終焉





 荷物の中から、旅の間に身に着けていた服を取り出す。靴の紐を結び、腕に小手をはめる。バンダナで前髪を上げて、「……よし」と呟く。

 最後に壁に立てかけてあった聖剣を手に取り、腰にくくりつける。

 物音を立てないように、そっと玄関の扉を開け、早朝の靄のかかった景色の中に踏み出した。





 聖剣の勇者として世界を救う旅を終えてから少しの時間が経った。

 ランディは、パンドーラに帰還して仲間のプリムを送り届け、水の神殿でルサ・ルカに報告をし――育った場所であるポトス村に戻ってきた。役目を終えた聖剣を、元の場所に戻すために。

 ランディにとって、ポトス村は、村を出た経緯が追い出されるかたちであったこともあり、目的があるとは言え行きにくいことこの上ない場所だ。

 しかし、聖剣を戻すためにはどうしてもポトス村を通って森に入らなければならない。

 村の入口で小一時間悩み、おずおずと村に踏み込んだランディを待っていたのは、村長や村の人々の出迎えだった。

 ぎこちない雰囲気はあるものの、すぐにまた追い出されるようなことはなく、ランディは胸を撫で下ろした。育ての親である村長は、「よく帰ってきた」と言い、今後の身の振り方が決まるまで、しばらくは自分の家に滞在するといい、そのまま住んでくれてもかまわないと言ってくれた。

 好意に甘えて村長の家に宿泊し、その朝――ランディは、目的を果たすため、誰にも見つからないよう、家を抜け出したのだった。

 別に誰かに見られてもかまわないんだけど、ね。

 ランディは心の中で苦笑する。

 長い間、共に戦ってきた聖剣との最後の時だ。なんとなく、誰にも邪魔はされたくなかったのだ。

 朝露に濡れる草を踏みしめ、進む。

 村と森との境目を、背の高い草が阻んでいた。

 これが邪魔で村に帰れなくて……剣を抜いたんだったなぁ。

 ランディは苦笑を今度は顔に浮かべ、剣の柄に手をかける。

 聖剣を一振りしたその後には、ランディが通れるほどの道が綺麗にできていた。

 ランディは鞘に剣を納めて、また進む。

 早朝のまだ薄暗い森の中には、モンスターたちは見当たらなかった。モンスターもこんな時間ではまだ眠っているのだろう。

 靄の中をくぐりぬけていくと、滝に辿り着いた。ランディはためらうことなく、川の中に入っていく。

 水の冷たさが身体を刺すようだったが、気にならなかった。

 川の流れに従って進んでいくと、聖剣の刺さっていた岩は、まだそこにあった。

 ランディは再び、鞘から聖剣を抜く。

 旅の後、ドワーフの村に行き、ワッツに剣の整備を頼んだ。そして昨日、ランディ自身が磨いたので、聖剣の刀身はきらきらと光っている。

 ランディはじっとその刀身を見た。自分の顔が映っている。

 抜いたときに、剣とは思えないほど錆びついていた聖剣は、今真の輝きを取り戻している。

 「信じられない、な……」

 この剣を抜いたときには、まだ、大きな運命が自分を待っていることを知らなかった。

 村を追い出されて。

 勇者と呼ばれて。

 仲間が出来て。

 いつでもこの剣が自分と共にあった。

 何度も窮地を救われもした。

 だが――ときに、なぜ自分がという思いに囚われるときは、聖剣を憎悪することもあった。

 聖剣は、ランディにとって、もう一人の仲間であると共に、重い呪縛でもあったのだ。

 自分を縛る、聖剣の勇者という名の役割の象徴。

 あのとき、聖剣を抜かなければ。

 何度もそう思った。

 今、聖剣を手放す時になり、感じているのは寂寥感と共に、解放感でもあった。

 「でもやっぱり、ちょっと寂しいかな」

 ランディは指を傷つけないように、そっと刀身を撫でる。

 聖剣をここに戻せば、その後は、聖剣は永劫の時間を過ごしていき、再び錆びていくのだろう。

 それは、やはり寂しいことだが……聖剣は必要とされるときが来るまで、眠りにつくのが正しいのだろう。

 「――できるなら……もう二度と、眠りから覚めないでほしい」

 聖剣が必要とされるときは、世界に危機が訪れたとき。

 もう二度と、そんなことは起こらないように。

 ランディは祈るように目を閉じて、息をひとつ吸った。

 剣の柄を両手で持ち直し、聖剣を岩に突き刺す。

 剣と岩がぶつかる音が響いた後には、水の流れ落ちる音だけが残った。

 ランディはそっと、聖剣から手を放す。

 岩に突き刺さった聖剣は、以前から変わりなくそこにあるように佇んでいた。だが、刀身の輝きが、まぎれもなくランディにこの剣と過ごした時間を思い知らせていた。

 「――……っ!」

 放した手をそのまま口元に持っていく。殺そうとした嗚咽が漏れた。両の目からぼたぼたと音がしそうなほど、大粒の涙がこぼれる。

 ランディは自分でもなぜ泣いているのかわからなかった。

 がくりと身体から力が抜け、濡れることもかまわず水底に膝をつく。

 うずくまりながら、これで本当に終わったのだと――ランディは名前のつけられない感情に、声をあげた。

 

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2009.9.23

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