名前 と これが運命なら を先に読んでいただけると流れがわかりやすいかもしれません。
「村の守り神を、ずいぶんと長い間お借りしてしまい、申し訳ありませんでした」
聖剣をもとの場所に戻したあと、ランディはそう言って頭を下げた。
村長が首を横に振る。聖剣は世界の危機に際して抜かれて振るわれるものであり、決して剣が抜けたから災いが起こるわけではない。
それを村人たちに説いたのはタスマニカ共和国のジェマだった。今ではもう、みなわかっている。異変が村だけではなく、世界中で起こっていたことも。
自分たちがランディを追い出したのが、正当な理由ではなかったことも。
「ランディ。今後の身の振り方が決まっていないのなら、しばらくは村に滞在しないか」
「……いいんですか、村長」
村長は頷いた。そうして苦笑すると「もう村長ではないんだ」と言った。
「わしも年老いた。村長の座は息子に譲ったよ。今は孫のボブが、村長見習いだ」
ランディはえ、と声を上げるとぽかんとボブを見た。
選挙なんて言葉のないポトス村では、村長の地位は世襲制だ。
ランディも旅の間に身長が伸びたものだったが、ボブはがっしりとした体格でもう既に大人と言って差し支えなくなっていた。傍らに立っていたネスは、小さく細かったのがひょろりと縦に伸びていた。
ボブが顔を歪める。
「おい。いくらなんでもぽかんとしすぎだろ。そんなに信じられないのかよ」
「え、あ、ごめん。そんなガラじゃなかったのになあって」
慌てて言ったが故についぽろっと本音が出た。ボブが眉間に皺を寄せ、ネスがぶほっと噴き出す。
「なあ。似合わないよなあ」
「うっせえネス! ……こいつだって、今は医者の卵だよ。似合わないだろ」
「うん。……あっ」
思わず正直に首肯してしまったランディがしまったと口に手を当てるが遅かった。今度はネスが口の端を引きつらせ、ボブが笑い転げる番だった。
「ランディ。お前変わったな」
「……ふたりも、変わったと思うけど」
ランディが言うと、ふいにボブとネスが真剣な表情になった。ふたりは視線を絡ませ、ひとつ頷いた後、徐にボブが口を開く。
「ランディ。……ずっと、礼が言いたかった。言いそびれていたからな」
「礼?」
ランディはきょとんとし、まるで心当たりがないという顔をしている。ネスがそういうぼけっとしているところは変わっていないな、と言いながら「モンスターから助けただろう。あの、カマキリみたいなやつ」と助け舟を出した。
ランディは「ああ」と言ったが、やはりピンとは来なかった。ボブを助けたというより、自分もあのままではやられていたというだけにすぎず、あまり助けたという意識はなかったのだ。
「お前にとっては目の前の敵を手段があったから倒しただけのことかもしれないが、助けられたのは事実だろう。だから、言っておく」
「そんな」
「そしてお前に、ポトス村を、俺たちを見ていってほしい。まだまだだけど、少しずつ変えていっているから」
ボブとネスに頭を下げられて、ランディはどうしたらよいのかわからず、村長を見た。村長がひとつ、同意するように大きく頷く。
うん、と返す。よそ者と言われ続けた自分が、引き留められるとは思わず戸惑う気持ちもあったが、素直に好意に甘えることにした。
ふるさと
「プリムさん、だったか」
この間来た、お前の仲間の女性。ボブのその言葉に、ランディは水筒の水を飲みほして顔を上げた。
ランディとボブは、聖剣の森でモンスターの討伐にあたっていた。近隣のモンスターを一掃し、一休みしたら村に戻ろうかと話していたところだった。
「うん、そう」
「酒屋でお前の悪口言ってたおっさんに、飲み比べ勝負挑んで勝利をもぎ取っていった……」
それは忘れてよ、とランディは苦笑するしかない。プリムがどうしたの、と尋ねるとボブが嬉しそうに笑った。
「思っていたよりも、いい村だったわ、って言われた」
「え?」
ボブは汗を拭き、笑いながらも口元を歪めている。
「ランディがあまり故郷のことを語りたがらなかったから、どういうところなのかしらって思っていたって。ボブやネスがもう少し頑張ってねって」
「……ご、ごめん」
