道化師

 

 

 最初の印象は、いいカモが来たな、だった。

 ドワーフの村の見世物小屋。長老の誘い文句に乗せられ、呼び込みに無理矢理腕を引かれて連れて来られたのは、キョロキョロと辺りを見回して居心地の悪そうな少年と言っていい年頃の人間だった。

 強引な呼び込みを断ることもできない、気の弱そうな風貌に、妖精は内心舌なめずりした。

 腰には不釣り合いにも立派な剣を差している。もしかしたら、けっこう金を持っているかもしれない。

 しめしめ。オイラの名演技で、有り金全部巻き上げてやるぜ!

 直前に目薬をさして涙を目に溜めて、潤んだ瞳で上目使いをする。身をかがめてなるべく小さく弱い生き物に見えるように。

「しくしく……ああ、優しいお兄様。僕を助けてくださいませ」

 ことさらに庇護欲をそそれるよう、か細い声で訴える。長老が、朗々と悲劇の妖精の子の身の上を語る。

 本来、自分は同情されることなど好まず、屈辱的に思う性格だ。だが、背に腹は代えられぬとわかれば割り切ることもできるようだった。

 不思議だよなあ。記憶喪失でも、自分の思考や性格なんかは、きちんと把握できてるんだから、と思う。

 妖精には、記憶がなかった。

 目覚めるとドワーフの村で、自分が何者か、どこから来たかも覚えていなかった。快方してくれたドワーフたちから、折りしものマナの減少による大洪水によって流されてきたらしいこと、容貌から言って自分は妖精という種族のようであることを聞かされたが、それ以上はわからなかった。

 妖精はドワーフの村に立ち寄る旅人たちに妖精についての話を聞こうとした。しかし、妖精はもともとあまり俗世に姿を見せるものではないらしく、有望な手がかりは得られなかった。

 それどころか、むしろ奇異の目で見られることが多く、心無い言葉を投げつけられ、売り言葉に買い言葉で言いかえし、長老を初めドワーフたちに迷惑をかけてしまったこともある。

 嫌な思いをしたことに加え、あまりドワーフの村に長居するのも得策ではないようだと理解した結果、ならばと妖精は開き直った。

 見世物小屋の見世物になって、資金を稼いで旅に出て、自分の仲間、故郷を探すのだ。

 妖精の提案に、最初はそんなにうまくいくものかと渋ったドワーフ村の長老も、妖精の熱意と口車でその気になった。

 プライドも何もあったものではない。妖精の特徴の小さな身体も、同情を引けるであろう自分の可愛らしさも、何もかも利用してやる。

 果たして今回、目の前の少年は気の毒そうに目を細めた。

 かかった、と妖精は内心で喝采をあげた。 彼は懐を探ると、言われた額を差し出してくる。

 妖精はむしりとるようにその金を握った。

 ふと、少年と目が合う。彼は眦を下げ、少し微笑んでいた。

 その表情の意味がわからず、妖精は一瞬、彼の瞳の中を見返す。

 しかし深く考える前に先に口が動いた。

「げっへっへ、サンキュー!」

 さっさと帰りな、と吐き捨てるように言うと、少年は唖然とした顔をしていた。

 少し地を見せたことで溜飲が下がる。 彼は呼び込みのドワーフに出口に向かって背中を押されて「えっ」「ちょっと」などと声を上げてあたふたとしているが、金さえもらえば用などなかった。

