デズデモーナ
どうしてこんなことになったんだろう。
そうプリムは自問する。
潮風が彼女の頬と髪を優しく撫でる。彼女は今、船の上にいた。眼下には空の青を映し波打つ海面がある。
「……プリム」
探るようにかけられた声に、プリムは一呼吸置いて笑みを形作ってから振り向いた。
「セルゲイ、操縦はいいの?」
「おう。部下に任せてきた。あんまり甲板にいると日に焼けるぞ。パンドーラの人のは肌が弱いから気をつけろ」
浅黒いがっしりとした男が立っていた。
この船の船長でもあり、以前は海賊でもあったセルゲイだ。
「何を考えていたんだ?」
「――考えても仕方のないことを考えてたわ」
この繰り返す波みたいに、同じ問いかけと、同じ答えしかないことを、考えていた。
そうプリムは続けた。
セルゲイは押し黙る。力強く、いつも大きな声を上げて笑っている彼には似合わない顔だ。
「やだ、やめてよ。セルゲイがそんな顔しないでよ」
「おいおい、なんだその言い草は。俺だって神妙な顔くらいするさ」
「これからランディの辛気臭い顔を嫌ってほど見るんだから、セルゲイの明るい顔見てないとやってられないわ」
そう言うとセルゲイはきょとんとしてから口を開けて笑った。どこか無理が残る顔だったが。
プリムもくすくすと笑った。
今船が向かっているのは、ランディが住んでいるマナの神殿がある島だった。
だが、住んでいるというよりも、囚われていると言ったほうが正しいとプリムは思っている。
そして問いは繰り返される。
どうしてこんなことになったのだろう、と。
タナトスとの、そして神獣との戦いに勝利したランディとプリムは世界中を回ったあと、パンドーラに戻ってきた。
ポトス村に聖剣を返しに行くというランディとはそこで別れた。
プリムはこれからどうしようかと考えたが、考えても頭の中は混乱するばかりだった。
ディラックを失ったことも含め、戦いの記憶はそうすぐに薄れるものではない。とりあえずしばらくは父の元で大人しく暮らそうと決めた。
ランディも同じことを思ったらしく、しばらくはポトス村に留まって今後の身の振り方を決めようと思う、とつづった手紙が来た。
プリムはパメラと会ったり、ディラックの両親と話をしに行って静かに日常を過ごした。たまにポトス村からランディが来て顔を合わせることもあった。
そうやってゆるやかに三か月ほどの時間が過ぎた。
自分たちがのんびりとしているうちにめまぐるしく状況が変わっていたことなど、何一つ知らなかったのだ。
プリムが船から降りると、一人の少女が待っていた。
肩まで切りそろえられた真っ直ぐな髪と、ふくらんだスカートが風に揺れていた。
「ようこそいらっしゃいました、プリム様」
「アリスさん、そんなにかしこまらなくていいって言ってるのに」
プリムはそう言って苦笑したが、アリスが何を言っても態度を変えないこともわかっていた。
「ランディさんは神殿で待っています」
そう言うと、アリスはプリムの荷物を持とうと手を差し出した。プリムは首を振って自分で持つわ、と固辞した。
アリスはランディの世話係としてこの島に住んでいる少女だ。ランディやプリムよりも年下なのだが、すらりとした容姿と落ち着いた態度でとても大人びている。
「そっか、ランディは元気?」
「ええ、プリムさんがいらっしゃるのを楽しみにしていましたよ」
そう言ってアリスはスカートの裾を翻して道案内をするために歩き出した。
プリムはアリスに悟られないようにため息をついた。
不吉な噂を聞いたのはパンドーラ城でのことだった。
それは「世界の国々からパンドーラが第二の帝国となり、世界を支配しようとしているのではと危険視されている」というものだった。
噂をしていた騎士たちはプリムの姿を見ると慌てたように会話をやめてしまった。
気になったプリムが父を問い詰めたところ、父は疲れた顔で渋々説明してくれた。
