呪い
「世界を救えるのは、そなただけだ」
私は、その言葉で、少年に呪いをかけたのだ。
勇者という、呪いを。
あのあと、泣き疲れたランディは、そのままルカの胸にもたれて気を失ったように眠ってしまった。
ルカ一人では運べないので、侍女を呼び、三人がかりで神殿内の寝室に運んだ。
頬に涙の跡を残し静かに眠るランディの寝顔は、思っていたよりもあどけなかった。
ルカはベッドの横にある椅子に腰掛け、彼の額にかかる前髪を梳く。
――こうして見ると、本当にただの子どもだ。
出会った当初よりも背が格段に伸びた。精悍な顔つきなったし、落ち着きも出てきている。そろそろ青年と呼んでもいいかもしれない。
だが、それは戦いの中、成長せざるを得なかった結果だろう。本来であれば、もっとゆっくりと大人になることができたものを。
ルカは悔恨にまぶたを閉じた。
水の神殿の神官であるルカには、水の流れによって世界の様子をすべて把握することができる。
何もかもを眺めてきた。世界で起こったことのすべてを。
だが、ルカは干渉しない。
ルカの役目は、水の神殿を、ひいてはマナの種子を守ること。その他のことは、水がただ流れゆくように見守るだけだ。
ただ、静かな水面に波紋を立てようとするものがあるならば、止めることはする。だがそれはルカの役目ではない。誰かに託すだけである。
そうやって、二百年の時を過ごしてきた。
初めて対面したときのランディは、人の手を恐れる子犬のようだった。殴られるのでは、と身を固くしながら、人の温もりが恋しい。捨てられることを恐れて、吠えることもできない。
気の弱い少年。そんな言葉ひとつで表せてしまうほど、他に何の特徴もなかった。
ルカが訥々と勇者のすべきことを語ると、ランディの顔は見る見るうちに怯えに染まった。逃げだしたい、という気持ちが全身からにじみだしていた。
隣に立つジェマが、苛立ちを隠し切れていなかったのをよく覚えてる。そのときのランディは、話の衝撃に耐えることに精一杯で、気付いていなかっただろうが。
それは、自分が聖剣を抜いていればという状況に対するものと、この後に及んで腰がひけているランディに対するものの両方が原因だったろう。
ルカも、なぜこのような者が聖剣を抜いたのか、運命のいたずらに溜息をつきたい気分だった。あとからランディがマナの種族だったことを考えれば、これも必然だったわけだが。
ジェマが旅立ったあと、ルカはランディに向き合った。
どんなに運命を嘆いても今更仕方がない。彼が聖剣を蘇らせなかえればどうにもならないのだ。
ルカは二百年を生きてきた中で、様々な人間を見てきた。ランディがどのような人間なのか、彼が聖剣を抜いてから数日見てきた結果、だいたいはつかめていた。
愛されたことも、必要とされたこともない子ども。
村の中でよそ者扱いをされて育った少年。
厄介者だとわかった途端、村の人々から何のためらいもなく追い出された様子は、ルカが見ていてもひどいものだった。
だが、そのときは同情している暇もなかった。とにかくこの少年に、勇者として働いてもらわねば、と考えていた。
それには、彼が望むものを与えてやるのが一番だ。
そして言ったのだ。
「世界を救えるのはそなただけだ」
彼が最も望む言葉。彼が、彼だけが、必要なのだという言葉。
その言葉を聞いて、ランディの顔がはっとしたのを覚えている。
口元は引き締まっていたもの、そこに浮かんでいたのは――歓喜。
そうして、ルカはランディに呪いをかけたのだ。
彼が、聖剣の勇者という役目から逃げられなくなる呪いを。
残酷なことをしたと、今では思う。
役目故に、彼は苦しみ、もがいた。
しかし、初めて他人に必要とされた、その理由である聖剣の勇者という役目を、手放すことはできなかった。
焦がれた母を救えず。仲間の恋人も救えず。
そして、最愛の仲間である妖精の子どもを結果的に自分の手で消してしまうことになった。
きっとランディは一生苦しむのだろう。ただ必要とされたいという思いから、剣を振るった自分の身勝手さに。その結果、失ってしまったものの大きさに。
自分はどこかで知っていたのに、とルカは思う。
ランディを一目見たときから、漠然と予感していた。きっと、この戦いは、幸せな終わりは迎えないだろうと。
そうわかっていながら、ルカは彼を縛る言葉を口にした。
彼は何も悪くはなかった。マナの種族という宿命は後付けにしか過ぎない。
胸に去来するのは途方もない罪悪感だ。
だが、ルカの謝罪は、ランディの重荷になるだろう。彼自身も、聖剣の勇者という役目として必要とされることを、望んだのだから。
謝ることもできない。水の神官である自分には、何もしてやることができない。
それでも、自分はこれからも、彼を見守り続ける。それが、己への罰なのだろう、とルカは思う。
「――すまない、ランディ」
ルカは、眠るランディにそっと囁く。
きっと永遠に、直接彼に言うことはないだろう、と思いながら。
2009.2.23