吊るされた男
ポポイの記憶が戻ったとき。
ディラックの噂を聞いたとき。
自分の胸に走った感情を、ランディは見ないふりをした。
「パメラのご家族も心配しているだろう。回復したらすぐにでもパンドーラに帰してやった方がいいと思うのだが……」
「そうね」
ふいに聞こえてきた声に、ランディは反射的に足を止めた。
ここはノースタウンのレジスタンスのアジト。
帝国古代遺跡での戦いの後、ランディたち三人と救出されたパメラはクリスの好意に甘えて滞在させてもらっている。
ランディは、これからの予定をプリムとポポイと相談するべく、二人の姿を探していたところだった。
廊下の曲がり角に差し掛かったところで聞こえてきたのはジェマとプリムの声だ。
これでは盗み聞きになってしまう、と思ったものの、ここで動いて二人に気付かれるのも具合が悪い。何よりその会話の行方が気になる。悪いとは思いつつ、ランディはそこから動かないことを選択した。
「……プリム。パメラに付いてパンドーラに戻らないか?」
ジェマの言葉に、ランディはぎくりとする。
「ジェマ、それって私にパンドーラに帰れってこと?」
「い、いや……」
「今回のことで操られたディラックに殺されかけたから?ショックを受けてるだろうし、パメラの護衛にもちょうどいいしって?」
プリムの喧嘩腰の言葉に、ジェマが理路整然と答える。
「プリムの旅の目的はディラックとパメラの救出だろう?半分は達成できた。だが、ディラックの救出はかなり難しそうだ。ならば、このあたりで手を引いてもいいのではないか?
確かに、正直言って今ここでプリムに抜けられるのはランディとポポイにとってかなりの痛手だ。
だが今回のことで、本来聖剣の使命に無関係なプリムをいつまでも巻き込んでいるのはどうかと思ったのだよ」
二人のやり取りが聞こえてくる。
ジェマが言っていることは、実はランディも考えたことだった。
だが、プリムには言えなかった。
ランディは、いつのまにかきつく拳を握り締めていた。そして、自分の胸にどす黒い感情が広がっているのに気付く。
それは、ずっと前から抱えていたものだ。だが、見ないふりをし続けていた。
ポポイの記憶が戻ったとき。ディラックの噂を聞いたとき。
ランディが感じたのは、不安だった。
ポポイが故郷に帰ってしまうのではないか。
ディラックを助け出したプリムが、パンドーラに帰ってしまうのではないか。
それは二人にとっては良いことであるはずなのに、ランディは心から喜んであげることができなかったのだ。
ランディは、自分の浅ましさに吐き気がした。
最初は、自分一人だったはずなのに。
プリムとポポイは本当は無関係なのに。
二人がいなくなってしまうことを、こんなにも恐れている。
それは、もちろん戦闘面でのこともある。二人の魔法がなければ、今までもこれからも戦っていくことはかなり厳しいだろう。
だが、それだけではない。二人は、誰からも顧みられてことのなかった自分に、たくさんのものを与えてくれた。
それなのに、自分は。
「舐めて貰っちゃ困るわ、ジェマ!」
朗々と響いたプリムの声に、ランディははっとした。
「私は、例えディラックを助け出せたからといって、はいじゃあさようなら、なんていなくなったりしないわよ」
ランディは、思わずえ、と声を出してしまい、慌てて自分の口を手で塞ぐ。
「だって、ランディもポポイも、関係ないのに私の事情に付き合ってくれていたんだもの。ここまで来たら、私だって、ランディたちの事情に最後まで付き合うわ。途中でディラックを助け出せたとしても、一緒にパンドーラに帰ったりしない。帰るなら、最後まで見届けてからよ。だから、今も同じ。私はランディたちと行く」
ランディは愕然とその言葉を聞いていた。
悪いけど、パメラのことお願いするわ。
わかった。パメラのことは任せなさい。
二人の言葉が、耳を通り過ぎて行く。
プリムはパメラの眠る部屋へと向かってしまったようだ。
ジェマがこちらに来るかもしれないと、ランディは慌てて近くにあったドアノブを手に取った。音を立てないように部屋に滑り込み、そっとドアを閉める。ドアの向こうで、ジェマの足音が遠ざかる。
そこは客室のひとつだった。ランディはドアにもたれかかってずるずると座り込む。
プリムが、あんな風に考えていたなんて。
普通、愛しい人を助けるという目的さえ果たせば、こんな危険な旅に付き合うのはやめるだろう。今までだって――特に今回の帝国古代遺跡では――彼女は死ぬような目に遭っているのだ。
なのに。
ディラックを助け出したとしても、僕の事情に、聖剣の勇者の使命に、最後まで付き合う、なんて。
「……どうしよう」
ランディはぽつりと呟いた。
どうしよう。すごく嬉しい。
なのに、自分は。
「最低だ……」
ランディはきつく目をつむり、自分の膝の間に顔を埋めた。
――ポポイの記憶が戻ったとき。ディラックの噂を聞いたとき。
不安だった。素直に喜べなかった。
そして、ポポイの故郷が破壊されていたとき。
ディラックを助け出せなかったとき。
ランディは、ポポイと一緒に悲しんだ。
プリムに残念だったね、次があるよ、と声をかけた。
だが、本当は。心のどこかで喜んでいたのだ。
――まだ、三人で旅を続けられるんだ、と。
「本当、最低だ……」
帝国に殺された妖精たちの仇をとりたいと言ったポポイ。
ランディたちの事情に最後まで付き合う、と言ったプリム。
本当は、ポポイに復讐なんてやめろと言うべきだ。
先ほどのジェマのように、プリムにパメラとパンドーラに帰った方がいいと、言うべきなのだ。
だが、言えない。
もう、自分一人ではいられない。
誰かといる温もりを、知ってしまったから。
「ごめん、プリム……ごめん、ポポイ。ごめん」
ランディは誰にも聞こえることのない謝罪を、何度も繰り返した。
「舐めて貰っちゃ困るわ」のランディ編。
2009.5.9