「パンドーラが、というより聖剣の勇者が危険視されているんだよ」
「ランディが?どういうこと?」
「それと、お前だよ。プリム」
プリムは目を見開いて抗議しようとしたが、父はまずは話を聞け、とそれを押しとどめた。
「パンドーラやタスマニカ、それからノースタウンなど、聖剣の勇者に恩義のある国は別だが、他の国は、聖剣の勇者が第二の皇帝になることを恐れているんだ」
「ランディはそんなこと……!」
「ランディくんがどういう人間なのかなど、そんなことは関係ない。彼が帝国四天王を倒したことが問題なんだ。帝国は世界を支配しようとしていた。それを阻止したのは聖剣の勇者だが、その事実は同時に聖剣の勇者が帝国以上の力を持っているということを示しているんだよ」
「プリム!」
ランディが神殿の前で手を振っていた。
「久しぶり、元気だった?」
「ええ。ランディは退屈だったんじゃない?ここって本当何もないわよね。新しい本持って来たわよ」
「あ、じゃあ前に持ってきてくれたやつは持って帰ってもらおうかな。マナの神殿って狭いから置き場所がないんだよ」
ランディが荷物持つよ、という意味を込めて左手を差し出した。プリムはじゃあ遠慮なく、とばかりに荷物を差し出した。
「プリムにはいつもの部屋を用意してあるから。アリスが掃除してくれているから綺麗だよ」
ランディは荷物を肩にかけて歩き出した。
その右腕はだらりと下がったままだ。
「でも、ランディはもう右手が動かないわ。聖剣だって手放したし……私だって、もう魔法は使えない。何よりポポイがいない。あの頃のような力なんてないのに……!」
プリムは絞り出すように言った。
ランディは最後の神獣との戦いのときに右手を負傷した。神経が断たれてしまったらしく、傷は治ったが右手も腕もぴくりともうごかなくなってしまった。医者には治る見込みはないだろうと言われている。
負傷した直後にプリムが回復魔法をかければ違ったのかもしれないが、マナが少なくなり精霊も消えたこの世界ではもう魔法は使えなかった。
プリムがいろいろ試してみたところ、マナが残っている場所では魔法も発動するようだ。しかし、どこにマナが残っているのかもわからないので、使えないのと同じだった。
プリムの言葉を聞いて、父は首を振った。
「そんな細かい真実など、妄信している人々には見えないのだよ。自分たちが信じていることだけが真実なんだ」
噂とはそういうものなんだよ。
父があきらめたように言った。この時点で、エルマンにはもう事態がどういう方向に転がっていくのか、ある程度見えていたのかもしれない。
アリスとプリム、そしてセルゲイでプリムが持ってきたランディへの差し入れや食料を神殿に運び込み終わった頃には、夕闇が迫っていた。
アリスが用意してくれた夕食を食べながら、最近のパンドーラであったことや、知り合いの近況を報告する。
「そうそう、今日持ってきた本の中に、ジェマが選んだものもあるのよ」
「本当?ジェマ元気かなあ」
「ジェマは今、後進の指導にあたっているらしいぞ。新人の騎士たちがジェマについていけなくてすぐに根をあげるもんだから、困っているらしい」
セルゲイは今はタスマニカに雇われて、国の持ち物の船の船長をやっているのでジェマのことも知っている。けらけらと面白そうに話す。
「そうそう、それで私に『最近の若い者はわからん』とか愚痴るのよ」
プリムが言うとランディは声をあげて笑った。
アリスもにこにこと話を聞いている。
「でも僕に教えるときも厳しかったよ、ジェマは。たまに褒めてあげないとみんなやめてっちゃうよって言っておいて」
ランディが当たり前のようにそう言うことに、プリムの胸は心臓を鷲掴みされたように痛んだ。
あんた、それ、伝言なんて頼まないで直接言いなさいよ。
