旅する神様


「この辺りで綺麗な景色が見られるところ……ですか?」
「そう。アンタ、そういうの詳しいでしょ?」
 宿屋のおかみに言われて俺ははあ、と気の抜けた声で返事をした。漠然としすぎている。
 綺麗な景色ねえ、と口の中で呟きながら、ちらりとそんなことを依頼してきたという宿泊者を見遣る。
 同い年くらいだろうか。褐色の髪と、深い鳶色の瞳をした青年が、宿屋のロビーで荷物を整えていた。
 昨日から宿泊している青年は従業員にも敬語で接してきた。こんな田舎の村の小さな安宿に来るのは横柄な態度の者が普通なので、むしろなんだか違和感がある。
 だからこそ、青年が腰から下げている小ぶりの剣が目立った。装飾も微細に凝ったつくりになっていて、相当腕の良い刀鍛冶が作ったのだと素人目でもわかる。
 ようやっと戦が終わり、モンスターも姿を見せなくなった。たまに現れても自警団で十分退治できてしまう。武器を携帯する人も少なくなったし、何より、やはり彼が剣を振り回す人間には見えなかったからだ。
 一体何をしている人なのだろう。詮索するのはよくないとわかりつつ、ちっとも正体がつかめなくて首を傾げてしまう。
 村の中ではたったの一泊しかしていないのに既に噂になっていた。いわく、領主のタスマニカ王国の極秘の査察をしにきた者だとか、タスマニカの騎士団から逃げている帝国の残党だとか。
 綺麗な景色が見たいという彼の要求は、彼の正体に関わりがあるのだろうか。少しの好奇心がうずく。
「こんにちは。たいしたもののない村なので、綺麗な景色と言ってもご期待に沿えるかわかりませんが、僕がよく行く場所でもよいですか」
 結局直接本人に話しかける。青年は顔を上げると、にこりと人好きのする笑みを向けてきた。裏側のない笑顔だ。
「はい、ぜひ」
「少しわかりにくいところにあるので、ご案内します」
「えっ。でもお仕事もあるのでは」
 彼は固辞しようとしたが、大丈夫ですと返す。遅ればせながらおかみのほうを見遣るが、お座なりに手を振られる。かまわないということだろう。
 同行すれば彼の正体に迫ることができるかもしれない、という期待があった。おかみのほうもきっとそれを見越している。戻ったら質問攻めだろう。
 何せ、この村には何もない。宿屋のちょっとした仕事よりも、やってきた謎めいた旅人の正体を突き止める、あるいはわからなくてもその正体に思いを馳せるほうが、何倍も価値があるのだ。
 彼がではお願いしますと頭を下げた。