 控室に引っ込んで、奪った金を数えていると、渋い顔をした村長がやってきた。

「これ、チビすけ。最後はちょっとひやっとしたぞ。きちんと最後まで可哀そうな妖精の子どもを演じ切っておくれよ」

「だーいじょうぶだって!」

 バツが悪く、妖精はことさら明るくふるまった。

 自分で言いだしたことなのに、あんな間抜けそうな少年にまで、同情的な視線で見られることに少々立腹していたのかもしれない。

 負けず嫌いなところがある妖精は、ふんと鼻を鳴らした。

「そんなことより……へへん、どうだい、オイラの演技力!あいつ、ちょっと涙ぐんでたぜ!」

 胸を張って村長に言い放とうと振り向いた途端、目に入った姿に妖精は息をのんだ。

 村長の背後には、先程の少年が立っていた。 妖精の視線に村長も後ろを見遣り、悲鳴をあげた。妖精の口からも似たような声がでる。

 少年は意図的でなく、偶然にもここに迷い込んでしまったようで、困ったように頬をかいて立っていた。

 妖精はじわりと汗が背中に浮かぶのを感じた。

 なんだ、こいつ。足音が全くしなかったぞ。

 どうやら、持っている剣は飾りではなかったらしい、と今更ながらに察する。

「ええっと……」

 少年が何事かを言おうとしたときに、長老が先にがばりと頭を下げた。

「許してくだされ!この子は本当に妖精の子どもなんじゃ。記憶がなくて……」

 長老が必死に事情を説明する。妖精が、「オイラって才能あるんだよな~」と悪びれずにうそぶいていると、長老に無理矢理頭を押さえつけられ、少年に向かって下げさせられた。

「これ、お前もお詫びせんか」

「わーかったよ!……ふん、悪かったな」

 よりにもよってこんな少年に企みを看破されたことが腹立たしかったが、長老にこれ以上恥をかかせるわけにはいかない。しぶしぶ謝罪の言葉を口にすると、妖精はぷいとそっぽを向いた。

 長老が、少年にだまし取った金を返却しようと取り出す音がした。しかし、少年は逡巡しているようで動かない。

 ポポイはお人好しめ、とけっと悪態をついた。

「さっさと金持って行っちまえよ。お前の金なんかなくても、また他のやつらから金をとればいいんだし」

 自らの才覚で得る金なら良いが、境遇についての純然な施しで金を得るのは納得がいかなかった。他人からすればたいした違いはないかもしれないが、それは妖精の最後の矜持であった。

 妖精が後ろに向かって吐き捨てるように言うと、少年が金を手に取る気配がした。そのまま立ち去るかと思いきや、こちらに近づいてくる。

「君は、まだ同じことをしてお金をとるの?」

 少年の言葉に、妖精は顔を向けた。当たり前だ、と答えようとしてふと彼の顔を見つめる。

 下がった眉に、唇に乗せられた微笑。先ほどにひっかかったのと同じ表情だ。

 ――あ。

 妖精はそのとき、唐突に理解した。

 こいつ、最初からだまされてるのわかってたな!

 少年は辛抱強く、妖精からの言葉を待っている。

「……だったら、なんだっていうんだい」

 妖精が仏頂面で返すと、少年が苦笑した。

「だますなら、最後まで完璧にだますんだ。それができないのなら、もうやめたほうがいい。金返せって逆上されてもつまらないだろう?」

 お前に何がわかる!

 カッとなって言い返しそうになった。

 しかし、口を開いたところで、あまりに静かに自分を見つめる少年に、妖精は何も言えなくなった。

 「小さくて弱いふりをするのは、同情をひける。それをうまく利用して君が金を稼ごうというのは君の勝手だ。でも、自分のほうが上だって思っているやつは、下だと思っていた存在が実は自分をだまそうとしていたと気が付いたら、途端にもっと怒りだすんだ。馬鹿にされた、こんなやつにって思ってね」

