試練の回廊
3
「いろんな敵と戦って来たけど、自分と戦うのは初めてよ!」
蹴り、突き、投げ技、いろいろな技を繰り出すが、相手との力ははっきりと五分五分だ。
こうして自分を相手に戦っていると、自分の癖が見えてくる。
自分では様々なバリエーションを駆使しているつもりだが、攻撃のパターンが読めるときがある。
右の拳を突き出した後には、必ず回し蹴りを放っている。
次に何を繰り出せばいいか、迷ったときには一呼吸間が空いている。
魔法を唱えている最中のときには、意識がそちらにばかり向いているのか、繰り出す技は得意な蹴りばかり。
気が付いていなかったけれど、私こんなに隙だらけなんだ。
そう考えながら、相手との間合いをとった。
「でもね、お生憎様。だからこそ、私は負けないわ」
プリムは艶やかな笑顔を浮かべる。たいていの男は魅了してしまいそうなその笑みに、向かい合ったプリムはやはり無表情で答えた。
大地を蹴ると、相手との距離を一気に詰める。その間に呪文を唱える。
プリムの頭の中を、つい先日の出来事がよみがえる。
戦いの中に身を置くようになってから、時間があるときにはランディと手合わせをすることがあった。お互いの鍛錬のためだ。
ある日、ランディと素手同士で手合わせをしたときに、彼は少し考え込んでから言った。
「プリム、正面からの攻撃を避けるとき、どうして僕から見て左側に避けるの?」
「え?」
「たぶん、僕が左利きだから気になるんだろうけど、避けていることでむしろ僕の攻撃範囲に飛び込んできちゃっているんだ」
言われてみれば、パンドーラで武術を習っていた頃は周りが右利きばかりだった。だから左に避けるようになってしまったのだろう。
気をつけたほうがいい、と言われ、プリムにしては珍しく、素直に頷いたことは記憶に新しい。
「私の弱点を一番に知っているのは私よ。だから」
間髪いれずに飛び蹴りを繰り出し、相手が避けたと同時に着地する。
「私に勝てるのは、私だけよ!セイントビーム!」
相手のほうを振り返る前に手を後ろに向けて魔法を発動させる。
私は絶対に、左側に避けているはずだ。その確信を信じて、当てずっぽうで光の光線を放つ。
女の金切り声が響き、どさりと何かが倒れる音がした。
自分の断末魔って嫌なものね、とプリムは髪をかき上げ、立ちあがる。
「でもまあ、もう二度と聞かないでしょうから、いいわ」
「やっぱオイラは手強いなあ」
ポポイはぼやきながらも走り、呪文を唱える。
身体を使って攻撃もするが、ポポイは基本的に魔法で勝負する。すぐにポポイ二人の対決は魔法中心の戦いに変わった。
ファイアボールやダイヤミサイル、エクスプロ―ドやイビルゲートなど、多彩な魔法を使って行く。
それは相手も同じだった。様々な魔法が飛び交う中、お互いに交わしたり、属性が逆の魔法を唱えて相殺させたり、ということを幾度も繰り返した。
魔力が尽きれば魔法のクルミを食べて回復して、魔法をまた繰り出す、ということが続いていた。
だが、もう魔法のクルミも尽きた。
魔力も消耗してきていて、魔法はあと一度か二度唱えることが限界だ。相手もそれは同じ条件だろう。
「このときを……待っていたんだよ!」
ポポイは土埃をあげて足を止め、相手に向かって狙いを定めて両手を向けた。
「アブソ―ブ!」
相手がはっとした目つきになるがもう遅い。月の精霊の力を用いて発動した魔法は、相手の身体を直撃し、鈍く光らせた。途端にポポイは自分の魔力が回復していくのを感じた。
相手が慌てて同じ魔法を唱えようとするところを、ダイヤミサイルを唱えて反撃する。
向こうのポポイはエアブラストに魔法を変えて、ダイヤミサイルと相打ちさせようとする。
だが、現れたかまいたちはダイヤミサイルに届く前に、ふいっとただの風になり消える。
向こうのポポイの目が驚愕に見開かれる。吸い取られたことによって、とうとう魔力が尽きたのだ。
ダイヤミサイルが鋭く突き刺さる感触がし、土煙が上がる。
