フォルティッシモ

 

 

 「世界を救えるのはアンちゃんだけだ!逃げちゃだめだ!」

 オイラの言葉に、アンちゃんがはっとした顔をした。続いてすぐに泣き出しそうに顔を歪める。

 何かを言いたそうに、唇が動く。しかし、声は音にならず爆発音にかきけされる。

 アンちゃんは、きつく奥歯をかみしめると目を伏せた。

 ああ。

 なんてオイラは幸せなんだろう。

 不謹慎だとは思いつつ、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 「ねえ、ポポイって男の子と女の子、どっちなの?」

 オイラの記憶が戻った後のことだったと思う。宿屋の一室でベッドに寝そべりながら、ネエちゃんが聞いた。

 アンちゃんも聖剣を手入れしていた手を止めて、こちらを見る。

 オイラは首を傾げながら尋ねた。

 「妖精には性別ってないよ?」

 確か、出会ったときにもそう言った。そうね、ポポイは男とか女っていうよりもポポイって感じよね、と言ったのは当のネエちゃんだったはずだ。

 「今まではそれで納得していたんだけど。だって、ほら、風の神殿で会った神官さん」

 「ああ、じっちゃん?」

 「あの人、どう見てもおじいさんだったんだもの。成長するに従って男っぽくなったり女っぽくなったりするとかあるの?」

 オイラはさらに首の傾ける角度を広げた。そもそも、男っぽくとか女っぽくとかそういう感覚がいまいちわからない。

 「うーん、よくわかんないや。妖精たちの間では性別の違いっていう考え方がなくて、各々の違いは個性の違いってとらえるからなー」

 ネエちゃんははっきりした解答が得られないのがもどかしいらしく、綺麗な眉をしかめた。

 そして、あっと声をあげると、いいこと思いついたわ、と声を弾ませた。

 「じゃあポポイ、ランディと私、どっちに平気でキスできる?」

 隣でアンちゃんが盛大に吹き出し、せき込んだ。

 オイラは少し考える。

 「……ネエちゃんかなあ」

 オイラの答えに、アンちゃんがほっとした様子を見せ、ネエちゃんは意外そうに目を細めて「ふうん」と言った。

 それきりネエちゃんはこの手の話題を出すことはなくなった。

 

 

 いつからだったんだろう。

 そう考えるたび、ある場面に記憶は戻る。

 帝国の古代遺跡の淀んだ空気の中、焦点の合っていない目をしたディラックが立っている。

 「操られていたからって、愛する人もわからないのか!?」

 アンちゃんが激昂して叫ぶ。

 オイラはその横顔を驚いて見つめていた。

 優柔不断で、いつも気弱そうな様子のアンちゃんが、怒りで身体を震わせていた。

 爛々と輝く瞳は、今までに見たことないほど綺麗だ。

 普段は自信のなさそうな表情をしているから気付かなかったが、アンちゃんは実は整った顔をしているのがこのとき初めてわかった。

 そしてアンちゃんはオイラが止める暇もなくディラックに向かって掴みかかっていく。

 許せねえ、という別人のようなアンちゃんの声。

 ディラックの頬を捕らえる拳。

 それらを瞳に映しながら、そんな場合ではないというのに、オイラは自分の胸に去来する思いに愕然としていた。

 ――うらやましい、と。

 オイラはそのときそう思ったのだ。

 

 

 帝国古代遺跡であった出来事は、オイラたち三人それぞれに、別々のかたちで爪痕を残したようだった。

 アンちゃんは自分の怒りの発現を自身の中で処理できていなかったし、ネエちゃんはあと少しのところでディラックを取り戻せなかったことがやはりショックだったらしい。

 そのため、古代遺跡から引き揚げてきた夜、オイラたちは一言も口をきかず各々にあてがわれた部屋に戻った。

 それでもオイラは寝つけずに、レジスタンスのアジトを抜け出し、誰も歩いていない街中を一人でぶらぶらと散歩し始めた。

 遠くで鳴く動物かモンスターの声を聞きながら、ふと、ふらふらとした人影が目の前を歩いているのに気付いた。

 オイラは速足になると、その背に声をかけた。

 「パメラの、ネエちゃん?」

 「……あら。プリムの仲間の、妖精の子?」

 パメラのネエちゃんはゆっくりと振り向くと薄く微笑んで言った。

 「あんた、なんでこんなところにいるの」

 オイラは少し緊張して聞いた。確か、パメラのネエちゃんはまだタナトスの暗示が抜けきっていないという話だった。今だって外出できる状態ではないはずだ。

 現に彼女の瞳はどこを見ているかわからないほどどんよりとしている。幾分か顔色はよくなったようだが、表情が見えなかった。

 「ジェマさんやクリスさんが言っていたのを聞いたの。私、パンドーラに帰されるらしいわ。帝国ともお別れだと思うと、名残惜しくて、ちょっと外に出てきたの」

 「……まるで、帰りたくないみたいだね」

 オイラの言葉には刺があったと思う。

 オイラは、ネエちゃんが、ディラックだけではなくどれだけパメラのことを心配していたか知っている。

 パメラのネエちゃんを殴ってしまったことで罪悪感を抱いているのを知っている。

 だというのに、今のパメラのネエちゃんの言葉は、あまりにも無神経に思えた。

 まるで。

 「まるで、助かりたくなかったみたいだ」

 「そうね。助かりたくなかったわ」

 思わず言ってしまった言葉に、パメラのネエちゃんは即答した。

 まじまじと彼女の顔を見つめたオイラに、パメラのネエちゃんは美しく微笑んだ。

 「だって、ずーっとディラックの傍にいられたもの。とても幸せだったわ。プリムは私のことを助けたつもりみたいだけど、本当はディラックの傍に私がいるのが我慢ならなかっただけじゃないのかしら?」

