永遠の途中

暑い。

じわじわとした夏の日差しを浴びながら、ルカは手を庇にして太陽を仰いだ。

基本的に神殿の中から出ることのないルカはこの暑さに辟易としていた。

神殿の中は風通しが良いものになっているし、地下から引き揚げた水が循環しているのでとても涼しい。暑いなどとここ何年も感じたことなどなかった。

全く、何を考えておるのだか。

ルカはこの熱の中に自分を連れだした張本人を睨んだ。

「わあ、冷た!湧き出ている場所は冷たいところもあるんですね!」

その張本人は、膝まで水につけてはしゃいでいる。子供のような笑顔だが、これでも一年前には世界を救った聖剣の勇者だ。

当時、まだ幼さを残していた顔立ちは輪郭が削げ、もう青年のものだった。身長も随分伸び、肩幅もがっしりしたようだ。

ルカは水辺に腰かけて足先だけ水につけていたが、大きく足の甲を振り上げ、ぱしゃりと水を飛ばした。

「ちょ、ルカ様、何するんですか」

「それはこっちの台詞じゃ。突然やってきて、ちょっと付き合ってくれませんかと連れだしたと思えば水遊びか?」

言っていて少し腹がたってきたので、さらに足を上下に動かすと、派手に水しぶきがあがった。

ランディが抗議の声を上げる。ルカは段々と楽しくなってきて、さらに水しぶきを大きく上げた。

「ルカ様!ちょっと!僕着替え持ってきてないんですよ!」

「知ったことか!」

大きな笑い声をあげて、今度は水を両手ですくいあげた。派手な音がしてランディの顔にかかる。

いつも立っている赤茶色の髪の毛がしぼんだように水の重さで下がった。

ランディがみるみる内にいたずらっぽい顔になる。

「ルカ様、やりましたね?」

「やるか?かかってこい!」

言った途端、ランディがルカに向かって走り寄る。ルカは自分の本来の年齢も忘れて、姿のままの少女のように笑って逃げだした。

だが、水底にあった石が爪先に引っかかり、バランスを崩す。

「ルカ様!」

ランディがルカの手首を掴んだが支えきれず、一緒に倒れ込む。

今までで一番大きな音と水しぶきがあがった。

周りの木々から、驚いたのか鳥たちが一斉に飛び立った。

後には沈黙が落ちる。

ルカが恐る恐る目を開くと、ランディの顔が目の前にあった。身体に痛みがないことから、咄嗟にランディがかばってくれたのだろうとわかった。

礼を言おうとしたルカの前に、ランディが口を開いた。

「ルカ様、怒りませんか」

唐突な問いかけに、水の神官は眉をひそめた。

「なんじゃ、藪から棒に。一体、何の話じゃ」

「ルカ様にお尋ねしたいことがあるんです」

ランディの濡れた髪の毛から、雫がぽたりと垂れた。

「タナトスの目的は――願いは、結局何だったんだと思いますか?」

突然出てきた、先の戦いの首謀者の男の名前に、ルカは言葉を挟まないことで先を促した。

「僕は、彼にとっては皇帝も帝国も要塞もどうでもよかったんじゃないかと思えてならないんです。彼がはっきりと執着していたのは結局、ディラックさんの身体だけだったような気がして」

ルカは水の神官として、世界の流れを見守ることが役目だ。

戦いの終盤、帝国の呪術師、タナトスが全ての黒幕だったことも、彼が朽ち果てようとしていた自らの身体から、闇の血をひくディラックに乗り移ろうとしていたことも知っている。

だが、彼の目的まではわからない。

呪術師は魔界の力を用い、ルカの裏をかくかたちで身体を乗り移りながら、長い時間生き続けてきたらしい。

「……僕はね、ルカ様。タナトスは死ぬことが怖かっただけなんじゃないかなって、最近思うんです」

ランディの瞳に、ルカが映っている。ルカはじっと、ランディの言葉に耳を傾ける。

「ルカ様のような世界の守人の目をかいくぐってずっと生きてきたのに、どうして世界を征服なんて、目立つようなことをしたのか。

そして、どうして身体が朽ち果てるぎりぎりまで、別の身体に乗り移ろうとしなかったのか、ずっと疑問だったんです。

もしかしてタナトスは、乗り移るにふさわしい身体を見つけられなかったんじゃないかな。

世界が混乱すれば、力のある人が表舞台に出てくる可能性が広がる。魔女討伐のために国を出た、ディラックさんのように。

帝国で四天王にのし上がったのも、世界征服に乗り出したのも、自分の身体にふさわしい人間を見つけるためだったんじゃないかって」

そう、思うんです。

小さくそう呟いたあと、「ルカ様はどう思いますか」とランディが問いかけた。その瞳が不安そうに揺れている。

ルカは唐突に、ランディがいつまでも話を切り出さなかった理由、自分にその問いをする理由に気がついた。

「死ぬことは、怖いよ」

ルカの言葉に、ランディの瞳の揺れが大きくなった。

「どんなに長く生きていても、死ぬことは怖い。タナトスも……そうだったのかもしれないな」

ルカはそっとランディの髪をかきあげた。

「けれど、誰かと一緒なら怖くない。タナトスにはそういう相手がいなかったのかもしれない」

ルカは手を水底につき、身体を起こした。

ランディの髪をあげた自分の指先を見る。

水の神官として、時の流れが止まったはずのルカの身体は変化が訪れないはずだった。身長や体重はもちろん、爪や髪もだ。

だが、街の娘が色を塗るために伸ばすように、爪がかなり長くなっていた。

「わしは大丈夫じゃよ、ランディ」

ランディがはっとしてルカを見た。

彼の顔がくしゃりと歪んだ。

「ごめんなさい……ルカ様。僕が神獣を倒したから」

「謝ることではない。気に病むな」

運命、だったんだよ。

ルカはそう言った。

聖剣の勇者が神獣を倒したことで、失われたマナを補うものはなくなった。それは、マナの恩恵にあずかっていたルカの身体の時の流れにも影響した。

この一年、髪が伸びたことにも爪が伸びたことにも最初は気づかなかった。

身長や体重も徐々に変化し、何かがおかしいと思ったとき戦慄した。襲ってきたのは自分も死ぬのだという当たり前だが直面したことのなかった事実だった。

「最初は、私も驚き慌てふためいたよ。泣きもした。眠れない夜もあった。だが、もう大丈夫だ。私はタナトスとは違うよ」

「どうしてですか」

ルカはふふ、と口もとを緩めると、ランディの耳の近くに身を乗り出した。

「だって、おぬしが一緒にいてくれるだろう?」

ランディの顔が暑さのためではなく真っ赤に染まっていくのをルカは楽しそうに眺めていた。

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