「よっしゃあ!」
ポポイは高く拳を突き上げた。
「所詮は偽物。本物の大魔法使いポポイ様はオイラだけだぜ!」
ランディはすっと剣を持ち直す。
剣の切っ先を地面に向け、垂直にした後、柄の部分を両手で持つ。
向こうのランディがいぶかしげな顔を向けるのがわかった。こちらが何をするつもりか読めないのだろう。
それはそうだろう、とランディは思う。これからやろうとしていることは、自分でも正気だとは思えなかった。
僕が傷つけば相手も傷つく。相手が傷つけば僕も傷つく。
もう一度呟き、もう一人の自分をまっすぐに見つめる。
奇妙な角度に口の端がつりあがるのがわかった。
「じゃあ、僕が死ねば……君も死ぬってことだよね?」
相手が目を見開くのがわかった。
手くらい震えるかと思ったが、迷いは驚くほどなかった。
ランディは呼吸を整えると、剣を自分の心臓あたりに向けて一気に引き寄せた。
プリムがぱちりと瞬きをすると、目の前にジャッハとジーコがいた。
「あら?」
さらに数度瞬きをしていると、「オイラ、勝ったのか?」という声がした。振り向くと傍らにポポイが立っている。
「お見事なんだな」
ジーコが羽根をばたつかせて拍手をした。
プリムとポポイは顔を見合わせたあと、ジーコを見やる。
「自分の弱点は自分が一番よくわかっているから、自分に勝てる。自分の弱さを受け入れる勇気を見せてもらったんだな。プリム、合格なんだな」
「……ありがとう」
ジーコの言葉に少し照れくさそうにプリムは頬を押さえた。
「相手が偽物であり、自分は自分だけだとはっきり言い切ったんだな。自分の強さを信じる勇気、ポポイ、合格なんだな」
「当然だぜ!オイラは最強の魔法使いだからな!」
ポポイが胸を張ってふんぞり返った。
だが、数秒後、二人は再び顔を見合わせて不安そうな表情になった。
「ランディは?」
「アンちゃんは……?」
「聖剣の勇者は、まだ戦ってるんだな」
ジーコが腕組みをする。
「ランディが一番、やっかいかも、なんだな」
ジーコの不穏な言葉に、プリムとポポイは本来ならそこにランディが立っているであろう、二人の間の空間を見つめた。
ふいにプリムが首をふった。ポポイがプリムに同調するようにうなずく。
「ううん、大丈夫よ、ランディなら」
「そうだな。オイラたち信じてる。アンちゃんは絶対、自分に勝って戻ってきてくれるよ」
耳に痛いくらいの沈黙が落ちていた。
向こうのランディは止めるでも、攻撃をするでもなく、ただじっと立っていてこちらを見つめている。
ランディは、聖剣の切っ先を見つめたまま、動けずにいた。
「……なんで」
ランディの胸に突き刺さる直前で、剣先は止まっていた。
血が吹き出すはずだった心臓は、数秒前と変わらずに鼓動を刻んでいる。
「なんで、かな」
ランディはいつのまにか、自分が泣いているのに気がついた。
「構えたときも、刺そうとしたときも、本気だったんだ。別に死んでも、敵が倒せるならいいって……命だって投げ出せる覚悟を手に入れることが、きっと、真の勇気を手に入れることなんだって、思ったのに」
剣で自分の胸を貫こうとしたときに、思い浮かんだのはプリムとポポイだった。
二人の顔が思い浮かんだ途端、手は止まってしまっていた。
ランディは前線で戦うことが多いので、必然的に小さなものから大きなものまで傷が絶えない。
魔法を唱えている間のプリムやポポイをかばうことも少なくない。
プリムは「私の魔力も無限じゃないんだから、ほどほどにしなさいよ」と悪態をつきながらも治療をし、ポポイは戦闘中に「サンキュー!アンちゃん」と言いながらも、少しあとからばつの悪そうな顔をいつもする。
ランディにはそれが不可解だった。自分は自分の仕事をしているだけだ。プリムやポポイがそれを気に病む必要などないじゃないか、と。
だが、旅をしているうちにわかってきた。
自分が、二人をかばうのは、二人に怪我をしてほしくないからだ。傷ついてほしくないからだ。
