眩しいほどの
「貴君が騎士に志願したのはなぜか」
そう聞かれて、一瞬言葉に詰まった。
「……育ててくれた父母に誇れる、報いれる仕事がしたいと思いました。騎士となって、故郷の村を含め、王国の平和を守ることが私の望みです」
用意しておいた回答を述べる。目の前の騎士団長が、満足そうにうなずくのを苦い気持ちで見つめた。
せめてと思い、心の中で真実の回答をする。
立派な理由などありません、ただの悪あがきです、と。
騎士になって二年と半年。剣の腕もあってか徐々に認められ始めたある日、上官に呼び出された。
「貴族の令嬢の護衛……ですか?」
「ああ。本来であればこのような私的なことに騎士が引っ張り出されることはないのだが、依頼主は私のことを目にかけてくれた貴族の方で、むげにはできなくてな」
上官は弱りきった顔をしている。依頼は貴族の令嬢が領外へ遠出をするので護衛についてほしいということだった。
「私はかまいませんよ」
「そうか。非番の日にすまない」
「いいえ。休日といってもやることがなくて時間を持て余すだけなのでありがたいです」
上官はその言葉を謙遜と思ったようで苦笑しただけだったが、俺は本当のことを言っただけだ。
礼をして上官の部屋を出る。
廊下の窓から見える雲ひとつない青空が目に入り、ため息がもれた。
俺の胸の中にはいつも、理由のわからない焦燥感とも不安感ともつかないものが巣食っている。
それを忘れていられるのは、剣を振るっているときくらいのものだ。
時間の使い道がない休日は、胸の中の感情が行き場を失って狂いそうになる。令嬢の護衛はただ目的地まで同行すればいいだけだから、たいして剣を振るう機会もないだろうが、寮でいらいらとしているよりもよほどましというものだ。
騎士団の同僚から飲みに誘われてつきあったり、女がいないから時間の使い道がないんだといわれて誰かを紹介されたり、ということもあるが胸の中は晴れない。
酒に酔っても、女に言い寄られても、悪い気分にはならないけれど、妙な感情は常にまとわりついたままだ。
幼い頃からだ。どんなに楽しい時間も、どんなに嬉しい時間にも、耳元で誰かが呟く気がしてならないのだ。
――お前はいつか、闇に呑まれるのだ。
どうしてなのだろう。優しい両親のもとで育ち、故郷の村はとても温かかった。歪んだ影なんて、俺の人生にどこも見当たらないのに。
それとも、これが持って生まれた運命なのだろうか。
待ち合わせ場所の王国の出入り口である通用門でぼんやりと待っていると、俺と同年代の一人の少女が、後ろにメイドを連れてやってきた。
「こんにちは、ええと、あなた……?」
「はい。私は今日、あなたの護衛をさせていただきます、王国騎士団のディラックと申します」
「よろしくお願いします。本当は護衛なんて必要ないって言ったんですけど、パパが……あ、父が、どうしてもって」
少女は王国の誉れある騎士にこんなこと頼んですいません、と頭を下げた。長い髪が揺れる。大きな瞳の、微笑みが魅力的な少女だ。
いいえ、かまいませんよ、と俺はにこにこと人好きのする笑みを浮かべた。
彼女は国の外に住んでいる、親類の家に荷物を届けに行きたいのだそうだ。ここからそんなに距離はなく、少女の足でも一日で往復できる。モンスターが頻出する道でもないし、なるほど、彼女の父は少々過保護なようだ。
行きましょう、と促すと少女も迷いなく門の外に踏み出した。貴族の令嬢というから、国の外に出たこともないのかと思っていたのだが、ずいぶんと慣れているようだ。
「国の外にはよく出られるんですか?」
「はい。家の者には内緒でよく。友達と一緒に……でも、この間運悪く父にばれてしまって。それからもううるさくって」
少女はため息をついた。それはあなたのことを心配しているからですよ、と常識的な言葉を返してもよかったのだが、なんとなく微笑ましい気分になり、くすくすと笑ってしまった。
「それは大変ですね。普通の家の女の子は、この辺なんて小さい頃から遊び場にしているのに」
「本当そう!危険がないって言っても聞いてくれないの。最近はお見合い攻勢が始まっちゃって。結婚したら家におとなしくいるようになると思っているのかしら」
少女ははっとしたようにそこで言葉を止めた。
「ご、ごめんなさい。私ってば愚痴っぽくなっちゃって」
「いいえ、いいんですよ」
俺は自分も会話を楽しんでいたことに気づく。
やはり、寮でぼうっとしているよりも依頼を引き受けてよかった。
そう思った途端、胸にどす黒い不安がよみがえる。
――またか。
少女は楽しげに何かを話している。俺はため息をつきたくなるのを堪え、適当に相づちを打った。
やはりだ。どんなときでも、俺の心には影が差す。もういい加減慣れてしまったので、気にしないように努める。
進む俺たちに影がかかる。森の中に入ったのだ。葉が生い茂っている時期なので、日光があまり差さずあたりは暗い。
「少し不気味ですね……」
「このあたりは王国騎士団がよく見回りをしているのでモンスターはいないと思いますが気をつけてくださいね。現れても慌てず、私の側から離れないでください」
俺は少女がモンスターを目の前にしたときにパニックに陥らないようにと思い、声をかけた。だが、少女は大丈夫です、と返事を返した。
「遠出したときにモンスターに遭遇したことは何度もあるの」
俺は驚いた。いかにも深窓の令嬢といった感じの少女だが、次々とイメージを壊される。
「そのときはどうやって撃退を?」
「それは……」
少女が口を開きかけたとたん、近くの茂みががさりと音を立てた。
俺はとっさに少女を背にかばい、剣を抜く。
銀色の毛並をしたウェアウルフがこちらを睨んでいた。
――どうしてウェアウルフが!?