結局言えなかった言葉はスープと一緒に呑み込んだ。
タスマニカの国王が、聖剣の勇者にマナの神殿の管理を命じた。
そんな話がパンドーラの城下で囁かれた。
街の人々はそれを聞いてもふうん、といった反応だった。マナの神殿がどういったものかも一般の人にはわからないからだろう。
エルマンも命令が下ったのは事実だと聞いたが、そこにどんな意味があるのかまではわからないと首を傾げた。
だがプリムは嫌な胸騒ぎを感じて水の神殿のルカを訪ねた。
「水の神殿はわしが管理をしているが、必ずしも神殿に管理する者が必要というわけではない。それにマナの神殿は孤島にあってほとんどの人間が存在を知らなかった」
そう言われれば、世界中の神殿を訪ねたが、管理をしている人がいたのは水の神殿と風の神殿くらいであとは無人だった。
ルカの話では昔はそれぞれに神官がいたらしい。神官を務めるのはマナの種族が多かった。だが帝国が力を持ち始めたときに、自分たちが狙われることを恐れて姿を消したという話だった。
「更に言えば、マナの神殿は別にタスマニカの持ち物でもなんでもない。なのにどうしてわざわざ管理を命じるのか……そこに何かがあるのかもしれん」
ジェマからも何も連絡がない、とルカは言った。彼女も困惑しているようだった。
プリムは自分が気付かない間に何かが背後に迫ってきているのを感じた。
とにかく一度ランディと話をしないと、と思い立ち、ポトス村へと急いだ。
アリスとともに洗い物をしながら、プリムは彼女に話しかけた。
「ランディは毎日何して過ごしてるの?」
「そうですね、午前中は神殿の掃除や壊れているところの修復を。この神殿はとても古くてあちこち痛んでいるんです。午後は手紙を書いたり、本を読んだりなさっています。夕食を食べてから夜は……」
アリスはそこで言葉をきった。
「お祈りをなさってます。神殿の種子のところで」
プリムはなんとも言葉を返せず黙った。しばらく、食器が触れ合う音が響く。
「今言った以外の時間ではときどき、海を見ていらっしゃいます」
アリスがぽつりと言った。
プリムは思わず彼女の顔を見た。
「海を?」
「ええ。何を考えているんですかって聞いても、微笑むだけで教えてくれないんです」
ポトス村の村長の家の前には、豪奢な馬車が停まっていた。その周りにはタスマニカの騎士たちが立っている。
村人たちは遠巻きにしながらも、何が起こるのと気にしている。
家のドアからランディとジェマが出てきた。ランディは外套を羽織っていて、肩には荷物がかけられている。
ランディがジェマに促されて馬車に乗ろうとしている。
プリムは慌ててランディの名前を呼んだ。ランディとジェマが驚いた顔をしてこちらを見やり、騎士たちが何事かと敵意をプリムに向ける。
騎士の一人が走ってくるプリムを阻もうとしたが、ジェマが何かを言って止めた。
プリムは近づきながら、目の前の光景に眉を寄せる。
まるで――罪人を連行しに来たようではないか。
ランディのところまで辿りつくと、息を整える間すら惜しく口を開いた。
「……ランディ、どこか行くの」
プリムの口調は質問と言うよりは詰問するようだった。ジェマが困ったように顔を歪めてランディを見た。
ランディは二人の視線を受けて、くしゃりと苦笑する。
その笑顔にプリムは不安に駆られた。彼の苦笑は旅の間で見慣れたはずだったが、そのときのランディはまるで知らない男のように笑ったのだ。
「――うん。マナの神殿のある孤島に。タスマニカの王様から神殿の管理を任されたんだ。水の神殿のルカ様みたいなものだね。しばらくはそこで暮らすよ」
「マナの神殿で?頻繁に人が訪れる水の神殿ならとにかく、船がなければ誰も行けないあんな神殿、管理する必要もないのに……」
そうだ。マナの神殿は管理する必要などないのだ。
それをあえてランディにやらせる、その理由はなんだ?