それを二人もランディに対して思ってくれているのかもしれない。だから、こんなに心配してくれるのかもしれない。
だから、思ってしまったのだ。
今ここで、自分が死ねば、きっと二人は傷つくに違いない。
それはだめだ、と思ってしまった。
「聖剣の勇者になって……戦うようになって……死ぬのなんて、怖くなかったのに」
自分を大切に思ってくれる人がいる。
そのことが、自分を弱くする。
それは世界の命運を任された聖剣の勇者として邪魔なことのはずなのに、こんなにも――。
派手な音を立てて、聖剣が地面に落ちる。
ランディはうずくまり、いつの間にかしゃくりあげていた。
「どうして泣くの?」
ふいに声がした。よく聞いているような、でも少し高いような、それは自分の声だった。
いつの間にかもう一人の自分が目の前に立っていた。
ランディは涙を拭うと、「わからない」と言った。
「でもたぶん……うれしいからだと、思う」
もう一人のランディが、それを聞いて少し微笑んだように見えた。
ランディが目を開くと、プリムとポポイがこちらをのぞき込んでいた。
「ランディ!」
「よかったー、アンちゃん!」
「え、あれ?僕……」
きょろきょろとあたりを見回すと、最初に入ってきた入り口付近だった。目の前にはジーコとジャッハもいる。
どうやら自分は寝かされているらしい、と腕を地面について起きあがる。
いくつかついてしまった傷からくる痛みにうめき声をあげると、プリムがランディに回復魔法をかけてくれた。
ありがとう、と声をかけながらジーコを見ると、ジーコが深くうなずいた。
「ランディ、合格なんだな」
「え?ええと、でも、僕、結局自分を倒していないんだけど……」
困惑するランディに、ジーコがにやりと笑った。
「ランディは自己犠牲の気持ちが大きすぎるんだな。自分を大切にする勇気、それを身につけてもらったんだな」
人間人それぞれ。真の勇気も人それぞれなんだな。
ランディの目はそう語るジーコの瞳にすい寄せられた。
いつもジャッハは留守だと、半ばからかうように言ってきた軽さはもうどこにもない。
ランディはふと、自分が本当に胸を刺していたら一体どうなっていたのだろうか、と思う。
ジーコはランディの心を読んだかのように、無表情でこちらを見つめるだけだった。ひやりとした手で心臓を撫でられたかのようにぞっとする。
きっと、本当の勇気がわからなければそこまでだったのだろう。
ランディは自分で自分の胸を突き刺して死んで、何もかも終わっていたのかもしれない。
「ていうか、ジーコ、さっきから偉そうだぞ、弟子のくせに。ジャッハ様から何かお言葉はないのかよー」
ポポイのすねたような口調に現実に引き戻される。ジーコがああ、と思い出したような表情になり、器用に両方の翼を使ってぽん、という音をたてた。
「言い忘れてたんだな」
そのジーコの言葉とともに、ジャッハの姿は消える。
三人が「え!?」と声を上げてジャッハはどこに行ったと左右を見回していると、ジーコがくいっと自分を指さした。
「賢人ジャッハは私なんだな。あのじいさんは、ただの幻影」
「ええええ!!」
驚きと、今までしてきたことは何だったのかという徒労感が三人を襲う。
「じゃあ、私たちがジャッハ様を追いかけてあちこちに行くのをおもしろおかしく見ていたっていうの?」
「おもしろおかしくとは人聞きが悪いんだな。三人に勇者としての自覚が生まれるまで待ってたんだなー」
のらりくらりとジーコ、いやジャッハは言う。
憮然とする三人は、納得はいくものの感情がついてこない。口先をとがらせながらも、何もいえずにジャッハをにらむ。
そんな三人を見守りながら、ジャッハは珍しく優しく笑った。
「真の勇気を身につけたお前たちを倒せるやつはちょっといないと思うんだな。この世界を頼んだんだな!」
三人はジャッハの言葉をようやっと素直に受け入れると、任せろと大きくうなずいた。
2012.9.17