ランディがつい謝ってしまうと、ボブは「すぐに謝るのやめろよ。お前何も悪くないだろ」と眉をひそめた。だが、すぐににこりと笑う。意地悪い表情しか見たことなかったランディは面食らう。
「俺、ポトス村を変えるからさ」
ランディは何と答えていいかわからなかった。何と返すか悩んでいるうちに、がさりと茂みが音を立てた。すわモンスターかとふたりが振り向くと、息を切らしたポピーが立っていた。
「お兄ちゃん! 村長さんが……!」
ボブの顔が険しくなり、ランディが腰を上げた。
扉を開いて出てきたネスとその父親の姿に、ランディは飛び上がるように駆け寄った。
「村長は……!?」
「落ち着け、ランディ。村長は眠っている。向こうで話そう」
ネスに肩を掴まれて促され、ランディは自分の気がはやっていることを自覚した。
落ち着け、と胸に手をあてて、今度は自分で自分に言い聞かせる。
リビングのソファにネスとネスの父が腰かける。
ランディはその傍に立ち、早く二人が口を開かないかとそわそわとしていた。が、ネスの父にきつく睨み返される。
「おい、ランディ。お前、早く来てくれと急かされた医者に飲み物も出せないのか」
「あ、あ……すみません」
「話は村長……現村長が来てからだ。家族が来ていないのにお前に先に聞かせるわけがないだろう」
ランディはもう一度謝ると、慌ててキッチンに向かう。途中でネスと視線が交わり、彼の目が父の態度を謝るように細められた。
ランディはいいんだ、ということを示すために首を振った。いくら戦いの後、村の人々との関係が少し改善されたといっても変化はわずかなものだ。こうやってネスが自分に気遣いを見せてくれるだけでもランディにとっては救われるような気持ちだった。
キッチンで数十秒立ち尽くす。驚くほど思考が回らない。とりあえず薬缶に水をいれ、火にかける。
「ええと、カップはいくついるかな。ええと……」
意味もなく上ずった声で呟くと、カップを棚から出そうと引き寄せて持ち上げる。次の瞬間、甲高い音が響いた。
その音が静まった後は、家中が痛いほどの沈黙に支配される。ランディは床に散らばった数秒前までカップだったものを茫然と見つめた。
「――ランディ! お前は茶のひとつもいれられないのか!」
ネスの父のリビングから恫喝する声が響き渡った。ランディはごめんなさい! と叫ぶように言うと、火を止めて破片を片付け始める。
すると視界に入った自分の指が面白いくらい震えていることに気が付く。
「あ……」
「ランディ」
影がさし、のろのろと顔をあげるといつの間にかネスが傍らにしゃがんでいた。ネスの手がランディの指を包み込む。
「お茶はいらないし、片付けもあとでいい。お前も座れ……手当てしないと」
ランディの指は破片を無造作につかんだせいで血だらけだった。ランディはようやくそのことに気が付くが、痛みを全然感じないことに余計頭の中が混乱する。
ネスのされるがままになりソファに座らされると、ネスの父が「余計な手間まで増やして、いい加減にしろ」と怒鳴った。
だが、ランディの指が尋常じゃないほど震えているのを見て押し黙る。ネスは父を無視すると、往診カバンから消毒液と包帯を取り出し、ランディの隣に腰かけた。
ネスが脱脂綿に消毒液を含ませ、丁寧に傷口に当てる。震えのために手当てには時間がかかるが、だんだんと感じてきた痛みに、ランディの頭の中は霧が晴れるようにパニックから抜け出してきた。
包帯を巻き終わる頃には震えも収まり、ランディの肩から力が抜けた。ネスがほっと息を吐く。
やがて音を立てて玄関のドアが開き、現村長であり村長の息子である男とその妻、そして二人の息子のボブが姿を現した。
「おい、親父は」
いきり立つ現村長――ボブの父にネスの父はまあ座れと促す。ボブは立ったままちらりと身を寄せ合うように座っているランディとネスに視線を送り、表情を歪めた。
ネスの父はこほん、と咳払いをすると口を開いた。
「回りくどいことを言っても仕方ないだろう。……正直に言って、助かる見込みはない。あとひと月というところだ」
「なっ……」
ボブの父が腰を浮かした。ランディの目が大きく見開かれる。