 君がやっていることはたぶん、君が思っているよりもずっとずっと危険だよ。

 少年が付け加えるように、しかしはっきりと言った。

 妖精が何も返せないでいると、少年はもう一度微笑み、長老に一礼するとその場を去って行った。

「あの人の言う通りじゃよ、チビすけ。もうこんなことはやめよう」

「……そんなこと言ったって。じゃあ、どうすればいいんだよ」

 自分には記憶がない。どこの誰かもわからない。弱くて、小さい存在だ。だから、てっとり早くずる賢く生きていこうとしたのに。

 あの少年は違う。きっと、強いから、だからあんなことが言えるんだ。

 妖精はきつく拳を握りしめた。

 そのとき、地面が揺れた。突然の震動に妖精と長老は手を取り合って、お互いを支え合う。地鳴りと共にモンスターの咆哮が聴こえた。

「な、なんだ!?」

 村のドワーフたちの悲鳴と逃げる足音が聞こえる。長老の止める声を背に、妖精はその喧騒とは逆に駆け出した。

 村の中心部に、巨大な穴が開き、棘がついた植物から伸びた首の長いモンスターのバドが暴れている。

 バドががばりと口を開くと爆弾が放たれ、爆発した。

 光と炎、爆風に思わず頭をかばう。攻撃によって破壊された村の店や家の破片が飛んでくるので、慌てて岩の陰に隠れた。

「このままじゃ村が……!」

 妖精は叫ぶ。だが、自分の力ではとてもバドを倒せそうにない。唇を噛みながら様子を窺おうとして目を見張った。

 銀色の光が見えた。捧げ持った剣が鋭く光っている。

 栗色の髪が揺れて、碧色の瞳がバドを射抜く。

 先程の少年が、バドと相対していた。

 彼は次々と放たれる爆弾を避けると、剣を一閃し斬撃を繰り出す。バドが痛みに金切声をあげると、すぐに少年は後ろに下がった。

 せっかくダメージを与えたのに、どうしてさらに攻撃しないんだよ!

 妖精は心の中で文句を言ったが、すぐに少年が先ほどまでいた場所に蔓が伸びてきたのが見えた。

 バドの傍らに、もうひとつ小さな株がありそこから伸びている。どうやら、その株もバドの意思下にあるようだ。

 少年は爆弾と蔓をかいくぐり、ダメージを与えては離脱しまた隙を窺うということを繰り返している。

 妖精ははっとした。

 バドは植物から生まれたモンスターのようだ。つまり、その場から動くことができないのだ。爆発や蔓の攻撃は派手だが、少年はほとんど傷を負っていない。

 少年の剣裁きは少し危なっかしいところがあった。まるで、まだ剣を持ち慣れていないような印象を受ける。

 彼は、自分が強くないことを知っているのだ。だから、時間がかかっても、体裁は悪くても、確実に勝てる方法を取ろうとしているのだ。

 そのとき、少年の足元がふらついた。あっという顔になる。

 自身の体力の消耗まで計算に入っていなかったのだろう。

 妖精は思わず腕をふりかぶり、自身の武器であるブーメランを投げた。

 好機と見て爆弾を飛ばそうとしていたバドと蔓がブーメランの軌道に気を取られた。

 少年が茫然として軌道の先にいる妖精を見た。

「何してるんだよ!今だ!」

 妖精の絶叫に弾かれたように少年が起き上がった。剣を振りかぶったところでバドが慌てて少年に意識を戻すがもう決着はついていた。

 

 

 