 パメラはふふふ、と艶やかに声をもらした。

 オイラは彼女のあまりの言い草に何も言えず、ぽかんと口を開けてパメラを見ていた。

 にこにこと笑っていたと思ったら、パメラはがらりと眉をあげ表情を変えた。

 「幸せだったけど、でも、つまらなかったわ。だって、ディラックも洗脳されていていつも朦朧としていたし……意識のあるときはプリムプリムってそればっかり!どうやったら私のこと少しでも考えてくれるのかしら、って考えてたわ」

 なあんだ、結局、パンドーラにいたときと変わらなかったわね。

 じゃあ、助かったって一緒だわ。

 パメラが紡ぐ呪詛のような言葉を、オイラはぼうっとしながら聞いていた。

 「どうしたら彼、私のことを一瞬でも一番に考えてくれたかしら。彼の目の前で首でもかっさけばよかったのかしら?」

 「…………」

 「ねえ、どう思う?」

 「……知らないよ、そんなの」

 オイラはこみあげる嫌悪感に耐えながら言った。

 無性に彼女も、彼女の言うことも気持ち悪かった。

 「だって、オイラは女じゃない。そういう気持ち、わかんないよ」

 「うそお。あなた、女でしょ」

 パメラは妙に間延びした声で言った。

 オイラは心底おどろいて彼女を見た。

 「違う。オイラにはそういう区別ないよ。妖精だから」

 「妖精だから?そんなの関係ないわ!あなたが気づいてないだけで、女には、女がわかるわ」

 パメラがけらけらと笑いながら言った。そのまま踊るように身をひるがえす。

 「あなたもきっとわかるわよ」

 「そんな、ことは」

 「ばいばい、ポポイちゃん」

 そのままパメラは、歩いてレジスタンスのアジトに向かっていく。

 オイラは幽霊にでもあったような今の出来事に、しばらく動けずにいた。

 

 

 翌日、おそるおそる顔を合わせたパメラのネエちゃんは、昨夜のことを何も覚えていなかった。

 それどころか、「助けてくれてありがとう」とオイラにも微笑んで礼を言ってくれた。

 これはもう完全に推測にすぎないのだが、あの日の夜のパメラはまだタナトスの洗脳が解けていない状態だったんだと思う。

 タナトスがパメラにかけた洗脳は、理性を失わせるものだったらしい。

 ディラックの傍にいたい、彼に一番に自分を見てほしい。そう思っても普通はプリムに申し訳ないとか、家族が心配するとか、そういった理性が抑制をかける。

 だが、タナトスによって欲望を引き出されたパメラはなりふり構わず彼の傍にいることを選んだ、というわけだ。

 だからオイラは、あの日のパメラのことは忘れることにした。

 あれも確かにパメラの一面ではあろうが、彼女のためにも忘れてやったほうがいいだろうと思ったのだ。

 だが、彼女の残した言葉たちだけは、いつまでもオイラを悩ませた。

 

 

 帝国で起こった出来事と、そのとき感じた感情と、パメラの言葉。

 それらを合わせて考えて、ようやくオイラは自分の気持ちに気付くことになる。

 いつからとか、どうしてとか、そういうことはもうわからないけれど。

 

 

 アンちゃんが、拳を握りしめている。

 そこここからあがる爆発の炎が彼の輪郭を鮮やかに浮かび上がらせた。

 アンちゃんが俯いていた顔をゆっくりとあげる。

 濡れた瞳の奥には決意の色があった。

 「ポポイ……いいんだな」

 「もちろん!」

 オイラは笑顔でいいながら、なあ、パメラ、あんたの言う通りだったよ、と心の中で語りかける。

 きっとあんたは、ほらね、と言いながら、うらやましいわと続けるんだろう。

 これからオイラは、この人に一生癒えることのない傷をつけるのだ。

 誰よりも優しく弱い彼に、オイラのことを殺させる。

 それはきっと、オイラがこの人の前で首を切り裂いて見せるよりも、何十倍も深くこの人の心を抉るだろう。

 彼はどんなに幸せになっても、たびたびオイラのことを考えるのだ。自分が殺した妖精の子どものことを。

 もしかしたら、彼がこの先愛する人よりも深く長く、オイラのことを考える。

 ああ、なんて、幸せなんだろう。

 行くよ、と気持ちを切り替えて戦闘の合図をするアンちゃんの背中を見ながら、オイラは状況にそぐわないあまりにも大きな幸福感に酔いしれる。

 

 

 こんな愛し方しかできなくて、ごめん。

 でも、あなたのことがずっと好きだったよ、アンちゃん。

 

リクエスト

 

 

2010.8.17

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