「臓器の機能が弱っている。自覚はあったんだろうが、だからこそ、診せにこなかったんだろう」
今まで病気もしてこなかったから大丈夫だ、往診もいらないと言って断られていて、こうやって倒れるまでわからなかった、というネスの父の言葉が終わるか終らないかのうちに、ボブの父は歩きだし、ランディの胸倉をつかんでいた。
「てめえ、ランディ! 一緒に暮らしていてなんで異常に気が付かなかった!」
ランディは抵抗もせず、持ち上げられるままになっていた。うつむいたままのその態度が気に入らなかったのか、ボブの父の拳が振り上げられた。
ボブが止めに入ろうと父の腕を掴もうとしたが間に合わず鈍い音が響き渡った。ランディ! と呼んで慌ててネスが駆け寄る。
ボブの父はさらに殴りかかろうともう一度腕を上げるが、ボブが今度こそそれを掴んだ。
「おい、親父! こいつ殴っても何も意味ねえだろ!」
「うるせえ、息子のくせに親の邪魔すんじゃねえ!」
「あのなあ、父親の病気で動揺して、人に当たり散らすようなやつに言われたくねえよ。こんなことやってる場合かよ!」
ボブの言葉が図星だったらしく、ボブの父は怒りの表情を濃くすると今度はボブに殴りかかろうとする。だが、ボブの母が「ボブの言う通りだよ。あんたいい加減にしな」と言ってようやく拳をおろした。
ネスの父がため息をつくと言った。
「なるべく苦しくない最期を迎えられるように、私も努力しよう。これから毎日往診に来るが……」
そこでぐるりと一同を見渡す。
「最後は家族と一緒のほうがいいんじゃないかと思う。明日、この家から現村長の家へ移動させる準備をしよう。部屋はあるかい」
え、とランディが声をあげた。一斉に全員の視線を浴び、ランディはあたふたと言葉を紡ぐ。
「あの、村長は、奥さんと過ごしたこの家が好きだって……言っていました。お世話は僕がやりますから、その……」
最後まで言わないうちに、ボブの母が「冗談じゃない」と言った。
「ランディ、あのね、最期は家族で過ごしたほうがいいに決まっているだろう。息子と孫に囲まれていたほうが幸せってもんさ。しょせんあんたはよそ者だろう。一度はお義父さんに追い出された身で何を言うのさ」
だいたい、義理の父の最後を看取りもしないなんて陰口を叩かれるのは私はまっぴらだよ、とボブの母が言う。
ネスが俯いてしまったランディと他の人間を交互に見ても、ボブが苛立ちを隠しきれずに「おい!」と声をかけても、大人たちの間で話がどんどん進んでいく。
「いいんだ、ありがとう……ボブ、ネス」
消え入りそうな声で言ったランディに、ボブとネスが顔を見合わせた。
「……ランディ?」
村長の声に、うとうとしていたランディははっと顔を上げた。夜半の寝室にはベットの近くの淡い灯がついているだけだったが、それでも村長には眩しいようで、目を瞬かせていたが、確かに意識を取り戻していた。
「村長……よかった、意識が戻って」
ランディはぎこちなく笑みを浮かべた。 村長はふっと微笑むと、「とうとうガタがきたかな」と呟いた。
「すまんな……ネスの親父さん、なんて言ってたんだい?」
村長のゆっくりした問いにランディは腿の上の両手を握りしめるしかなかった。
告知については、ネスの父とボブの父が話しあって決めると言っていた。
勝手なことをするなよ、と釘も刺されている。
村長はランディから言葉を引き出すことをあきらめたようだ。
「まあ、自分の身体のことだから察しはつくが……おや、ランディ。その頬はどうした。指も……」
村長が殴られた後を指摘した後、包帯の巻かれた指に手を伸ばす。
ランディがはっとして手を引く前に、指をとられてしまった。そのまま手を握る。シワだらけの村長の手が暖かった。
村長は面倒を見ている子どもだからと言って、あまり甘やかしはしなかった。村長として、誰かひとりに肩入れすることはこの村の中では許されない。当然、親子として手をつないだことなどほとんどない。
だが、皆無ではない。
本当に幼い時分、かくれんぼをしていて見つけられる前に村の子どもたちが帰ってしまったことがあった。森の中で、ずっと待っていても誰も迎えにきてくれなかった。
村長はパンドーラ国にでかけていた最中だった。