「こいつが出しゃばらなければ、オイラが退治したのに」

 憎まれ口を叩いて長老に叱られながらも妖精が言い放つと、少年は苦笑した。

 目の前にいる少年は、聖剣の勇者だという。

「まだまだ駆け出しなんですけど」

 そう言って、緊張感のない顔で笑った。

 よく言えば温和で、悪く言えば気弱そうな少年の意外な肩書に、妖精は開いた口がふさがらなかった。似合いもしないのに剣を持っているのには理由があったのだ。

「さっきはありがとう。助かったよ」

 少年が妖精の頭に手を置いて撫でた。妖精はその手を払う。

「ふん、ガキ扱いするなよ……」

 出てきた言葉は力なかった。

 どうせオイラには、隠れてちょっと引きつける程度のことしかできない。

 声に出せなかった言葉を、しかし少年は聞き取ったかのように首を振って応えた。

「ガキじゃない。きっと、君は強くなるよ」

「え?」

「自分が弱いことを知っていて、今できることをすることができるんだから」

 少年が笑い、振り払われた手を差し出してきた。

 妖精はその手をぼんやりと見つめる。

 長老がそうだ、と手を叩いた。

「勇者殿。チビすけを連れていってはくれませんか」

「はあ!?オイラがこいつと!?」

「聖剣の勇者殿は、各地の神殿を回り、マナの種子と聖剣を共鳴させて復活させようとしているそうじゃ。マナの種子の力があれば、おぬしの記憶も戻るかもしれん」

 長老の言葉に、少年を見上げると、少年がもう一度広げていた手を揺らした。

 強く、なれるだろうか。

 小さくて弱い、オイラでも。

 妖精は手を伸ばし、彼の手を握った。

 

 

 

 後々になって、妖精は少年――ランディの事情を知ることになる。

 よそ者として狭い村の中で育ち、いじめられて育ったという。

「アンちゃんも、昔は弱かったの?」

 森の中での野宿が決定した夜、妖精が尋ねた。 モンスターを寄せ付けることのないようにするための炎に頬を照らされて、ランディがきょとんとした顔をする。

 戦況は悪化し、帝国の追手も厳しくなっている。小さな村や町などで宿泊すると目立ってすぐにこちらの動きがばれてしまう。本当は宿屋できちんと疲労をとりたいところだったが、あいにくの野宿が続いていた。

 野宿の際は、だいたい一番体力のあるランディが見張りを買って出てくれた。プリムはお嬢様育ちにも拘わらず寝つきがいい。ポポイは満腹になるとすぐ寝てしまうが、逆に夜中に目がさめて、ランディと話すことがあった。今夜もそんな夜だった。

 三人でいるときももちろん楽しいが、二人ずつだとたまに、するりと普段言えないようなことが言えてしまうことがあった。

 ランディは薪をいじりながら、そうだね、と答えた。

「とっても弱かったよ」

「アンちゃんあのとき言っただろ。自分のほうが上だって思っているやつは、下だと思っていた存在が実は自分をだまそうとしていたと気が付いたら、もっと怒りだすんだって」

 あれって、実体験?

 妖精の言葉に、ランディは自嘲気味の笑みを浮かべた。

「……いじめられたときにね。大げさに痛がると、早めにやめてくれるって気が付いたときがあって」

 殴ったり蹴ったりするのにも体力を使う。暴力をふるうこと自体が目的ではなく、自分が相手より優位に立っているという確認のためだけに危害を加えるのであれば、上手に痛がっていれば嵐は過ぎ去るのだという。

「だけど一度、そんなに力いれられていなかったのに、痛がるふりが行き過ぎてたことがあってね。お前、本当はそんなに痛くないんだろうって余計殴られたんだ」

 木が爆ぜる音がした。

「……だから、だますなら最後まで完璧に、って言ったんだね」

 ランディが薄く笑って頷く。

 青年に近づいた面差しの中に、痛いと言って泣く幼子が見えた気がした。

 彼は強くなった。もう、剣の方に弄ばれているようにも見えた彼ではない。

 だが、ランディの心の中には弱かった頃の彼がいる。妖精にはわかるのだ。

 ――だますのなら、最後まで、完璧に。

 妖精はそう、心の中でもう一度呟いた。

 マナの減少に伴って、妖精はだんだんと身体の不調を感じていた。けれど、ふたりの仲間に気づかれるわけにはいかない。

 マナがなくなってしまえば、妖精は消える。

 最悪の事態にならないために戦っているのだが、妖精には破滅へのシナリオが進んでいくのを肌で感じていた。

 だが、今それを気づかれるわけにはいかない。 勇者の剣が鈍ってしまう。そんな暇も、猶予も最早ないのだ。

 オイラ、だましきってみせるよ。最後の最後まで。

 オイラも、強くなっただろう?

 再び下がってきた目蓋をなんとか押し上げ、ランディの顔を見つめる。だが、問いかけを声に出すことはない。

 見ててね、アンちゃん。

 妖精の決意は誰にも知られることなく、消えて行った。

 

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2017.11.9

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