プリムの頭がめまぐるしく動く。
聖剣の勇者とその仲間がいるために、パンドーラは世界中から第二の帝国になるのではと危険視された。
そして、パンドーラ王国とタスマニカ共和国は古くからの友好国だ。
疑いの目はタスマニカにまで及ぶと考えたほうが自然だ。
そのため、タスマニカ国王は疑いを晴らす必要があった。そのためには、疑われている原因を排除すればよい。
つまりは――聖剣の勇者を。
「わ、私も行くわ!」
まだ混乱しながらもプリムは叫んでいた。
「マナの神殿は古そうだったし、一人で管理するのは大変よ!私も手伝うわ」
「プリム」
ランディが静かに近づいてきた。そっと彼女の手を取ると、プリムの耳元に顔を寄せ、二人にしか聞こえないように囁いた。
「だめだ。僕一人で行かないと意味がないんだ」
「なんでっ!」
「聖剣の勇者とその仲間が一緒にいるんじゃ、何か企んでいるんじゃないかってますます疑われるだけだ。僕とプリムは距離を置くべきなんだ。そして肩書が有名になりすぎた僕は、世界の情勢から離れた場所にいないといけない」
聖剣の勇者をマナの神殿の管理という名目で、孤島に閉じ込める。
平たく言ってしまえば、島流しだね。ランディが冗談を言うように言った。
「何、それ」
やっとのことで吐き出した声は震えていた。
「私たち、何かした?何もしてないじゃない、なのに、なんで……」
プリムは思わずジェマを見た。ジェマは何も言わず、しかし顔を歪めて二人を見ている。ジェマは手に王からの書状を握りしめていた。おそらくはそこに、マナの神殿の管理を任じる旨が書かれているのだろう。
その手が小刻みに震えているのを、プリムは見てしまった。
「管理する期間は、どれくらいなの?」
プリムの問いにランディは首を振った。わからないということだろう。
世界中から疑いが晴れるまで?それはいつ?
プリムは絶望に目の前が暗くなった。
「ジェマ様。そろそろ」
近くの騎士がジェマに囁く。プリムはそいつを殴ってやりたくなったが、騒ぎを起こしても誰も得をしないとぐっと我慢した。
ランディがプリムの手を離す。
そしてそのまま馬車に乗りこんでしまう。
ジェマはその後に馬車に乗り込み、一度プリムを見たが結局何も言わずに馬車の戸を閉めた。
プリムは空いた手をどうすればいいのかわからず、宙に浮かせたまま、遠ざかっていく馬車を見送った。
――夢を見た、気がする。
闇の中で目を開いたプリムは、のそりと起き上がった。
そして思わず自分の両の手を見る。
あのとき、伸ばすことも掴むことも、何もできなかった手。
――そして今も何もできない。
タスマニカは一カ月に一回、ランディへの差し入れを乗せて船を送ることにした。
その担当をランディの知り合いであるセルゲイにしたのは、ジェマの配慮だったのだろう。
ジェマ自身は今、ランディに会うことを許されていない。それはプリムとランディが離れていなければならない理由と同じだ。タスマニカの騎士団の実力者であるジェマと聖剣の勇者が頻繁に会っているとあっては疑念を振りまくだけだ。
本当であれば、プリムもこうしてランディと会うことなどできるはずもなかったのだが、周囲の人々の協力によって極秘に島を訪れることができている。だが、それも数カ月に一度が限度だった。
プリムは無意識のうちにため息をついた。
もう一度眠れそうにはなかったので、上着を引き寄せて外に出る。
夜明け前の島は、波の音以外静かなものだった。
朝露に濡れた草の上を歩く。
古ぼけた神殿と、細い木々。それだけしかない狭い島だ。
「本当に何もないところよね」
プリムは思わず呟いていた。
ランディもアリスも、こんなところで暮らしているなんて。そこまで考えて、プリムは口元に微笑を乗せた。
アリスは、ランディのことが好きなのだろう。
アリスはタスマニカ出身で、身よりがないところを、ジェマが仕事を斡旋したらしい。
とはいえ年頃の少女が何もない島でじっとしていることに耐えられるはずがない。ジェマもランディの世話係は何か月かで替えるつもりだったという。
だがそのことを打診したとき、アリスはきっぱりと「ランディ様のお世話は引き続き私にさせてください」と言ったそうだ。
何にせよ、ランディの味方が一人でも増えることは良いことだ――そうプリムは思っている。
気付くと、闇に覆われていた辺りはだいぶ薄明るくなってきていた。
海と空の境目にある稜線が、目覚めの予感に震えているように見えた。
プリムは宛てもなくぶらぶらと歩いて行くと、見晴らしの良いところにある岩の上に、腰かけている人物がいるのが見えた。
「……ランディ?」
声をかけると、ランディはちらりとこちらを見た。
「あれ、プリムどうしたの」
「ちょっと眠れなくて……」
「僕もそう。プリムが来てくれるの久しぶりだから、はしゃいじゃって眠れなくなったかも」
ランディが笑う。記憶の中の彼の笑顔より幸せそうに見えないのは、プリムに先入観があるからだろうか。
プリムは言葉を返さず、ランディの視線の先を見た。そこにあるのはどこまでも続く海と空だけだ。
ときどき、海を見ていらっしゃいます。そう言ったアリスの言葉を思い出す。
ランディは海を見て何を思うのだろう。
遥か遠くにある、陸の上の国々についてだろうか。それともそこに住む、かつて出会った人々だろうか。それとも、もういない誰かのことだろうか。
「――何を考えてたの?」
プリムの問いに、ランディは海と空から目を外さないままうーんと唸った。
アリスと同じようにはぐらかされてしまうかもしれないとプリムは思ったが、ランディはあっさりと返事をした。
「何か考えているっていうのとはちょっと違うかな。見てるんだ」
見てる?何を?