俺は驚きながらも、少女が不安にならないようにその気配を隠した。
王国の周りは騎士団が見回ってモンスターを倒しているので、ほとんどモンスターが生息しない。出現したとしてもラビやマイコニドなど、弱いモンスターがほとんどだ。ウェアウルフがこんなところに現れることなど初めてだろう。
俺は剣の切っ先をウェアウルフに向け、好機を伺う。
さすがにレベルの高いモンスターなので、なかなか隙が見つからない。
救いは、少女が先ほど慣れていると言っていたとおり、息を潜めて俺の背におとなしく隠れていることだ。メイドも同様だ。これで暴れられたらしゃれにならなかった。
彼女たちを守りながらどこまで戦えるか――俺がそう思案していると、目の前を何かが横切った。
え、と声をあげる間もなく、すごい音がしたと思ったらウェアウルフが吹っ飛んでいた。
先ほどまでウェアウルフがいた場所には、人影があった。
どうやらその人物が横合いからウェアウルフに跳び蹴りをいれたのだと気づいたときには、背後の少女が叫んでいた。
「プリム!」
プリムと呼ばれた少女は、金色の長い髪をかきあげてこちらを見た。
紫色の宝石のような瞳がこちらを見た。
「パメラ、無事!?」
俺の背に隠れていた貴族の令嬢、パメラが嬉しそうにそれに応える。
「うん!でもプリム、どうしてここに!?」
「今さっき、騎士団が森を巡回しているときにウェアウルフが現れて、それを取り逃がしたって大騒ぎになってるの!あなたがでかけたってきいて心配になって追いかけてきたのよ」
プリムと呼ばれた少女は俺たちの傍らにやってくると、ウェアウルフが吹っ飛んだ方向に構えをとる。
僕も剣をそちらに向ける。
彼女の攻撃は不意打ちだったこともあって、ウェアウルフに多大なダメージを負わせたが、まだとどめにはなっていないだろう。
案の定、ウェアウルフはふらりと立ち上がるとこちらを睨みつけた。
プリムはウェアウルフからは目を離さないまま、俺に向かってささやいた。
「あなた、王国の騎士よね?あなたの仲間が逃がした獲物なんだからきっちり責任とってちょうだい。私がおとりになるから一発で決めてよね」
その高飛車な言い方に、なぜか楽しい気分になった。
「わかったよ。そちらこそ、踏み込みすぎて怪我などしないように」
誰に向かって言ってるのよ、とプリムが笑った気配がした。
次の瞬間、金色の髪が揺れ、プリムがウェアウルフに突進していく。
――速い!