結局、泣きながら自力で帰ってベットで眠った。朝起きると、自分の手を村長が握っていたのだ。
「……村を出なさい、ランディ」
村長の言葉に顔を上げる。 出て行ってもらうことにするよ。 聖剣を抜いたあの日、言われた響きを思い出す。
蒼白な顔をしていたのだろう、村長が「違うぞ」とゆるく首を横に振った。
「出て行け……というのではない。私が死ねば、君にとってこの村はよくないところになる」
「村長!」
「身の振り方が決まるまでここにいていいと言ったのに、すまない。まだひと月もゆっくりしていなかったのに……。ジェマ様が話しをされたおかげで君についての誤解は解けた。ボブとネスも頑張っている。だが、まだまだ不十分だ。時間がたりなかった……お別れだ、ランディ」
そんな、と声が漏れる。
「僕、そんな……育ててもらったのに。何もできていないのに」
「育てたと言っても、君の親代わりとしては、きっと失格だった。甘えることも、頼ることも許さず、いつも我慢させたね。……最後に、私に言うことはないかい」
村長の言葉に、ランディは必死に頭を巡らす。
お世話になりました。育ててもらってありがとうございます。
月並みな言葉ばかりが出てくる。
違う。たぶん、村長はそんな言葉を望んでいない。そうして、確かにそれらは自分の本音でもなかった。
本当に言いたかったこと。
「僕は……!」
村長の顔をまっすぐに見ることができなかった。ランディは俯いたまま、声を絞り出した。
「かばってほしかった……!」
突然、溢れた涙と言葉に自分でも驚く。一度出てきてしまうと止められなかった。
出て行ってもらうことにするよ、と言われたときの突き落とされたような衝撃。なぜ自分がという憤り。そして、ああやっぱりという諦念。
ああやっぱり、村長は僕をかばってはくれなかった。
仕方ない、わかっている、という思いがありながらも、心中はどす黒く塗りつぶされた。そんな自分が心底嫌だった。
そうして、そんな自分にさせた村長も、村の人々も。
もしかしたら、という気持ちがあったから余計に絶望が増した。
もしかしたら、かばってくれるのではないかと。
「出て行くなって言ってほしかった。行くなって、言ってほしかった。お前が悪いわけじゃないって、出て行けって言った人たちに、なんてこと言うんだって、言ってほしかった……!」
ランディは村長の手を掴むと、嗚咽を漏らした。村長のもう片方の手が、幼子にするように頭を撫でた。
少ない荷物を持って日が昇る前に出発しようとしていると、嫌が応にもかつての旅の始まりを思い出した。
早朝の村はしんとしている。街中と違い、眠りについている家々には人っ子ひとり見当たらない。
軽くため息をつき、荷物を抱え直していると、ばたばたと複数の足音がした。
「ランディ!」
真っ赤な顔をして息を弾ませるふたりを見ていると、本当にこのふたりは変わったな、と改めて思う。以前の出発のとき、顔を出さなかったボブも、気まずそうに視線を逸らしたネスももういないのだ。
「……出て行くのか」
ボブが悲壮な面持ちで言う。ランディは申し訳なくなりながらも、しっかりと頷きを返した。
「うん。でも、今度は違う。追い出されるんじゃない」
捨てるんだ。
ランディの答えに、ふたりは押し黙った。
ネスがぽつりと「やっぱお前変わったな」と言った。
ボブは悔しげに奥歯を噛みながらも「……そうか」と声を絞り出した。
ランディはごめん、と返す。
「ボブとネスが、この村を変えようとしてるのは、わかったよ。でも」
「いや。それ以上はいい」
ボブがランディの言葉を手を上げて止めた。以前なら怒鳴って口を閉ざさせていただろう。
「追い出されるのとは違って、捨てたものを拾うのも、捨てたままにするのも、お前の自由だ」
押し付けるのは、違うな。そう言ってボブは自分を納得させるように頷いた。ネスが唇をかみながら「気が向いたら……」と呟いてその後を言えずに俯いた。
眩しい朝焼けの光が、三人を照らす。
ボブがランディの背中を叩き、ネスが手を振った。
ランディは歩き出す。
さようならと言うべきか、行ってきますと言うべきなのか、結局はわからなかった。
2017.2.4