 宿屋の仕事につく前は、村の周辺の野山を駆けまわるただの悪ガキだった俺には、気に入りのスポットがいくつかあった。
 親父やお袋に叱られたときには、簡単には見つからないそれらに逃げるように行った。森の奥の大木のうろの中。潮が引いたときにだけ入れる洞窟。村が一望できる崖のへり。
 誰かに知られるのは癪で、誰にも教えたことはなかった。だが、村の外の人間だったらいいだろう。
 そもそも、俺にはもう必要のない場所たちだ。
 村の裏山の、道なき道を歩く。彼は嫌な顔ひとつせずにひょいひょいと後ろをついてきて、少し驚いた。旅慣れているのだろうとは思っていたが、枝を避け土を踏みしめ岩を越え、草をかき分けても息も一切乱れない。相当鍛えているのかもしれない。ますます謎だ。 
「綺麗な景色をお探しなんて、お仕事は絵を描くことですか?」
 画材を持っていないことなど見ればわかるのにそう言ったのは、好奇心の高さを悟られずに素性を探るためだった。
 彼はにこりとしたまま「いいえ、絵はからきし」と答えた。探るような質問にも、特に気分は害さないようだ。
「今は、旅することが仕事なんです」
「では、旅行記などの書き物をするとか」
 俺が答えると、彼が困った表情になった。踏み込み過ぎたかと、慌てて「あ、すみません」と言うと、彼は手を横に振った。
「いいえ、自分で自分がしていることに、名前がうまくつけられないんです」
 ますますわけがわからない。それが顔に出ていたのか、彼がやわらかく微笑んで、いい言葉が見つかったらお教えしますね、と言った。
 その後は、今までに見た世界の各地の美しい風景についての話を聞いた。
 視界いっぱいに広がる水平線。水の勢いが激しい滝にかかる虹。森の奥の洞窟にある青い鍾乳洞。
 彼の話は臨場感があって、それを見たときの気持ちや驚きが伝わってきてとても面白かった。自分も世界中を冒険した気分になる。
「良い話を聞かせてもらいました。俺はもう、村から出ないので」
「……そうなんですか?」
 彼が控えめに尋ねた。あまり、他人に深く踏み込むことは得意でないのか、恐る恐るといった問いかけだった。
「――実は、この間の戦争で、両親を亡くしまして」
 思っていたよりも、するりと言葉が口をついた。彼がはっとした気配がした。
 村の中ではその事実を知らない者はいないので、あえて事実を言葉にしたことはなかった。言葉にできたことに俺は自分で自分に驚いていた。
「……さ、着きました」
 彼が俯いていた顔を上げた。俺が草むらをかき分けると、眩しい光が射す。
 光に目が慣れた向こうには、村を一望できる景色が広がっていた。彼がわあ、と声をあげる。
「すごい。虹色だ」
 村の屋根をそれぞれ違う色で塗るのがこのあたりの風習だ。確か、災いから守るためだとか。奥の家々は赤系統、そこから手前に向かって、だんだんと橙、黄色、緑、青、紫となっている。上から見るとグラデーションになっている様子は壮観だ。
「俺の家は、藍色の屋根でした」
 俺は身を乗り出し、山のすぐ下を指さした。その地面は抉られて未だに山肌が見えている。
「マナの要塞が浮上したときに、光線を放ったことを覚えていますか? マナの樹を狙ったものだったらしいけれど、その海を越えた直線上に俺の村がありました。両親は家ごと消えてしまって、何かの夢かと思いました」
 俺の家は村の少し外れたところにあったため、他の家に被害はなかったが、当時の俺は運命と世界を呪うのに忙しく、とてもそれをよかったとは片付けられなかった。
 雲が動いたのか、光が遮られてあたりが陰る。
「ずっと、同じ人しかいない村の中が窮屈で、狭い世界が嫌でした。こんな村から出ていきたいと思っていました。けれど、両親を亡くした俺に、村の人たちが一丸となって手を差し伸べてくれました。だから、俺にとってはこの村の景色が一番綺麗な景色です――と言いたいところですが」
 言葉を切った俺を、彼が見る。俺は村から目を話さずに言う。
「ここから村を見ていると、なんだか閉じ込められた気もしてきます。俺には村の人に頼る以外の術がなかったので。だから、少しだけ残酷な景色でもあります」
 村の中という狭い世界では、異端は排除されがちだ。広い世界に憧れた俺は村の人々にとって確かに異端だったんだろう。だが、村の外からやってきた突然の災いに、村は手を取り合って対抗しなければ恐怖でみなが潰れそうだったのだろう。それが、俺という「可哀そうな子ども」の救済だったのだ。
 いつかは、村の外に出てみたかった。だが、両親を亡くしたことに悲しみ、突然のことに驚き嘆くことに疲れた俺は、村の一部になるしかなかったのだ。
 助かったこと、今生きていく術を得られたこと。それに感謝するべきだとはわかってはいる。けれど、たまに旅人の詮索をしてしまうくらいの娯楽は、許してほしいとは思ってしまう。俺はここから出て行けないのだから。
 つまらない話を聞かせました、と言うと彼は首を横に振った気配がした。
「……自分のしていることを、言い表す言葉を見つけた気がします」
 俺は彼を見た。そのとき、再び雲の切れ間から光が射した。彼の半身が光を浴びて、こちらに向いた。
「審判です」
「しんぱん?」
 すぐに脳内で意味が変換できずにおうむ返しをしてしまう。彼が優しく微笑んだ。
「裁判官、とも思ったのですが、僕にはもう、裁く力はありません。だから、審判」
「……何を、判断するんですか?」
 言っている意味がよくわからず、とりあえずほとんど反射的に返すと、やけにはっきりと区切るように彼が言った。
「この世界に、本当に救う価値があったのか」
 ぞっとした。
 青年は相変わらずそこに佇んでいただけであるのに、まるで剣先を喉元に突きつけられたようだった。
 午後のやわらかな光を浴びて、優しげな笑みを浮かべる少し変わった雰囲気の旅人が反転する。
 半身が影に覆われた、冷たい色の瞳をした、審判を下す者へと。
 視線を合わせていたのは実際数秒だったが、永遠に思えた。彼がふいに背中を翻した。
「ご案内、ありがとうございました。とても素敵な景色でした。また来た際には、寄らせていただきますね。ここから次の村に向かいます。道はわかりますので、大丈夫です」
 宿屋のおかみさんにも、よろしくお伝えください、と彼は言うや否や、すたすたと歩き出してしまった。
 俺はその背中を消えるまで見つめながら、たった今まで見ていた彼の顔を思い出そうとした。だが、どうしてもできない。とても、普通の顔だったのに。
 村に帰れば、おかみさんに彼の素性を聞かれるだろう。何と答えればいいだろうか。
「神様、なんて言ったら、お前は相変わらず変わっているって言われるかねえ」
 俺は苦笑しながら、村に戻る道を歩き出した。



 拍手お礼

2017.5.16

inserted by FC2 system