言わなくてもプリムが聞きたいことが伝わったのか、ランディはすぐに口を開いた。
「――僕たちが救った世界を」
暗かった空が、薄い紫色へと変わっていく。
確かに夜明けの光景のはずなのに、それは太陽が沈む光景と紙一重に見える。
「ねえ、プリム」
「何?」
ランディはプリムのほうを見ないまま呼びかけた。そして淡々と言葉を続ける。
「世界中の人がさ。僕らが皇帝みたいに世界を支配するんじゃないかって、タナトスみたいに世界を壊そうとするんじゃないかって、疑うんならさ」
そこで一旦途切れた言葉に、うん、ととりあえずプリムは相槌を打つ。
ランディはまるで休日にどこかに行こうと誘うように、軽い調子で言った。
「本当にしちゃおうか。支配でも、破壊でも」
波の音が大きくなった気がした。
プリムは掠れた声でランディの名前を呼んだ。
ランディは身体を振り向かせ、真っ直ぐにプリムを見つめた。
「僕にはまだ左手があるし、プリムだって場所によっては魔法が使えるだろう?不可能じゃない」
ランディがそっと左手を伸ばす。
指先がプリムの頬をそっと撫でた。
「ねえ、プリム」
今度は懇願するように名前を呼ばれた。
「だって、こんな世界もういいだろ、プリムだって。ポポイもいない。ディラックさんもいない。残ったのは僕とプリムだけ。この世界を救ったのは僕たちなんだから、どうしようと勝手じゃないか」
彼の瞳は底の見えない海の色のように深く碧い。
そうかもしれない。
戦いが終わったあと、何が残っただろうか。
喪失感と虚無感と、徒労感だけ。一体自分は何がしたくて、何が欲しくて戦ったのかもわからない。
何一つ取り戻せなかったのに、失ったものはあまりにも大きい。
ランディの言うとおりかもしれない。
ランディが言えば、ジェマもルカもクリスもフラミーも、パンドーラもタスマニカも力を貸すかもしれない。それとも、止めようとするだろうか。
――いや、私とランディさえいれば十分だ。
こんな世界。そうだ、こんな世界の何もかもを手に入れてやるのなんて簡単だ。それから全部壊してしまえば、どれだけ胸がすっとするだろう。
しかし、そう考えるプリムの頭を、一瞬、父やパメラの顔がよぎった。
「……ランディ」
プリムは吐息混じりに彼の名前を呼んだ。
その途端、ランディの指先が離れた。そしていたずらっぽくにやりと笑った。
「なーんてね」
さて、身体が冷えてきたし、もうそろそろ中に入ろうか。そう言って、ランディが立ち上がった。
あたりはいつの間にか太陽の光が射している。
そうね、と返しながらも、プリムは本当は分かっていた。
さっき、もしもプリムが頷いていれば、ランディは本当に一緒に世界を手に入れようとしてくれたのだろう。
いつまで、耐えられるだろうか。
ランディがこの島を出られるようになるのが先なのか。
それとも――私が頷いてしまうのが先なのだろうか。
プリムはそう考えながら、朝日を背にしてランディと共に神殿へと戻るために足を踏み出した。
2010.5.23