帝国によって殺された。悔しくて、悲しくて仕方なかった。でも、激情が過ぎたあとには怖くなった。
親って、何の打算も計算もなく子どもを愛してくれるもの。それまで、私は父から無償の愛情を注いでもらってた。それは私にとって当り前のことだったわ。
でも、これからは?誰が私を必要としてくれるの?誰が私を愛してくれるの?
そう考えたら、すごく、怖くなった」
金色の揺れる短い髪。すっと通った鼻筋。美人と言える顔立ちに加え、初対面のときにリーダーらしい凛とした雰囲気をそこにまとっていた。
だが、今話をする彼女の顔は意外なほどあどけなく見え、ああ、やっぱり同じくらいの年なんだよな、とランディを感慨深くさせた。
「そんなときに、レジスタンスのメンバーで父の直属の部下だった人が、私のところに来た。父の代わりにリーダーになってくれないか、と言われて私は二つ返事でオーケーしたわ」
クリスはランディと顔を見合わせた。
「本当はわかってたわ。私がリーダーに推されたのは、亡き父の求心力や影響力、父の仇を討とうとする娘の姿が同情を引くだろうという思惑が理由だって。
でも、それでもメンバーのみんなが私を必要としてくれるなら何でもいいと思った。
もちろん、この国をより良い国にしたいとか、父の仇を討ちたいというのもあるけど。
それが、一番の理由よ」
愛を知らずに育ち、初めて手に入れたそれを手放せない少年。
愛を注がれて育ち、それを失わないように繋ぎとめている少女。
「責任感だけじゃ、こんな役割できないわよね」
「うん。そこまで僕たち、まだ大人じゃない」
ひとしきり愚痴を言い合ったあと、クリスはランディを見た。その表情は、自嘲と苦笑の交じった、先程のランディによく似たものだった。
そして呟く。
「似た者同士ね、私たち」
ランディも笑顔を返した。
二人は手に持ったコップを合わせた。コン、という小さな音が夜の街に響く。
ランディは残っていたホットミルクに口をつけた。
底に砂糖が溜まっていたのだろうか、それはひどく甘かった。
サイト立ち上げて最初の小説がランディ×クリスとかどうなんだろう。
2009.2.7