俺は自身も走り出しながら、その動きに目を見張った。
彼女が蹴りを繰り出し、ウェアウルフが身を翻す。
その瞬間で十分だった。
彼女の背後から駆けていた俺は剣をウェアウルフの喉元に突き刺した。
断末魔の叫びがして、どさりと獣人が倒れた。
俺はふう、と息をもらすと剣を鞘にしまう。
「やるじゃない」
からかうような声に、顔をあげるとプリムが笑みを浮かべてこちらを見ていた。
改めて、きちんと正面から見つめ合うと、彼女がとてもくっきりとした顔立ちをしていることがわかった。紫色の宝石のような瞳の輝きがまぶしい。
俺は「そちらこそ」と返す。正直、彼女が来なかったらどうなっていたかわからない。
プリムはパメラとメイドに「怪我はない?」と尋ねてその無事を確認すると、再びこちらに顔を向けた。
「それで、あなたの名前は?」
「なるほど、パメラさんがモンスターに遭っても平気だったのは、プリムさんと一緒に外に出て、何度もモンスターに遭っていたからなんですね」
「ええ。プリムは本当に強くて、大概のモンスターだったらすぐに倒してくれるの。でも、今回の狼みたいなのは初めてで、びっくりしたわ」
結局、荷物を届けるどころではなくなってしまった。俺たちは国に戻り、ウェアウルフをしとめたことを騎士団に報告した。事情をきかれ、終わった頃にはもう夕刻だった。
俺は今、プリムとパメラの二人を家に送っていくために、三人で街の中を歩いていた。
「そういえば、騎士団が拳法の訓練をしたときに、一人の貴族の令嬢にみんなボコボコにされたって話を聞いたことがあったな……」
俺が何気なく呟くと、パメラが笑いだし、プリムが仏頂面をした。
「みんななんて……せいぜい五、六人よ。噂に尾鰭がついてるの!」
「あら、プリムったら。骨のあるやつが一人もいなかった、あんな人たちに王国の平和を任せて大丈夫かしらって喚いてたじゃない」
俺は思わず声をあげて笑ってしまった。プリムがきつく睨みつけてくる。
やっと笑いがおさまり、プリムにごめんごめんと謝る。すると、彼女は思いの外優しい目をしていた。
「でも、ちょっと安心したわ」
「え?」
「騎士団も、ディラックみたいな人がいるなら大丈夫ね」
俺は言葉につまって、彼女の顔を見た。
何と答えればいいかわからない、そんなことは久しぶりだった。
俺が王国の騎士になったのは、俺自身の闇をひと時でも忘れるためだ。
剣を振るっているときだけは、闇の存在を頭から振り払うことができた。
ならば、剣を持つ騎士になり、力を手に入れれば、闇にも対抗できるのではないかと思ったのだ。
だが、どこかでそれが悪あがきでしかないこともわかっているのだ。
どんなに力を手に入れても、どんなに剣を振るっても、闇は俺の元から離れない。
――王国の平和を守ることが私の望みです。
どの口が言うのか。王国の平和を守りたいなど建前だ。
俺は、俺のことしか考えていない、騎士の名を名乗るのもおこがましい、卑しい人間なのだ。
「でも、どうしましょう。荷物はもう一度届けに行かないと……でも、狼に遭ったことがわかったら、今度こそ家から出してもらえないかも」
パメラがおろおろと呟いた。プリムが私がいるじゃない、と胸をはる。
「よかったら」
無意識に口が動いていた。二人が驚いた顔をする。
「僕と、プリムさんが付いていくのではどうですか。プリムさんだけでは心配されるかもしれませんが、騎士の僕もいればお父様も許してくれるのでは?」
パメラがいいんですかと言い、プリムはそうねと呟く。
「それがいいかもね。あなたとならまたウェアウルフが現れても大丈夫だし」
「ありがとうございます、お言葉に甘えます」
二人と次の約束をしたところで、プリムがもうここでいいわと告げる。
「では、プリムさん、パメラさん、また」
「ああ、その敬語とさん付け、やめて。あなた、私たちとそう年齢変わらないでしょう?むしろあなたのほうが年上じゃない?」
「え?」
プリムの言葉に、でも貴族の方に対してそんな、という言葉を返しそうになる。
「ディラック、あなた、身分の違いを気にするような、そんなつまらない人なの?」
プリムの眉がひそめられた途端、この少女に幻滅されたくない、という気持ちが勝った。
「……まさか。じゃあプリム、パメラ。これからよろしく」
プリムは「合格!」とはつらつと言った。
一人で寮への帰途へとつく。
もう日も沈む寸前だ。町の人々が、急いで街灯に火を灯していく。
そんな中、静かに歩きながら、ぽつりと呟いた。
「最低だ、俺は」
ため息をつく。
光に溢れた色をした髪を持つ少女に、もう一度会いたいと思った。
そのために、自分が騎士であることを利用したのだ。
元々の理由も褒められたものではないのに、されにはそれを利用するなど――俺は本当に最低だ。
更に最低なのは、俺がちっとも後悔をしていないということだ。
それどころか、気分が弾んでいる。
完全に西日が落ちて、辺りが闇に包まれる。
灯された街灯の光が、小さく、けれど確実に、俺の足元を照らした。
2010.10.27